舎密局(せいみきょく)とは


舎密局:日本で最初に系統的に化学を学べる場所で1869年大阪に開設され、当時最先端の化学の講義、そして化学実験を行っていました。「舎密(せいみ)」とは、化学を意味する「Chemie」の音訳からつけられています。舎密局はその後、名前が数度改変され場所も京都に移ります。そして、その流れが現在の京都大学に発展していきます。(以下続く)

舎密局が開校したのは明治2年5月1日、(1896年6月10日)。時代は明治になったとはいえ、まだまだ混乱の時期が続いていた頃です。
日本の歴史の中では、この日は、西郷隆盛が、箱館戦争に援軍として向かうために鹿児島を出航した日です。また、10日後には、この戦争で土方歳三が亡くなったというような状況下でした。
このような混乱が続く中でも、日本が発展するためには、この施設が必要であるということで開校した舎密局の意義は非常に大きいといえるでしょう。


舎密局フォトコレクション
舎密局錦絵
写真1.浪花百景之セイミ局画(長谷川貞信画)
舎密局の外観が良くわかる錦絵


舎密局近辺の錦絵

写真2.御城外大調練之図
     (長谷川小信(2代目長谷川貞信)画)
舎密局近辺での官軍の練習風景
絵の左側に舎密局の建物が見える

錦絵は、いずれも京都大学藤田英夫氏提供




写真3.舎密局建物写真 
ハラタマがオランダに持ち帰り発見されたもの



写真4.舎密局初代教頭ハラタマ



写真5.舎密局開校日の記念写真
前列右から2人目がハラタマ、4人目が大阪医学校教頭の
ボードウィン
前列右端は、三崎嘯輔(しょうすけ)。ハラタマに影のように付き添い
通訳を行った人物。


写真3.4.5は大阪大学名誉教授芝哲夫先生ご提供。

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