なにわの天文・史跡めぐり




写真:時の鐘(中央区釣鐘町)


★時を告げる鐘 -中央区釣鐘町-★
 地下鉄谷町線と京阪電車が交差する天満橋駅から南へ行くと、中央区釣鐘町という名の小さな区域があります。その一角には、町名の由来となっている釣鐘をおさめる鐘楼があります。この鐘が、江戸時代を通じて大阪の民衆に時を告げた「時報の鐘」です。
 この鐘は、江戸時代初期の1634(寛永11)年に作られ、その後4回にわたって焼失しましたが、その度に再建され、1870(明治3)年に廃止・撤去されるまで、大阪町人に時を告げました。その後、釣鐘は転々と場所を移されましたが、1985(昭和60)年に里帰りを果たし、釣鐘屋敷跡地である現在の地に落ち着きました。現在、この釣鐘はコンピュータ制御により、1日3回、無人で鳴らされています。
 江戸時代、時はどの様に管理されていたのでしょうか。幕府の天文方たちは、天体観測の必要から保時を行っていました。特に19世紀以降の天文方は、毎日の太陽観測と機械時計(垂揺球儀)から正確な真太陽時の保時を行なっていた事がわかっています。
しかし、全国各所で時を告げる鐘を持っていたお寺やお城、各地の釣鐘屋敷などでは、どうだったのでしょうか?実は、そのあたりの様子はよくわかっていません。いくつかの本によると、機械時計(和時計)や香時計を用いたり、寺の庭先の日影の位置に基いたという例があるとの事ですが、詳しいことはわかりません。これは私見ですが、太陽南中の観測などによる正確な保時まではしておらず、釣鐘による時報もある程度の誤差を持っていたと思っています。