日本の天文学史略年表
西暦 |
元号 |
日本の天文学関係事項 |
その他の事項 |
553 |
欽明14 |
百済に暦博士の派遣等を依頼 |
552年 仏教伝来 |
554 |
〃 15 |
百済、暦博士固徳王保孫などを派遣 |
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602 |
推古10 |
百済の僧観勒が来朝、暦法等を献ず |
593年 聖徳太子摂政 |
604 |
〃 12 |
始めて元嘉暦を施行
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604年 十七条憲法 |
660 |
斉明6 |
中大兄皇子、はじめて漏刻(水時計)を造る |
645年 大化の改新 |
676 |
天武4 |
始めて占星台を興す |
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697 |
文武元 |
元嘉暦を廃し、儀鳳暦を施行 |
710年 平城京遷都 |
763 |
天平宝字8 |
儀鳳暦を廃し、大衍暦を施行 |
794年 平安京遷都 |
858 |
天安2 |
大衍暦を廃し、五紀暦を施行 |
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862 |
貞観4 |
五紀暦を廃し、宣明暦を施行 |
894年 遣唐使廃止 |
1684 |
貞享元 |
渋川春海、初代幕府天文方となる |
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1685 |
〃 2 |
宣明暦を廃し、渋川春海の貞享暦を施行 |
1687年 ニュートン「プリンキピア」 |
1720 |
享保5 |
徳川吉宗。禁書の令を緩和し、蘭学興る。 |
1723年 「暦象考成」上下編刊行。 1727年 光行差発見 1739年 青木昆陽、蘭語を学ぶ |
1755 |
宝暦5 |
貞享暦を廃し、宝暦暦を施行。 |
1745年 「暦象考成」後編刊行 1747年 章動の発見 |
1762 |
〃 12 |
麻田剛立、官暦の日食予報の誤りを指摘。 |
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1772 |
安永元 |
麻田剛立、この頃杵築藩を脱藩、大阪へ出る。 |
1771年 メシエカタログ |
1774 |
安永3 |
本木良永、「天地二球用法」を著し地動説を紹介。 |
1774年 「解体新書」 |
1787 |
天明7 |
この頃、高橋至時と間重富が麻田剛立へ入門。 |
1781年 天王星発見 |
1788 |
〃 8 |
橋本宗吉。間重富らの援助により蘭学修行のため江戸へ出る。 |
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1793 |
寛政5 |
泉州の岩橋善兵衛、自作の望遠鏡を持って京へ上る |
1792年 ロシア艦根室に来る |
1795 |
〃 7 |
高橋至時と間重富、幕府暦学御用により出府の命下る。 |
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〃 |
伊能忠敬が高橋至時に入門。 |
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〃 |
高橋至時、幕府天文方に昇進。 |
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1796 |
寛政8 |
高橋至時ら天文方、改暦の命を受け上京。 |
1796年 ラプラス星雲説 |
〃 |
司馬江漢、「和蘭天説」を著し地動説を紹介 |
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1798 |
〃 10 |
宝暦暦を廃し、寛政暦を施行。 |
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〃 |
間重富。大阪にて天文御用を勤めるよう命を受ける。 |
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1800 |
寛政12 |
伊能忠敬、蝦夷地測量に出発。全国測量を開始する。 |
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1802 |
享和2 |
志筑忠雄、「暦象新書」完成。地動説、万有引力等を紹介。 |
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伊能忠敬、子午線一度の長さを28.2里と決定 |
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1803 |
〃 3 |
高橋至時。ラランデ暦書を入手。 |
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1804 |
文化元 |
高橋至時没。長男景保が天文方を継ぐ。 |
1808年 間宮林蔵、樺太探検 |
1811 |
〃 8 |
天文方内に蛮書和解御用掛を設置 |
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1820 |
文政3 |
山片蟠桃、「夢ノ代」成る。 |
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1821 |
〃 4 |
伊能忠敬の全国地図『大日本輿地全図』完成する。 |
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1828 |
〃 11 |
シーボルト事件発覚。高橋景保逮捕。 |
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1836 |
天保7 |
天文方渋川景佑、ラランデ暦書の翻訳書「新巧暦書」を献上。 |
1838年 年周視差発見 1837年 大塩平八郎の乱 1839年 アヘン戦争 |
1844 |
〃 15 |
寛政暦を廃し、天保暦を施行。 |
1846年 海王星発見 |
1868 |
明治元 |
明治維新。天文方廃止 |
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1870 |
〃 3 |
天文暦道局を大学内に設置。 |
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〃 |
天文暦道局を星学局と改称 |
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1871 |
〃 4 |
星学局を天文局と改称 |
1871年 廃藩置県 |
1873 |
〃 6 |
天保暦を廃し、グレゴリオ暦(太陽暦)を採用 |
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