なにわの科学と技術・史跡めぐり


写真:大阪舎密局跡地碑


★大阪舎密局跡地碑とK.W.ハラタマ博士像(大阪市中央区大手前4丁目)★
 「舎密局」と書いて「せいみきょく」と読みます。「舎密」は、オランダ語で科学を意味するChemieの当て字です。
 大阪舎密局は、日本最初の理化学専門学校として1869(明治2)年に開校した学校です。 教頭にはオランダ人の科学者ハラタマ(K.W.Gratama:1831〜1888)が迎えられ、西洋の近代化学・物理学を主とする講義と実験の授業が行なわれました。舎密局での講義録は、『舎密局開講之説』、『理化新説』、『物理日記』、『化学日記』などとして出版されている。
 舎密局はその後名称を変更されるなどし、1872(明治5)年にその役目を終えたが、その流れは京都の第三高等学校から京都大学に受け継がれています。
 この跡地碑は1979年に建立されました。また2000年の秋には日蘭交流400年の記念として、舎密局の跡地碑の横に、新たにハラタマの像が建立されました。


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【資料1:史跡 舎密局跡碑に刻まれた文面】

史跡 舎密局跡

明治二年五月一日政府はこの地に物理化学を専攻する舎密局という学校を開設した。この場所はその遺跡の一部である。 この学校はその後度々名称を変えて明治十九年第三高等中学校となり明治二十二年八月京都市吉田に移り明治二十七年九月から 第三高等学校となった。現在の京都大学の教養部である。この樟樹は舎密局の生徒が憩う緑陰として当時からあったという。
         昭和三十四年四月三十日府指定
昭和五十四年十二月
    大阪府教育委員会
    三高同窓会建之

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【資料2:ハラタマ博士像に刻まれた文面】

  「K.W.ハラタマ博士」
    Dr. Koenraad Wolter Gratama(1831〜1888)   

明治二年(一八六九)五月大阪府によりオランダ人化学者クーンラート・ウォルテル・ ハラタマを教頭とする舎密局(せいみきょく)がここから二百メートル北の大手前通 一帯に開設された。舎密とは化学の意である。舎密局は明治維持代のわが国で最初 に開かれた理化学校で、ハラタマによりこの国の近代化に必須の自然科学の教育が 行なわれた。日本の初期の化学研究の多くはこの舎密局に端を発している。舎密局 はその後、理学校と改称され、明治五年に閉校されてその任を終えたが、その流れ から京都舎密局、大阪試薬場、第三高等学校が生まれた。日蘭交流四百年を記念し て、ここに日本の化学の父ハラタマ博士の像を遺し、その功を永世に伝えたい。