加藤賢一データセンター

F型星プロキオンの大気構造

2.吸 収 線 の 形 成 と そ の 解 析  28
      2-1) 放射の伝達  ……………………………………28
      2-2) 吸収係数  ………………………………………30
      2-3) サハの電離公式とボルツマンの式  …………32
      2-4) モデル大気  ……………………………………33
      2-5) 等価幅再現法とスペクトル合成法 


2.吸 収 線 の 形 成 と そ の 解 析 

2−1)放 射 の 伝 達 

 恒星大気中での放射の伝達の定式化はほぼ完成しており、今までに多くのテキストが作られている (例えば Unsold 1955, Ambartsumyan 1958,Chandrasekhar 1960, Aller 1963, Mihalas 1978)。ここでは概略を記しておこう。
 考える大気は平行平面(plane-parallel)とし、各深さ点における物理量は深さだけの関数であってその場で確定するものとする。
 大気の中の厚さ ds の薄い層を考える。任意の幾何学的な深さx(表面から計る)における吸収係数をk とすると

                                    x
           τ = ∫k ρds             (1)
                                   0

によって光学的深さ(optical depth) が定義される。ρは質量密度(g/cm3),k は振動数νにおける単位質量当りの全吸収係数 (真の吸収と散乱の和)である。
 放射の強度(単位時間当り、単位面積当り、単位振動数当り、単位立体角当りを流れるエネルギ−量)をI とすると放射の伝達方程式は

                        I(μ,τ )
        μ -------------- = I − S       (2)
                        τ

となる。 μは大気面と放射のなす角の方向余弦で、S は次で定義される源泉関数(source function) である。

          S = j /k          (3)

ここでj は物質 1g当りの発光量である。厳密な局所的熱力学平衡(LTE)を仮定すれば散乱項が無視できて

           S = B (T)              (4)

となる。ここでB はプランクの黒体放射の式である。散乱が重要な場合には Milne-Eddington 型の源泉関数

           κ             σ
      S = ------- B + ---------J          (5)
           κ + σ           κ + σ

を考えなければならない。J は平均強度(mean intensity) とよばれていて

        1               1     1
 J(τ)= ----∫I(τ ,μ)dω = ----- ∫I(τ ,μ)dμ  (6)
      4π 全立体角        2   -1

で定義される。 あらゆる方向についてのI の平均量である。エネルギ−流束は放射強度I の大気に垂直な方向の成分の平均量として定義され

                   1
(τ)= ∫I(τ ,μ)μdω = 2π∫ I(τ ,μ)μdμ  (7)  
    全立体角          -1

と書かれる。
 そして伝達方程式の解は次の通りである。

                         1   ∞
     J(τ )= --- ∫S(t)E1|τ −t|dt     (8)
                        2   0

             ∞
     F(τ )=2π{∫S(t)E2(t −τ )dt
             τ

               τ
             −∫S(t)E2(τ −t )dt|  (9)
               0
          ≡ π F (τ )、

Em はm次の指数積分(exponential integral)

             ∞
       Em(x)=∫exp(-xt)・t-m dt          (10)
             1

である。
 (8),(9)式で源泉関数に黒体の放射公式B をとると容易に解くことができる。B は温度Tのみの関数であるから、S = B の場合、大気の温度構造が分りさえすれば放射場は決ってしまう。
 観測との比較を考えた場合にわれわれが欲しいのは、大気表面での外むきの流束である。それは(9)式で τ =0 とおいて

              ∞
       F(0)= 2 ∫S(t)E2(t)dt        (11)
              0

となる。実際の数値計算の場合、この積分の実行は通常のシンプソンの公式で行なってもよいし、Cayrel(1960) の6点公式や Norton の公式 (Mihalas1967) などを用いればよい。
 LTEでの線スペクトルの伝達方程式は(1)で定義した光学的深さに吸収線の吸収係数(複数の線でもよい)を加えて

              x
         τ = ∫(k +χl)ρds          (12)
              0

とし、表面での流束は

             ∞
      F(0)= 2∫B [T(τ )]E2(τ )dτ    (13)
             0

で計算すればよい。これを充分密に分布するνの値について見積もればスペクトル線の輪郭が得られ、ある適当な連続部((12)式でχl=0 とおけばよい)の流束で規格化したものを積分すれば等価幅が得られる。

2−2)吸 収 係 数 

 線スペクトル (bound-bound transition) に対して背景としてはたらいている不透明度源のうち吸収の方は水素以下の各元素の束縛−自由遷移と自由−自由遷移から成っている。F型星の可視領域で最も強いのは中性水素原子の束縛−自由遷移で、これだけ考えればよい場合も多い。散乱としては中性水素原子のレイリ−散乱が効いて、自由電子のトムソン散乱はあまり大きくない。 このような不透明度を Unsold (1955) が図示しているが、現在ではCarbon and Gingerich (1969)や Kurucz (1970) のまとめた公式を使えば比較的容易に見積もることができる。
 一方線吸収係数χlは

           π^1/2e^2f
       χl =------------- H(a,v)          (14)
            mcΔν

と表わすことができる。なおeは素電荷量、fは振動子強度、mは考えている原子の1原子あたりの質量、cは光速である。H(a,v)は吸収線の輪郭を表わす Voigt 関数でダンピングに関係した量aと線中心から測ったある波長点までの距離に関係した量vの関数として次のようになっている:

              +∞
            a    exp(-y^2)
     H(a,v)= ----∫--------------dy       (15)
            π  (v-y)^2 + a^2
              -∞

量a、vは次のように定義されている:

       a=(Γ/4πΔνD)           (16)
      v=(ν−ν0)/ΔνD

ν0 は考えている波長点の振動数、ΔνD は Doppler 幅で

         ΔνD=ξ0ν0/c         (17)

である。 vは線中心からの距離をΔνDを単位に測ったもの、Γはダンピング定数、ξ0 は速度場を表わし、熱的な速度と小規模乱流速度ξt を用いて

          ξ02 =(2kT/m)+ ξt2         (18)

と書かれている。kはボルツマン定数である。

【ダンピング定数について】
 本論文で示すような吸収線の解析ではダンピングは重要な役割を負っている。 等価幅が 80 mA ぐらいより大きい中程度ないしはそれより強い線の場合には特にそうで、過去に行なわれたCOGの解析などから経験的に古典的な定数の10倍をとればよいと言われているが、 最近の Gurtovenko andKondrashova (1980) や van Rensbergen and Deridder(1980)、Gurtovenkoet al.(1982)、Simmons and Blackwell(1982) などの研究によれば Fe I でも古典的なダンピング定数の 50 〜 200 倍ほどの値をとらなければならない場合があることが示されている。このように大きな値は主に高い励起状態から発する線に見られる現象(van der Waals 項への補正として)であるが、精密な解析にあたっては個々の吸収線にできるだけ合理的なダンピング定数を選ぶ必要がある。
通常の金属線の解析には放射ダンピング、電子によるシュタルク効果、中性の水素原子による van der Waals ダンピング の3つを考えている。放射ダンピングは全レベルの遷移確率が分れば一応の評価ができるが、多くの場合実験値を用いている。それが不可能ならば古典的なダンピング定数

     γcls = 0.2223 × 108/λ2 [λ in μm]     (18)

で代用する。
電子のシュタルク効果はF型星ではそれほど大きくない。Allen(1976) によればそのダンピング定数は

       γ4 = 39 C42/3v1/3Ne             (19)

となっている。ここで v は電子の平均速度、Ne は電子の数密度、C4 は相互作用定数で、通常はスペクトル線が電場で変移する実験を行なって求める。
 中性水素の多い太陽やF型星では van der Waals ダンピングの効果は大きい。これは

       γ6 = 17 C6^(2/5)v^(3/5)NH            (20)

と書かれる。NH は中性水素原子の数密度、C6は相互作用定数である。C6の値として Unsold (1955) の双極子近似の式

                                       13.6 Z   
        C6 = 1.61 × 10^(-33) ( --------------)^2       (21)
                                    χr − χr,s

がしばしば使われている。 ここで χr は電離ポテンシャル、χr,s はレベルsの励起ポテンシャル[eV]、Zは電荷(中性で Z = 1、1階電離で Z =2)である。 今までの研究によるとこのこの Unsold の公式は一般に観測された等価幅を説明するには小さく、一桁ほど大きくとらなければならないこともある。その増加の程度は個々の吸収線について決めなくてはならず、煩雑であると共にあいまいさを残すことにもなっている。 ソ連の Gurtovenkoand Kondrashova (1980) は Fe I について平均としてC6の増分を10倍、ダンピング定数で 2.5 倍にとることを主張している。

2−3)サ ハ の 電 離 公 式 と ボ ル ツ マ ン の 式 

 考えている吸収線は電離状態rにある原子の下のレベルmから上のnへの遷移によってできるとする。その強度を評価するにはまず電離状態rにある原子の数を求め、さらにその中でレベルmまでに励起されている原子数を決めなければならない。これを熱平衡を仮定して求めるのがサハの電離公式であり、ボルツマンの式である。
 ここでrとr+1の二つの電離状態を考え、それぞれの状態にある原子の数密度を Nr と Nr+1 としよう。すると

        Nr+1 Pe      (2πme)3/2 (kT)5/2    2Ur+1
   ---------- = ------------------- --------e^(-I/kT)    (22)
            Nr         h3                    Ur

となるというのがサハの電離公式である。Iは電離ポテンシャル、hはプランク定数、kはボルツマン定数、Uは分配関数、Pe は電子圧、Tは温度、me は電子の質量である。
 またレベルmにある原子の数Nr,m は、その原子全体の数Nr に対して

        Nr,m        gm
      ------- = ---- exp(-χm/kT)           (23)
         Nr           Ur
 
である(ボルツマンの公式)。χm は励起ポテンシャル、gm はレベルmの統計的過重である。

【電離平衡】
 本論文では以下しばしば電離平衡という名称が登場するのでその定義を明確にしておきたい。
 ここで言う電離平衡とは、対象としている恒星のモデル大気として選ばれたあるモデルに基づいて計算された各元素の電離度が現実の観測と一致している状態、のことを指している。  鉄を一例にとってみよう。プロキオンのスペクトルには中性鉄の吸収線と一階電離鉄の吸収線が観測される。もし選ばれたモデル大気が適切でかつサハの電離公式が成り立っていて、さらに他の種々の仮定も正しければ中性鉄の吸収線から求められた鉄の元素量と一階電離鉄の吸収線から求められた値は一致するはずである。このような状態を電離平衡に達していると言うことにする。
 しかし、3章(§3−2)で見るように、実際に解析を行なったところ電離平衡に達していない元素が見つかった。吸収線の等価幅やモデル・パラメ−タの選択に誤りがあるようには思われないので、一見しただけではその原因が分らない。そこでこの現象を電離平衡の矛盾と呼ぶことにする。

2−4)モ デ ル 大 気 

 モデル大気(ここでは文脈上、大気モデルとよぶこともある)の計算法については2−1)に挙げた諸文献に詳しいので概略を記すにとどめる。モデル大気とは大気の物理的な構造、すなわち大気中のある深さのところで温度や圧力などの物理量を理論的あるいは経験的に推定したものである。局所的熱力学平衡であり放射平衡といった条件ないしは仮定をおいて、放出される総エネルギ−量に相当する有効温度、大気の物理的な厚さを規定する表面重力加速度、電子の供給源及び放射の吸収源となる水素以下の各元素の量という3つのパラメ−タを与えて静力学的平衡の式と上に記した放射の伝達方程式を同時に解けば理論的な大気モデルが得られる。今までに多くの恒星の研究者がモデル大気の計算に力をそそいできており、成果は Pecker (1965)、Carbon(1979)がまとめている。
 低温度星を除くと 1979 年以降は本質的に新らしい計算は行われていないように見える。それは Kurucz (1979a) の発表した膨大なモデル大気の表に付け加えるべきものが当面見当たらないからと思われる。本質的な改良を行ったり、独自に定式化しプログラムを作成するには甚大なマンパワ−と途方もない時間と費用を要するからである。観測との対比では色指数や太陽の放射流束が合わないといった欠陥も指摘されている(Kurucz 1979b)が、多くの場合この Kurucz モデルは大きな矛盾は示していない。
 なおプロキオンに限定したモデル大気は前に挙げた Edmonds (1964) の他に Strom and Kurucz (1966) が論じているが、 これは Kurucz の 1979 年の論文に集約されるものである。
 この解析では Kurucz (1979a) のモデル大気を使うことになるのでもう少し詳しくこれを見てみよう。先に背景の吸収源として束縛−束縛遷移、つまり線の毛布効果を無視したが、本来は考慮すべきものである。イオンを含む原子の吸収線の重要性(特に紫外線において)は前から分っていたが、水素のバルマ−系列などの少数のものを別として従来の理論計算では計算技術の点で考慮することができなかった。それは吸収線の数の多さだけを見ても理解できることであろう。ATLAS6と呼ばれるプログラムによって算出された 79 年のモデルの特徴は約100万本にのぼる原子の吸収線を考慮した毛布効果モデルであることである。彼はそのために実験的に得られていた吸収線のデ−タを集めたのは勿論、遷移確率の計算も独自に行っている(例えば Kurucz and Peytremann 1975, Kurucz 1981)。 1966 年、上記のプロキオンの大気モデル(Strom and Kurucz 1966) に2万本を越える吸収線を入れたのが初めての本格的な毛布効果モデルの計算であった。この点からもプロキオンが恒星物理学に占める位置が分るであろう。
さてこの Kurucz モデルは有効温度 5500 〜 50,000 K、重力加速度 1.0〜 4.5、太陽に相対的な金属量は 1 〜 1/100 の範囲をカバ−している。対流による影響はそれまでの定式化(たとえば、Mihalas 1978)に比べて低くでる傾向があるので、 圧力のスケ−ル・ハイトに対する混合距離 (mixinglength)の比 l/H を通常より大きい2にとっている。

2−5)等価幅再現法とスペクトル合成法 

 モデル大気が与えられて大気の物理的構造が定まり、考えている吸収線のgf値や励起ポテンシャル、ダンンピング定数などが与えられると吸収線の強度を決めることができる。残された要因は原子の数密度である。元素量解析の際には原子の数密度を未知の変数とし、観測された吸収線の強度との比較からそれを決めてやるわけである。
 吸収線の強度としては半値幅や底部の深さなどをとることもできるが、これらは恒星表面の大規模乱流や自転、観測機器の影響(instrumental broad-ening、以下IBと略記する)などを受け易く、 等価幅に勝る強度の指標は見つからないようである。
 ではどんな場合にも等価幅を測定すれば事足りるか、と言えばそうはいかない。恒星のスペクトル線の場合には多かれ少なかれ他の線がブレンドしていると見ておかなけばならない。そのような場合、ブレンドしている線の影響を見積るのは決して容易ではないが、それでもその線を問題にしなければならないという時には等価幅はあまり意味を持たなくなって、線の輪郭を直接の対象としなければならない。つまりたくさんの吸収線が混みあった状態を再現し、観測されたスペクトルと合うような元素量を試行錯誤で探していくのである。これがスペクトル合成法の原理である(2−1を参照のこと)。ブレンドと似た現象に超微細構造(hyperfine structure, 以下 hfs と略記する)によってスペクトル線が幾本かに分裂し吸収線が広がって見えるということがある。この分裂は時としてドップラ−・コアの幅より狭いことがあり、いくら分光器の解像力を上げても分解不可能なことが多い。従来 hfsの扱いは Abt (1952) にならって一種の速度場が加わったものと近似するのが通常であったが、やはり分裂した状態をそのままの形で扱うべきものである(Booth and Blackwell 1983, Whaling et al. 1985, Kato and Sadakane1986)。それを技術的に可能にするのもスペクトル合成法である。
この方法はまったく放射理論通りの原始的な方法であるにもかかわらず実用化されなかったのは、等価幅再現法が簡便でかつ強力な方法であるので他の方法を使う必要がなかったということの他に技術的な問題があった。一つは関与している吸収線を完全にリストアップしきれないという吸収線リストの不完全性の問題である。これは容易に解決する問題ではなく、Kurucz andPeytremann (1975) のようなスペクトル線のリストアップの仕事を気長に続けるしかない。そしてもうひとつは計算の煩雑さと観測との比較の問題である。観測との比較を容易に行なうには線輪郭をディジタル化して計算機にとりこむか、計算結果をプロッタ−に出力して比較するなどという方法をとった方が良い。また試行錯誤で答えを見つけるのであるから計算時間もかかるし、手間もかかる、というわけである。
 しかしスペクトル合成法に懐疑的な研究者もいる。Grevesse (1966,1969)は Kachalov (1963) が行なった太陽のビスマス Bi 線の同定が間違っていたことを見つけ、その原因が機器の影響IBの効果を大きく受けているスペクトルを扱ったために起ったと結論した。このような質の悪いスペクトルでは元来の放射流束の強度分布はひどく変質しており、単に元のスペクトルを"ぼかした"ものとは言えず、本来吸収線のでないはずのところに出てしまうという現象が起こる。こんな場合にはスペクトル合成法は無力である、というわけである (Grevesse 1985)。これは確かに彼の言う通りであって、スペクトル合成法は波長分解能とS/N比が高い充分に質のよいスペクトルの解析において真価を発揮するものである。
 そこで図2−1に機器の影響IBの効果を例示した。太陽のユトレヒト・アトラスのIB幅(FWHM)は約 37 mA、プロキオン・アトラスは約 25mA である。
 本解析においては主として等価幅から元素量を求めるが、極めて微弱な希土類元素の吸収線を扱うところではこのスペクトル合成法を用いている。

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図2−1.観測機器の影響IBによって広がる吸収線の計算例.
   IBはガウス分布型のフィルタ−と同じ効果であるとして
   計算した。左上は純粋な恒星表面での放射流束で、強い線
は飽和している。IBが効いてくると三角形化し、微細な
線は消えてゆく
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(2章 終り)
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