加藤賢一データセンター

大阪市立科学館研究報告 2,53 (1992)

都市光下での天体観察 (V)

− 肉眼による部分月食の食始・食終の時刻判定 −

加藤 賢一(大阪市立科学館理工課)


概 要

 都市光下にあっても月食の観察は手軽にできる。そこで月食・本影食の終始時刻を肉眼的にどの程度の精度で決定できるかを調べることを目的に、1991年12月21日、星の友の会の会員51名による部分月食の集団観察を行なった。その結果、予報時刻と比べ食始は4分早く、食終は1分遅く観察された。2乗平均偏差(rms)はそれぞれ3.9分と4.8分であった。

1.はじめに
 悪条件下にある大都市における天体観察を考える本シリ−ズの三報目として、ここでは肉眼で行なった月食観察の結果を報告する。
 月食は現象自体がドラマチックで、観察者に強い印象を与え、月の運行や太陽との位置関係に興味を抱かせるよい機会であり、学齢期のこども達には是非見せてやりたい。その際、目的意識的に見せることが大事で、欠け方の時刻変化、天球上での位置の変化のスケッチなどがよく行なわれている。ここで行なった時刻の記録も単純な観察法であるが、昔、あまり道具が発達していなかった時代の観察法や測定精度といったものを考えさせてくれる教材ではないかと思う。使用する機器が時計だけというのも簡便であるし、都市光の影響をあまり受けない対象であることも有利な点である。
 月食を見ていつも感じることであるが、食がいつ始まって、いつ終ったのか、よく分からない。予報されている時刻と照らし合わせて観察してみても、食始と予報された時刻にはすでに食が始まっているように見えるし、食終と言っても明確に認めることができない。このような経験はだれでも持っているはずである。
 月食とはそのような性質のものであるが、ではわれわれはどのような瞬間をもって食始・食終と判定しているのであろうか?それは予報に採用されている判定基準とどの程度の整合性をもっているのであろう?また個人によってそれはどの程度の差があるのだろうか?予報時刻との差はどれ位のものであろうか?このようなことを知るためには統計的な処理に耐えうるような数の観察者集団による一様な条件下での観察が必要である。
 1991年12月21日は大阪市立科学館星の友の会の天体観望会の日であった。この晩には部分月食が起こることになっていた。観察者数は必ずしも十分ではないが、統計的処理が全くできないこともなかろうと期待されたので、参加会員による食始・食終の判定を試みることにした。


            表1.1991年12月21日の部分月食のデ−タ
          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           半影食 始  午後 5時25.5分(日本時)
           本影食 始     7時00.0分
           本影食 終     8時06.1分
           半影食 終     9時40.6分
           最大食分   0.093
          −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 以下、その結果と考察を述べる。
 なおこの部分月食の基礎的デ−タは表1の通りである(天文年鑑1991年版)。

2.観察とその結果
 参加者は全部で80名程度で、この肉眼観察に参加したのは60名ほどであった。これまでに月食体験を重ねているベテランは写真撮影にまわってしまったので、観察者の多くは初心者となった。月食は初めてという人も多かった。その点では今回の観察結果はごく普通の人々のそれと見なすことができる。
 観察者は部分月食が起こることをすでに知っており、漠然とであるが、その食始・食終時刻も把握していた。あまり予備知識を与えると先入観を持って見てしまうと思われたので予報値は知らせないように務めたが、食までにはかなり情報が行き渡っていたようである。
 本影食が始まる前、6時30分頃に屋上に移動し、観察を開始した。時刻はあらかじめ当方が用意した壁掛け時計に準拠することにした。そして肉眼で見て、本影食の始まりと終わりを判定してもらうことにした。観察はあくまでも個人の判定基準に従うこと、その独立性を保つため互いに相談しないこと、結果を見せ合わないこと、望遠鏡や双眼鏡で見ないことなどを指導したが、徹底させるのは困難であった。
 表2に結果のまとめ、表3に個々の観察デ−タを示す。52名が最後に観察カ−ドを提出してくれた。そのうち始終のデ−タが揃っているのは48名分、そのうちデ−タ記入ミスではないかと思われるのが1例あった。


                 表2.結果のまとめ
            ------------------------------------------------------
      事  象    単純平均  2乗平均偏差   dT   デ−タ数
            ------------------------------------------------------
      食  始    6時55.7分     3.9分     -4.3分     50
      食  終    8時06.8分     4.8分     +0.7分    49
      継続時間   1時11.3分     6.7分     +5.2分    47
            ------------------------------------------------------

                表3.個々人の観察結果


2−1)食始
 食始の観察結果50デ−タをヒストグラムにした(図1)。



                図1.食始時刻の分布

 最も早く食始を認めたのは6時29分のデ−タであるが、これはデ−タの記入ミスと思われるので無視することにすると、6時45分の2例が最も早く、7時1分が最終で、その幅は16分である。全デ−タを単純平均すると6時55.7分となり、その2乗平均偏差(rms)は3.9分で、ほとんどデ−タは8分の時間幅に分布している。頻度の大きなところが3ケ所ほどに分散し、一つは単純平均値、一つは予報時刻に位置している。6時58分に撮影した写真があるので比較していただきたい(写真1)。肉眼による観察と写真では様子が違っているので一概に比較できないが、多くの観察者がすでに食に入ったと判断した後の写真である。そして全員が食開始と認めた後の7時2分の写真が写真2である。



    写真1.食始2分前.18時58分      写真2.食始2分後.19時02分
        撮影三村祥子              撮影北原誠治

 なお予報時刻は表1のように7時0.0分であった。ちょうど切りよく記憶しやすい時刻であったため、予断がはたらく余地はなかったか?7時のピ−クが気になるところである。
2−2)食終
 食終の観察結果49デ−タをヒストグラムにした(図2)。




                図2.食終時刻の分布

 7時54分から8時19分までの25分幅がある。単純平均は8時06.8分、分散は5分ほどで、ガウス分布型に近い形となっており、食始の場合とだいぶようすが違っている。食終の予報値は8時6.1分で、観察された平均値との差は1分以下である。
 食終前後の写真は写真3と4である。撮影者は同時刻に露出を変えて2枚撮影しているが、それをよると適正露出では肉眼で見た場合よりも大きく欠けているように見える。露出オ−バ−気味の方がより肉眼で見た場合に近いようである。









    写真3.食終4分前.20時03分      写真4.食終3分後.20時10分
        撮影三村祥子              撮影三村祥子


2−3)継続時間
 継続時間は53分から1時間23分まで分布し、単純平均は1時11.3分となった。予報値は1時06.1分である。70分ほどの平均値に対し、その幅が30分ということで、個人によるばらつきがずいぶん大きいが、rmsは7分以下で、意外に小さい。


                図3.継続時間の分布

3.さいごに
 単純な観察法であったので、得られた結果は以上ですべてである。
 食始と食終では観察結果の分布が異なっているのが特徴の一つで、食の始まりの分布が分散していることから、月食に際して観察者がとまどっている様子がうかがえる。食の始まりを判断しろと言われても明確な基準が示されていたわけではなく、どこをもって始まりとするか、迷った結果が出ているように見える。食始では予報値の7時0分に1つの集中が見られるが、これはある種の先入観、あるいは学習経験からきているかも知れない。
 一方、食終になると分散は大きいものの集中は1つで、予報値に極めて近い結果となった。食始を観察したところ欠け際が不明確であることが明らかになり、それを前提とした判断基準が各人にできたのではないか?もっとも分布の幅は広がっているので、ガウス的分布になったのは偶然と見るべきかも知れない。
 しかし、結果は全般に予報値に大変近かったわけで、これは筆者の予想を裏切るものであった。これまでの経験から見て予報値より早く欠け始め、予報値より遅くまで欠けていると観察されるのではないかと期待していたのである。今回の結果は、筆者の判定基準が相当ずれたものであったらしいことを示している。
 江戸時代、月食観測から暦の精度を調べようとしていた人々は10分の誤差できまればよしとしていたという(嘉数学芸員による)ことであるが、50名規模の集団では5分以内で決まることが分かった。

 月食デ−タ取得については表3に掲げた友の会会員の方々のお世話になった。ご協力に感謝申し上げる。また写真を提供していただいた三村祥子・北原誠治両氏には重ねてお礼申し上げたい。

                   参考文献
天文年鑑:1991年版,誠文堂新光社,p.70


1.基礎デ−タ

会員番号   食始    食終    継続時間
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
3070  6 58  8 06   1  8
菊岡    6 59  8  8   1  9
3160  6 59
2779  6 56  8 19   1 23
2597  6 60  8 10   1 10
      6 56  8 12   1 16
2374  6 56  8 11   1 15
伊賀並   6 53  8 12   1 19
1573  6 55  8  8   1 13
3168  6 50  8 10   1 20
3168  6 60  8 10   1 10
村田    6 45  8  8   1 23
村田    6 51  8  8   1 17
3213  6 54  8  7   1 13
3213  6 50  8  8   1 18
3230  6 55  8  8   1 13
2749        8  6
2124  6 56  8  8   1 12
高椋    6 55  8  5   1 10
2684  6 56  8  6   1 10
3241  6 45  8  7   1 22
2754  6 59  8  6   1  7
42才   6 60  8  0   1  0
3240  6 60  8  5   1  5
3218  6 54  8  4   1 10
広瀬    6 56  8 −4   1  0
三島    6 50  8 −2   1  8
谷 北斗  6 61  8 −6   1 −7
3160  6 54
3160  6 61
3213  6 56  8  1   1  5
3213  6 52  8  2   1 10
2604  6 61  8  3   1  2
3148  6 58  8  3   1  5
武田    6 60  8  4   1  4
村田    6 55  8  4   1  9
大久保   6 53  8 10   1 17
3240  6 60  8  4   1  4
松本    6 57  8  6   1  7
谷     6 59  8  7   1  8
3167  6 55  8  2   1  7
小野木   6 59  8  5   1  6
村田    6 54  8  2   1  8
藤田    6 50  8  7   1 17
加藤    6 50  8  7   1 17
     (6 29) 8 10  (1 41)
渡部    6 55  8  8   1 13
3226  6 58  8 15   1 17
16才   6 60  8 10   1 10
2639  6 55  8 15   1 20
2732  6 55  8 13   1 18
3213  6 53  8 14   1 21
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
全52デ-タ  51デ-タ  49デ-タ   48デ-タ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
単純平均  6 55  8  7   1 12
      (6:55.22)  (8: 6.78)   (1:11.88)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
()のデ−タを除いた単純平均
      6:55.74   同上     1:11.26
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

2.食始
 51 デ−タ

 ヒストグラム
      時  分  数
    −−−−−−−−−−−
6 29:  1

6 45:****                    2
6 46:
6 47:
6 48:
4 49:
6 50:**********              5
6 51:**                      1
6 52:**                      1
6 53:******                  3
6 54:********                4
6 55:****************        8
6 56:**************    平均    7
6 57:**                      1
6 58:******                  3
6 59:**********              5
7  0:**************          7
7  1:******                  3
    −−−−−−−−−−−     
       計   51


      6 29     1
      6 45     2
      6 50−51  6
      6 52−53  4
      6 54−55 12
      6 56−57  8
      6 58−59  8
      7 00−01 10
 
3.食終
    −−−−−−−−−−−−−
      8 −6   1
      8 −4   1
      8 −2   1
      8  0   1
      8  1   1
      8  2   3
      8  3   2
      8  4   4
      8  5   3
      8  6   5
      8  7   5
      8  8   8
      8 10   6
      8 11   1
      8 12   2
      8 13   1
      8 14   1
      8 15   2
      8 19   1
    −−−−−−−−−−−−−
            49

      8  0以前    4
      8  1− 2   4
      8  3− 4   6
      8  5− 6   8
      8  7− 8  13
      8  9−10   6
      8 11−11   3
      8 13−14   2
      8 14−15   3
      8 16−     1

 
8 −6:**                      1
8 −5:
8 −4:**                      1
8 −3:
8 −2:**                      1
8 −1:
8  0:**                      1
8  1:**                      1
8  2:******                  3
8  3:****                    2
8  4:********                4
8  5:******                  3
8  6:**********              5
8  7:**********          平均  5
8  8:****************        8
8  9:
8 10:************            6
8 11:**                      1
8 12:****                    2
8 13:**                      1
8 14:**                      1
8 15:****                    2
8 19:**                      1



4.継続時間

 −−−−−−−−−−−−
   1 −7   1
   1  0   2
   1  2   1
   1  4   2
   1  5   3
   1  6   1
   1  7   3
   1  8   4
   1  9   2
   1 10   7
                ← 平均
   1 12   1
   1 13   4
   1 15   1
   1 16   1
   1 17   5
   1 18   2
   1 19   1
   1 20   2
   1 21   1
   1 22   1
   1 23   2
  (1 41)  1
 −−−−−−−−−−−−
         48



   〜1 0      3
   1  1−5    6
   1  6−10  17
   1 11−15   6
   1 16−20  11
   1 21−25   4
   1 26−     1


〜1 0 :***                      3
1 1-5 :******                   6
1 6-10:*****************       17
1 11-15:******                   6
1 16-20:***********              11
1 21-25:****                     4
1 26- :*                        1