1.星座早見盤の歴史とアストロラーベ
2.星座早見盤のいろいろ
3.星座早見盤の使い方と機能
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写真 | 解説 |
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日本天文学会では、発足当初から早見盤を編集し、出版社を通じて販売している。最も古いものは、1907(明治40)年9月初版発行のもののようである。ただし、学会は翌1908(明治41)年4月に正式に発足しているから、この早見盤は発足準備段階の時点で学会の名を冠し発行したものと考えられる。編集は平山信。天文学会発行の早見盤で編者の名があるのはこれだけである。 この早見盤については、『天文月報』1908(明治41)年9月号(Vol.1,No.6)に広告が出ている。 写真のものは、1942(昭和17)年発行の第67版。 |
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戦後には、1951(昭和26)年に改訂版が発行されている。デザイン的には戦前のものと大差はないが、朝夕の薄明線、経度補正目盛、10日毎の天球上の太陽の位置などが追加されている。 |
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1958(昭和33)年には大改訂が行われ、全体の形が円形になり、星図部が金属製、窓部がプラスチック製になった。 その後、1972(昭和47)年、1986(昭和61)年にも改訂され、現在に至っているが、総プラスチック製になったことと、デザインが少々変更された程度で、基本的な部分は1958年のものと同じである。 |
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円筒形の早見盤(早見筒というべきか)は割合早くからあったようだが、製品化されたものはあまり見かけない。最近では、ジュースの空缶などを利用するキットなどが見受けられる。 |
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1929(昭和4)年発行。厚紙布張り二つ折りの豪華なつくりである。編集は天文同好会(現在の東亜天文学会)の宮森作造。この早見盤は、1929年8月に初版発行の後、同年12月には第4刷が発行されている。当時における早見盤の需要の一端をうかがうことができよ 1929(昭和4)年発行。厚紙布張り二つ折りの豪華なつくりである。編集は天文同好会(現在の東亜天文学会)の宮森作造。この早見盤は、1929年8月に初版発行の後、同年12月には第4刷が発行されている。当時における早見盤の需要の一端をうかがうことができよう。 |
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全天型早見盤では、赤緯が低い領域の歪みが大きくなる。そこで、北天と南天を分離し、北と南の空をそれぞれ見やすくする工夫がされるようになった。これはその一例で、南北分離型で、表面が北天、裏面が南天の星空を表示するが、その窓の形が特徴的である。 学校の副教材としてつくられたものと思われるが、発行年など詳細は不明。 |
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空全体ではなく、ある特定の星座や星の見え方を表わす早見盤も各種ある。特に北斗七星やカシオペヤ座の見える位置を知るものは、「星時計」としてかなり古くからあったといわれるが、実際に商品として市販されたものはあまり見かけない。 写真のものは、第二次世界大戦の戦前か戦時中ころのものと思われる。 |
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1948(昭和23)年発行。ブックタイプになっていて、ページを閉じるとその時に見える星空が表示される。 |
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発行年、発行者、著者、売価などは不明。先述の『星座案内』と同様、ブックタイプになっている。星座のイラストなども描かれており、色もカラフルで美しい。小学校の副教材として作られたものか。 |