電気科学館写真集

電気科学館外観。1937年開館当初。南西より

電気科学館外観夜景。1937年開館当初。南西より

 

 

電気科学館外観。1937年開館当初か。南東より

電気科学館外観。1985年頃。東のホテル日航より

 

 

プラネタリウム案内

プラネタリウム・パンフレット第1号。1937年。

 

 

プラネタリウム・パンフレット第2号。1937年。

展示場パンフレット第1号。1937年。

 

 

東久邇宮。1937年3月4日来館。屋上の大地球儀の前で。 近衛秀麿。1937年4月来訪。6月に第一次近衛内閣を組閣

 

 

1階市電の店。1937年。

5階展示場。X線の実験装置、クルックス管など。1937年。

 

 

山本一清京都帝大教授の講演会。1940年頃。山本がプラネタリムを大阪市に提案して実現させた。その後、解説員の斡旋や講演会での講師など、側面からの援助を惜しまなかった。山本こそ日本へプラネタリウムを紹介し、導入した立役者であった。 屋上での太陽観望会。

 

 

電気科学館正面、市電の店のショーウィンドー前で。1937年頃。

解説員原口氏雄の著書「星と兵隊」表紙。1943年発行。原口は初代の解説員で、一時、東京の東日天文館で指導していた。後に大阪府茨木市の市会議員となり、茨木市にもプラネタリウムを導入した。

 

 

1958年、オーバーホール。五島プラネタリウムの開館のため来日していたドイツ・ツァイス社の技術者を招いた。写真、一番左は神田壱雄(かずお)、ドイツ人技師の右横に佐藤明達(あきさと)、佐伯恒夫。

プラネタリウム・ツァイスU型。1960年。

 

 

1954年頃。第一次展示改装後。東より見る。

1954年頃。第一次展示改装後。

 

 

1954年頃。第一次展示改装後。南東より見る。

1970年頃。屋上での観望会。

 

 

1987年。プラネタリウム少年手塚治虫が熱く語る。 1989年5月、52年の活動の後、閉館となる。