25/Jan./2001 新設

電気科学館プラネタリウムと故手塚治虫氏





写真:手塚治虫氏サイン入りマンガ版下


 日本を代表する漫画家の故手塚治虫氏(1928〜1989)は、電気科学館のプラネタリウムを語る上で忘れる事のできない人物です。
 少年時代、兵庫県の宝塚に住んでいた手塚治虫氏が初めてプラネタリウムを見たのは、電気科学館が開館して間もない頃のことです。小学校のクラスメートに誘われて訪れた科学館の天象館(プラネタリウムホール)中に入った手塚少年は、鉄アレイ型をした奇妙な機械の姿に強烈印象を受けたそうで、そのイメージは後年漫画家としての作品を作る際にも大いに活用したそうです。
その後、プラネタリウムの星空に感銘を受けた手塚少年は、それから毎月演目が変わるたびに見学に訪れたといいます。
 やがて、装置の仕組みを理解した手塚少年は、ついにプラネタリウムの自作に乗り出します。星図を見ながら家の石鹸箱に穴をあけその中に裸電球入れて完成。しかしピンホール効果のため電球のフィラメントが見えるひどい星像のものでしたが、それでも家族を暗くした部屋に引き入れて、自らプラネタリウムで星空解説をしたそうです。

 戦後、大学生になった手塚氏は、ふたたび電気科学館を頻繁に見学されたそうです。また、1987年の電気科学館開館50周年に際し手塚氏に記念講演をお願いしたり(プラネタリウムホールで開催)、科学館星友の会の会報『うちゅう』に原稿を執筆していただいたりと、手塚氏と電気科学館のプラネタリウムとのつながりは晩年まで続いたのでした。

【参考文献】
手塚治虫「懐かしのプラネタリウム」、『月刊うちゅう』1985年7月号(大阪市立電気科学館星の友の会発行)


プラネタリウム資料室の表紙にもどる