加藤賢一 データセンター

奥田 毅著「私の物理年代記」 

内田老鶴圃、2001年

定価2300円+税

 1908年生まれの著者が歩んだ物理学の世界を紹介する自伝。
 黎明期の東北帝国大学物理学科を卒業し、新設された大阪帝国大学物理学教室に勤務し、戦後、大阪市立大学物理学教室の立ち上げに関係した後、岡山理科大学長として歩んだその道程は、わが国の物理学の歩みと相当部分が符合する。中でも、著者が勤務していた大阪大学物理学教室の歴史はわが国の原子核研究の歴史と言えるほどで、著者も1940年代に質量分析器を製作し、実用化するという大きな成果をあげ、その歴史の一頁を飾っている。本書で、特に原子爆弾開発のエピソード紹介にページを割いているのも頷ける。また、湯川秀樹とは同僚として過ごし、中間子論の形成を目撃した一人である。物理学が次々と自然の秘密を暴きだしてくれた麗しい時代の一断面を紹介してくれており、楽しく読むことができる。

 大阪市立科学館は、著者奥田先生が勤務されていた大阪大学理学部の跡地に設置されている関係で、大阪大学物理教室の歴史に関心を持たざるを得ないし、大阪市立大学物理学教室にはいろいろご協力をいただく関係であり、また、私個人としては出身大学が著者と同じこともあって、本書の内容にいちいち頷くことが多い。若き日の一柳寿一先生(元東北大学天文学教室教授、42年間国立大学の教員を勤めるという最長記録を有している)のプロフィールなどは珍しい。

 大阪市立科学館の元館長の中野董夫先生は、中野・西島・ゲルマンの法則や相対論の研究等で高名な方であるが、大阪大学から大阪市立大学へと、著者奥田先生と経歴が重なっているところがあり、奥田先生のエピソードをいろいろ伺う機会があった。奥田先生の暖かい人柄やその交流などについて微笑ましいお話がたくさんあったが、残念ながら本書にはそのあたりのことはあまり触れられていない。これは、おそらく、「物理年代記」を意識されてのことであろうと思われるが、まあ、その辺りのことは裏話として、そっとしておくのが良いのかも知れない。

 物理学も人間の営みであることがほんわかと伝わってくる。数式に疲れた方々におすすめである。