アルフレッド・ノーベル
 10月というとノーベル賞受賞者の発表が行われる月ですね。日本人も、2000年に白川博士が受賞し9人となりました。今回はこのノーベル賞設立の立役者ノーベルについてのお話です。ノーベル賞は、化学、物理学、生理・医学、文学、平和、そして経済学賞の6つの分野でもっとも貢献のあったひとに授与される賞というのは、もうあまりにも有名ですね。

 さて、このノーベル賞をつくったアルフレッド・ベルンハルト・ノーベルとはどんな人だったのでしょうか アルフレッドは、1833年ストックホルムに生まれました。父は、スウェーデンで破産したのですが、ロシアに行って財を成し、呼び寄せられたアルフレッドらは、もっぱら専属の家庭教師らによって勉強をしていました。アルフレッドは内気で無口で、家族や友達距離を置きつつも、いつも陰ながら気遣っているというタイプの男性だったそうです。その為かどうか分かりませが、生涯独身を通しています。

 

  彼は、パリやアメリカでも勉強を重ね、やがて祖国に戻り、爆薬の研究に取り掛かりました。産業発展のためには、安全な爆薬が必要であるということで研究を重ねたのです。その爆薬とは、ニトログリセリンで、わずかなショックで爆発してしまうこの厄介な液体を安全な物にしたいと考えていました。1864年にノーベルイグナイターといわれる起爆装置を発明し、1866年に珪藻土にニトログリセリンを染み込ませることで、安全に取り扱えるダイナマイトを発明したのです。そしてイギリスやアメリカでこの特許を取っています。しかし、彼は、この研究の間に末の弟を爆発事故で亡くし、父も亡くなるという不幸もありました。

 

 このダイナマイトの発明でアルフレッドは財を成したといわれますが、他にもロシアのバクーにも彼の油田があり、そちらからも大きな収入があって彼は、莫大な財産を築くき、1896年の12月10日に亡くなりました。そして遺言で、ノーベル賞を設け、化学、物理、生理・医学、文学、平和という分野の中で優れた人々に賞を与えるように指示したのです。 なお、経済学賞は、アルフレッドに敬意を示すことで1969年に設けられたものです。

 

 アルフレッドは、平和を望んでいましたが、それは、冷戦時の核抑止力のような考えだったようです。つまり「ダイナマイトのような恐ろしいものを持てば、お互いが恐ろしい結果を生むだけなので、平和になるであろう」というものです。実際、彼の生きている間にダイナマイトは、軍事に使われることはなく、鉄道のトンネルを掘るとか、鉱山を開発するといった産業に貢献する形で使われました。 

また、彼はまじめに科学を探求しつつ、文学や哲学にも深く通じていました。これらの動機が平和や文学の賞を設ける理由にもなっているようです。 

10月の声を聞くと、まもなくその年のノーベル賞受賞者が発表されます。
さて、今年は…。 (記:2001.9.23)

 

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