月刊うちゅう 2003 Vol.20 No.8
デカルト 

 7月号の「ロケットのひみつ」に、デカルトが運動量保存則を発見したと書きました。辞典類やインターネットで調べるとこのような記述が散見されますので、最近までデカルトが運動量保存則を発見したものと思い込んでいたのです。ところが、恩師の菅野礼司先生から「デカルトの運動量保存則は誤りで、正しいものはホイヘンスのはず。」とのコメントを頂きました。ええーっ!私にとっては、青天の霹靂でした。調べなおすと菅野先生のおっしゃるとおりでした。以下にその内容を紹介します。
 デカルトは1596年にフランスのトゥレーヌに生まれ、かなりの領地を所有する法服貴族の子弟として、10歳のときにイエズス会の名門校ラ・フレーシェ学院に入学し、8年間人文学とスコラ哲学を中心に学び、さらに1年間ポワチエ大学で医学と法学を学びました。しかし、デカルトにとっては数学を除いてほとんどが役に立たないものでした。それで、「ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうかを見きわめねばならない」と、それまでに得たほとんどの知見を一旦破棄しました。当時は、宗教改革や王権神授説などを背景として、学問は教会や王の権威のための議論でしかなかったのかもしれません。デカルトは「疑いえない何か」として神の全能性にたどりついたようです。そして、この絶対神を基に、何をも仮定せずに、地上を含めた宇宙のあらゆる出来事を導こうと企てたのです。
 まず、全能の神は粒子を際限なく分割できる、ゆえに、不可分な原子は存在しえない、と原子の存在を否定します。デカルトは物質と空間を同一視し、この宇宙は分割可能な粒子で埋め尽くされているとしたのです。この分割可能な物質粒子の衝突運動によって全てを導こうというのです。そこで基礎としたのが慣性の法則と「運動量」保存の法則でした。前者は「神はひとつの物体中の運動を瞬間ごとに絶えず維持する。したがって、神は、より単純な直線の方を、それより単純でない円より好むのである。」、すなわち、物体は直線に沿って運動を続けようとする、というものです。後にニュートン力学の第一法則となるもので、現代物理学においてきわめて重要な基礎概念です。後者は「宇宙創生期に完全な神の与えた運動の総量は絶対不変である。」というものです。これは運動の方向を無視したため、間違いでした。そして、間違った法則から「より小さな物体は、たとえそれがどれほど高速で運動していても、自分より大きな静止している物体を動かすことはできない。」という経験事実とかけ離れたことを導きます。それでもデカルトは自身の与えた保存則を修正するのでなく、媒質とのかく乱作用などにその原因を求めようとしました。絶対神が与えたものを修正するというようなことは許されなかったのかもしれません。しかし、間違いとは言え、運動の宇宙的保存という概念を導入したのです。この概念は重要なものとして今も生きています。さて、デカルトは自身の運動法則から宇宙の進化、そして太陽を中心に惑星が回転する様を説明しました。ただし、数学的には示しませんでしたし、衝突の理論は多くの問題を含んだままでした。あらゆる出来事を導こうというデカルトの企てはまだまだ道半ばでした。


デカルトの宇宙.宇宙に充満する物質粒子が渦巻いている.Sを中心とする渦動は我々の太陽系を示している.


 そこで、登場するのがホイヘンスでした。彼の父はデカルトと親しく、ホイヘンスは年少の頃、デカルトにその才能を愛されていたそうです。しかし、ホイヘンスはデカルトに対してしばしば批判的でした。彼は正しい運動量の保存則だけでなく、エネルギー保存則をも与え、現代に通じる衝突の理論を打ち立てました。さらに、数学的な扱いを厳密なものへと磨き上げました。デカルト自然学は数学的表現が与えられ、衝突の理論がホイヘンスのものへと置き換えられのです。物質粒子による渦動宇宙像を持つデカルト自然学は支配的な地位に長期間君臨するのですが、やがて、万有引力による宇宙像を持つニュートン力学(1687年発表)にその地位をゆずります。しかし、その影響力は絶大で、ニュートンのいたケンブリッジ大学ですら1720年代まで教えられるほどでした。
 デカルト自然学は第一原理から全てを説明しようとする哲学を科学に与えました。ホイヘンスやニュートンらは、第一原理の正当性を絶対神に求めるのでなく、自然現象によって確かめるものとしました。そして、科学は神から独立することになるのです。
 7月号の不正確な表現をお詫びするとともに、以上を補遺とさせていただきます。また、菅野先生には、貴重なコメントをいただきここに感謝します。

参考文献
菅野礼司「科学は自然をどう語ってきたか」ミネルヴァ書房
デカルト「方法序説」岩波文庫
ラッセル「宇宙の秩序」創元社
広重徹「物理学史」倍風館
フォーブス「科学と技術の歴史」みすず書房