金星の太陽面通過・小ネタ編

 

  *** 目   次 ***
1.1631年と1639年の太陽面通過
2.太陽面通過は肉眼で観測できるか
3.太陽面通過と太陽までの距離
4.ハレーの予報

1.1631年と1639年の太陽面通過
  金星の太陽面通過を最初に予報したのは、ドイツの天文学者ケプラーです。彼は、チコ・ブラーエの観測に基づいて作ったルドルフ表で、1631年に金星と水星の太陽面通過が起こることを予報しました。1629年には、これらの現象についての出版も行なっています。
  ケプラーの予報では、1631年12月6日に太陽面通過が起こる予定でした。しかし当時は三十年戦争による混乱のためか、注目されなかったようです。ただ一人、フランスのピエール・ガッセンディだけがパリで観測を試みました。ガッセンディは早くから観測準備をしていましたが、4日と5日は雨と激しい風という荒天のために見ることはできませんでした。そして6日には昼頃から午後3時頃までの間に何度か観測を行ないましたが、太陽面上に金星の姿は見えませんでした。それでも彼はあきらめず、7日と8日の朝にも観測を行ないましたが、やはり太陽面通過の瞬間を観測することは出来ませんでした。のちの計算によると、パリでは太陽面通過は6日の夜に起こるので見えないとの事でした。
  次の太陽面通過は1639年12月4日に起こりましたが、ケプラーが予報していなかったので誰も現象自体に気付きませんでした。ところが、現象が起こる1ヶ月前になって、イギリスの天文学者J.ホロックスが計算によって太陽面通過が起こることに気付き、友人のウイリアム・クラブトゥリーと共に、人類で最初の太陽面通過観測に成功しました。
  なお、ホロックス自身は11月24日に観測したと記録に残していますが、これはユリウス暦による日付です。イギリスでは当時まだユリウス暦を使っていたのです。12月4日は現行のグレゴリオ暦での日付です。



2.太陽面通過は肉眼で観測できるか
  1639年にホロックスが観測に成功するまで、金星の太陽面通過を肉眼で観測できるかどうかは明らかではありませんでした。
  12世紀頃の天文学者、哲学者であったAverrhoesは、太陽面上を通過する水星を見ることが出来ると考えていたと言われています。しかし、アルバテキュニスとコペルニクスは肉眼では見ることはできないと考えていました。またケプラーは、太陽面上を通過する水星を肉眼で見たと思っていました。しかし、のちにそれは水星ではなく肉眼黒点であった事に気づきました。
  1610年にガリレオが望遠鏡を発明し、太陽の黒点観測も行なわれるようになりました。ピエール・ガッセンディは、望遠鏡で視直径が20分の大きさを持った太陽黒点を観測したとき、肉眼でも見えるか確かめてみました。しかし、黒点は見ることが出来ませんでした。それ以降、金星の太陽面通過が肉眼でみえるかどうかの話題は注目されなかったようで、1761年の通過の際もラランドは冷ややかで、「望遠鏡が発明される以前の時代に、水星や金星の太陽面通過が一度も観測されなかったのは、もっともなことである。」「(1 761年の通過の時)肉眼でみえるかどうか、あえて確かめなかった」と書いています。
  ちなみに、太陽面通過の際には金星の視直径も測定されています。ホロックスは1639年の太陽面通過を観測して、視直径を1'12"としました。1761年の現象の際は、ラカイユがマイクロメータを使って視直径59秒と測定し、またマーシャル諸島で観測したラグランジュは58.4秒という値を得ました。その他の観測値も数秒の範囲で大小がある程度だったとの事です。



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3.太陽面通過と太陽までの距離
  金星の太陽面通過の観測により、金星の運動理論の精度も上がりました。というのも、太陽面通過が起こる時は、金星の内合にあたるわけです。普段は内合の瞬間前後の様子を直接見ることはできませんが、太陽面通過の時は内合の瞬間を見ることができるのです。そのため、運動理論の修正が可能になるわけです。
  また、金星の太陽面通過が天文学的に重要であることを説いたのは、イギリスの天文学者ハレーでした。彼は、緯度の離れた2地点で太陽面通過を観測すると、太陽系の大きさがわかる事を指摘したのです。というのも、この頃は太陽と各惑星との相対距離は知られていましたが、具体的な距離まではわかっていませんでした。そこで太陽面通過を観測すれば、太陽と地球間の実距離(何kmか)がわかり、そこから太陽系の大きさを知ることができるというわけです。ハレーは太陽面通過の観測を提唱したところ、1761年と1769年に起こった現象では、イギリス、フランスなどが観測隊を各地に派遣したほか、各国で観測が行なわれました。金星の太陽面通過を利用して地球・太陽間の距離を求めることは、18世紀の科学の最重要課題とされたのです。
  この2回の観測の結果、観測者によるバラツキはあるものの、地球・太陽間の距離は約1億5千万kmであることが明らかになりました。



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4.ハレーの予報
また、ハレーは過去と未来に起こる太陽面通過の計算も行ない、西暦910年から2117年までの間に17回の太陽面通過が起こるという結果を出しました。その中には、2004年6月の通過も予報されています。しかし、全体的にみるとハレーの計算は精度に問題もあり、17回のうちの何回かは誤りであることが指摘されました。1770年代に出版されたラランドの『天文学』には、ハレーの計算にM.Trebuchetが修正を加えた値や、Wargentinが追計算した結果などをまとめた一覧表が載っています。
パリにおける金星の合の年月日 太陽中心からの金星の最短距離
  910年11月23日     −      +
  918年11月20日22時3分   25分30秒南     ★
  1032年5月24日   −   +
  1040年5月22日     −   +
  1048年5月20日00時6分     26分35秒北   ★
  1153年11月23日     +
  1161年11月20日21時20分   27分22秒南     ★
  1275年5月25日   −     +
  1283年5月23日8時24分   7分50秒北  
  1291年5月21日1時29分   27分40秒北     ★
  1396年11月23日7時30分   5分47秒南  
  1518年5月25日16時42分   10分55秒南  
  1526年5月23日9時47分   8分55秒北  
  1631年12月6日17時39分   15分48秒北  
  1639年12月4日6時47分   8分30秒南  
  1761年6月5日18時5分   9分50秒南  
  1769年6月3日11時10分   10分00秒北  
  1874年12月8日16時56分   13分00秒北  
  1882年11月24日   −     +
  1996年6月10日2時23分   28分00秒南     ★
  2004年6月7日19時28分   8分30秒南  
  2012年6月5日   −     +
  2019年12月13日3時6分   34分42秒北     ★
  2117年12月10日16時13分   10分23秒北
  2125年12月8日   −     +
  2247年6月10日   −     +
  2255年6月8日   −     +
  2360年12月12日   −     +
  2368年12月10日   −     +
  2490年6月12日   −     +
表の説明:
1770年代に発行されたラランデ著『天文学』にある金星太陽面通過の一覧表。
第1欄で合の時分まで記されているものは、ハレーが計算したものに M.Trebuchetが修正を加えた値。記されていないものは、Wargentinが追計算した値です。
第2欄の値は、M.Trebuchetの計算。
第3欄で★印があるものは、ハレーは太陽面通過が起こるとしたが、M.Trebuchetが追計算により通過が起こらないと結論したもの。
第4欄で+印があるものは、Wargentinが追計算した値です

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2004.5.21記

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