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第二編 気界 |
| 第一章 大気の成立 |
| 第二章 気温 |
| 第三章 大気と人生 |
| 第四章 大気の運動 |
| 第五章 雨雪 |
| 第六章 怪雨 |
| 第七章 視学的現象 |
| | 落雷及雷光 |
| | 球状電光又は人魂 |
| | 球状電光の実例 |
| | 奇怪なる原野電光 |
| | セント・エルモー火 |
| | 人体より発する電光 |
| | 霧の発光 |
| | 氷雪より放つ燐光 |
| | 鬼火又は幽霊火及光木 |
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墓地・戦場若くは卑湿(ひしつ)なる地に於て、屡々(しばしば)薄青色或は薄赤色を帯べる燐光を認むる事あり、之を鬼火(Ignis Fatnus)又は幽霊火と称す。
蓋(けだ)し此奇怪なる光の原因に就ては種々の原因あるべし、或は動物の骨中に燐の化合物ありて其もの多年地中にある間に、燐化水素の如き可燃瓦斯を生じ、大気に触れて発光する事もあるべく、また戦場の死体或は鮮血上に見ゆるものの如く、発光バクテリアの為めに光を発する事もあるべし。
又或学者は全く炭化水素を生ずるためなりと云へり。
植物中発光作用を呈するものには、バクテリア・菌類・ペリディネア(Peridineæ)・セラチウム,トリポス(Ceratium tripos)等是なり。
俗に光り木と称するは、栗茸(Agaricus melleus)の菌糸が材質に侵入して繁殖せしに依る、モーリン氏に依れば、該菌体も亦光を放つと云ふ。
又かの月夜茸の光を発する事も人の能く知る所なり。
発光バクテリア中にて、ミクロコックス,フォスフォレウス(Micrococcus phosphoreus)と称するもの光力最も鮮明なり。
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| | バクテリア燈及菌燈 |
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蛍の光を古人が読書に用いたるは人の能く知る処なるが、バクテリア及び菌類より発する光も亦該用に供すべし。
植物学雑誌によれば、近頃オーストラリア国のモーリン教授は、適当なる培養器上に、前記の如き発光植物を蕃殖せしめ、簡単なる装置を加へてバクテリア燈及び菌燈を作るを得たり。
此燈は夜中能く懐中時計の針を認め得べく、又新聞・雑誌等をも読むに足れり、此燈の特長は、風にも消えず、熱の発生もなく、又種々の物体を写真する事を得べしと云う。
若此燈にして光力一層強からんか、実に理想的の燈火と云ふべし。
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| | 天の碧色・赤色・白色 |
| | 満月の視覚 |
| | 光環及暈 |
| | 虹 |
| | 蜃気楼及海市 |
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気層中其温度・湿度の不同により密度を異にし、其区別判然たる時は、光線屈折の作用により遠地の物体を屈折全反射(Reflection)して吾人の視覚に入る事あり、之を蜃気楼(Mirage)と称す。
其最も多く現はるるは、アフリカのサハラ沙漠とす。
嘗(かつ)てボナパートはエヂプト(Egpt)の沙漠を進軍するに際し、湖水に囲まれたる村落を見たりと云ふ。
我国にては、伊勢の四日市・尾張の常滑・遠江国榛原郡の高台地、越中の魚津辺等の海岸にて往々目撃せらる。
支那山東省莱州附近にも此現象あり、土俗之を海市と称す。
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| | 幽霊船及浮島 |
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海上静穏且低温度を保ち、空気の上層が下層よりも希薄なる時は、蜃気楼と同理により遠距離にある船体を空中に見る事あり、之を幽霊船と称す。
嘗(かつ)てカピテン・スコルビー氏は北氷洋に航し、父の船を見失ひしが、或朝俄然父の船舶が歴々と逆に空中に懸れるを発見し、其方向に進みたるに、遂に父に会せしが、其時父子相距るる事凡そ三十哩の処なりしと云ふ。
又嘗てフンボルト氏は、南米ベネヅエラのクーマナ(Cumana)に滞在中、数時間空中に漁船を見、又或時同処にて空中に二個の島嶼(とうしょ)を見たりと云ふ。
かの浮島と称し、島の両端が浮きたる如く見ゆるも、同一理により生ずるものなり。
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| | ブロッケンの妖怪及月山の大入道 |
| | 怪雲 |
| | 極天の怪光 |
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第四編 水界 |
| 第一章 泉 |
| 第二章 奇なる泉井 |
| 第三章 熱海の間欠泉 |
| 第四章 氷河 |
| 第五章 河流 |
| 第六章 湖沼 |
| 第七章 海水 |
| 第八章 海底 |
| 第九章 海水の運動 |
| 第十章 海色及幻火 |
| | 紅色の海 |
| | 赤潮又は潮の腐 |
| | 白色の海 |
| | 千燈龍又は不知火 |
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夏日筑紫海上に於て暗夜に現はるる奇怪なる火を不知火又は千燈龍と云へり。陳跡誌に曰く、『八代郡の海上に陰火あり、毎歳八朔の暁に出づ、此夜山岡に登て是を臨るに一帯万点連珠の如く、幾千万と云ふ数を知らず、宇土・葛城・八城・芦北の四郡、向ふは天草にかけ、延袤二十余里の海面、其夜は見る者群をなす、五更潮の盈比より出始め、咄明に出揃ひ、夜白に従て消没す、是を夜に龍燈と名づけ又不知火と云ふ、今は天下の一奇観となれり、此火五郡に係ると云へども八代を以て正面とす、故に八代の不知火と云なり。』と又佩川の詩に次の如きものあり。
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紫溟霊火不知名、月晦風秋影爛盈、長想六龍西幸夜
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抑も不知火とは、如何なるものなるか、未だ明かならざれども、近時学者の説によれば、夜光虫及び其他の微生物の為めなりと云へり。
山崎理学士の余に告ぐる所によれば、嘗(かつ)て某氏は此怪火を探究せんとし、陸上に烽火信号をなす者を残し置き、数人船に打乗り、怪火目がけて漕ぎ出でしが、程なく乗船者の眼に怪火を見失ひ、ただ陸上の信号に任せて進み、其最も光を発する部分の水と、然らざる部分の水とを数ヶ所にて、汲み取り帰り、後之を験したるに、両者の間に何等の差異なく、却て怪火の現はれざりし部分の水に夜光虫及其他微生物多かりしと、されば不知火が、必ずしも微生物の作用なりと断言する事能はざるなり。
山崎理学士は尚告げて曰く、『余は明治三十八年夏支那旅行の帰途九州西方の海上に於て、極めて微細なる物体が、しかも広大なる区域に亘り浮遊するを見たり、これ恐くは微生物ならん、或は此近海にて毎年一定の時期に於て、此の如き微生物発生し、潮流若くは風向の都合により筑紫海に進入し、燐光を発するにあらざるか』と云へり。
尚此怪火は研究の余地多しと云ふべし。
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| | 光ノ玉及海蛍 |
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暗夜試みに、海上に小舟を浮べ、竿端を以て水面を打てば、美麗なる燐光の竿端付近に飛散するを見ん、又風波荒き暗夜海浜に立てば、海上一面に燐光を放ち、波浪の懸崖に激する時は、飛蛍の如き美観を呈し、砂浜なる時は、光輪となりて陸上に転々するを見るべし、殊に熱帯地方の塩分濃厚なる海に於ては、時として読書を試み得べしと云ふ。
其等の原因は夜光虫・海蛍(Ostracoda)等の微細生物の発する燐光に外ならずかの三崎付近にて光ノ玉と称するものも、前記微生物の作用によれり。
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| | 与謝海之龍燈及支那之怪燈 |
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丹後国与謝海には龍燈と称する奇現象あり、未だ研究せし人を聞かざるも、恐らくは、不知火と同一原因ならん。
支那には陸上に現はるる怪火あり。
其一二例を挙ぐれば、蛾眉山の神燈・泰山の仙燈・南岳の聖燈・羅浮の珠燈・隆安の火焔泉・崇善白雲洞の仏燈等なり。
此等怪火の原因は不明なるも、恐らくは、鬼火の類ならんか。
丘博士の余に告ぐる所によれば、夜光虫は塩分の差ある水、又は温度異りたる水に触るれば、刺激を受け発光すと云ふ。
吾人之を試みんとせば、先づコップに夜光虫を海水と共に入れ置き、其中に淡水を数滴落さば、忽ちコップ一面に発光するを見得べし。
されば海の幻火は或時期に於て、海流が都合能く其海湾に侵入し来る時、夜光虫の刺激を受け発光するものにあらざるかを思へり。
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| 第十一章 赤井岳の龍燈 |
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磐城国平町の附近に赤井岳あり、古来龍燈の奇現象を以て人の能く知る所なり。
然れども、未だ其原因を知る者なし。
余は之を遺憾とし、同国平町中学校教諭岡田毅三郎氏に其調査を依頼したり。
本章は即ち氏の報告なりとす。
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龍燈の原因として、現時磐城地方に流布する俗説二あり。
一は乙姫捧燈説にして、一は水晶引火説なり。
左に之を略述せん。
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| | 乙姫捧燈説 |
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赤井岳の龍燈に就ては、磐城地方人士は一般に事実として尊信するものにて、今其龍燈は如何にして成立せるものなるかと聞き糾せば、各人各個皆龍宮乙姫説を説く、即ち『龍宮の乙姫、嘗(かつ)て難産に苦める際、赤井岳薬師如来に祈願し分娩せしを以て、其御礼として同山より東に当れる仁井田浦の海中より毎夜龍燈を捧ぐるものなり』と。
龍宮なる言葉は古来、我国の文書に散見し、『タツノミヤヰ』と称し、海底にある龍王の宮殿をいふものなり。
これ恐らく仏説より来れる仮想の事実にして、今日理学上に於ては、其存立を容るす能はざるものなり。
旧時人智の未だ進歩せざる時代に於ては仮令深く地方人士の信仰する所となりしも、教育の普及せる今日に至りては、恐らく其信用を持続する能はざるべし、これ猶幼年の児童が、桃太郎・猿蟹等の昔噺を以て深く真正の事実と信用せしも、漸次智力発達するに従ひ、自ら其仮想の事実たるを発見するが如きものなり。
今日に至り、乙姫の捧燈を説くが如きは、教育ある士君子の間に於ては無用の事なれば細説の労を省くべし。
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| | 水晶引火説 |
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龍宮の乙姫捧燈説は、一時世人の信用する所となりしも、先覚の士は早既に一種の空想なる事を看破し、水晶引火説を唱ふるに至れり。
此説によれば、『赤井岳には山中水晶多量に存在し此水晶火を引き寄するを以て海中より龍燈出でて山頂に向ひて来るものなり』と。
是平藩先輩諸学者の唱導せし所なり。
神林惺斎の詩に
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此山水晶在、遠火是以朝、初疑蛍如影、忽来懸樹梢、
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とあり。
又
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水精之山何険峻、霄間崛 千萬仭、行者悸慓怯崩騫、前挽後擁始得進、
梵閣崢エ在層巓、不知創造果何年、超然夐出風塵表、古檜老杉上刺天、
林子不是香火客、勝遊欲償山水癖、山水有霊富煙霞、呈奇献巧留吟屐、
踞石遠望大東洋、有火如燈無数光、静中有動来山麓、■然一低又一昂、
此遊方是秋冬際、天気寥沈絶繊翳、夜深一火懸仏堂、渓路相追来如綴、
聞説此山産水晶、水晶喚火火自生、乃知水火不相厭、此説真成理分明、
鳴呼東奥第一真勝地、余地碌々何足語、我家住在晶山下、探勝往来途不阻、
再遊重得及此辰、旧篇猶恨記末真、帰来聊補郡乗闕、為示海内未遊人、
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神林復所の水晶山記第三の後段に
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先師梅窩先生、嘗有喜雨行一篇曰、三旬不雨地欲燃、亀拆縦横萬頃田、
山渓引筧無一滴、石井挙槹絶小涓、新秧半秀皆槁死、■耕不奈空悁々、
村々戸々出乞雨、祈鬼■神号泣天、鳴鼓呼雲高嶺外、振鈴招潮大海辺、
龍王龍王時有賜、人間渇死何不憐、先命雷公命雷母、天下降雨忽沛然、
把耡荷耒行拝仰、傾笠覆蓑喜倒顛、秧未蘇生色冊香A河魚溌々鳥翩々、
七浜三岳得芳潤、斉発歓声唱有年、此詩紀実也、然其祈之不誠則必無験矣、
如此類係干物之■応者也、山有水晶則遠火必朝者以易所謂山沢通気、
水火不相厭之理推之、■応之妙如此、則其祈雨亦当有験也、
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| | 赤井岳に水晶存すべき乎 |
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磐城の先輩、元第二高等学校教授大須賀■軒の精山位置概図の下部に、左の記事あり。
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経塚の背に大鳴沢といふ神楽石あり、之を大利・赤井・合戸三村の界とす。
此辺より大利村へ流れ出る小渓より多く六方石を出すといふ。
今其石片を見るに、美質にして水晶と見まがふ程なり、赤井岳の背に永井新田。軽井沢堂矢場の村あり。
此方よりも多く六方石を出す、是山を水精と名く、而して未だ水精を発見せざるも同種類の六方石ある斯の如し。
蓋水晶も亦必ず閉蔵しあるならん、但人の此に注意して採掘するものなし、発見せざる所以ならん。
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大須賀氏は、赤井山中無量の水晶在るべきも、人の此に注意して採掘するものなきを以て発見せざるものと信ぜるが如し、又磐城地方の人も斯の如く信ぜるもの、決して尠からざるが如し。
余の見る所を以てすれば、斯の如きは一の疑問にして、容易に信用する能はず、由来大須賀氏は国語・漢文専攻の人にして、鉱物学の智識に乏しきは固より巳むを得ざることなれども、六方石と水晶とを別種のものとして考ふるが如き不確実なる智識を以て、此の山中に無量の水晶在りと想像したるに止まり、鉱物学上確実なる根拠を有するものに非らざれば、決して信用の価値なきものなり。
余は■赤井岳を登降して水晶の捜査に従事せしも、未だ嘗て水晶の破片だも発見するに至らず唯水石山の東麓に於て一群の微晶を発見せしのみなり。
蓋し赤井岳は赤井村より山頂に向て登れば、山麓より薬師堂に至るまでの間は皆花崗岩より成る。
之より山頂経塚に至るまでの間は余も親しく踏査せざれども後方に相連れる水石山の関係より判断すれば閃濠竄謔關ャれるが如し、故に赤井岳は全山殆花崗岩より成り、山頂に近き少部分のみ閃濠竄謔關ャるものと想像せば大差なからん。
薬師堂より以下は皆花崗岩なれば余は該岩石中にペグマタイト(Pegmatite)〔鬼御影〕、或は石墨花崗岩(Graphic Granite)の破片等に注意せしも未だ、一回も此等のものを発見するに至らず、赤井岳より水石山に至る所に東西に渓谷あり、一は西へ流れて箕輪村大利に落ち、他は東に流れて赤井村大蔵に至る、此の渓谷は共に断崖多けれ共ペグマタイトなど見当らざりしを以て此山中多量に水晶を包蔵せりと云ふが如きは鉱物学上根拠なき想像なりといふべし。
大須賀氏の所謂大利村へ流れ出づる小渓より多く六方石を出すと云ふもこれ等は大雨洪水の時稀に流出したるを発見したるものにて偶然の出来事なり、又永井新田・軽井沢堂矢場等より六方石を多く産すといふも是又洪水の後河流に於て偶然発見せしものなり、余は親しく此等の地を踏査せしも始終水晶を産すといふ一定の地は一個所もなかりし、唯軽井沢に於ては十数年前水晶を発掘せし地一個所在りしを以て某民家に就きて案内を乞ひ実地を踏査せしに、花崗岩の■爛せる或断崖を発掘せしものにて水晶等の産出すべき土地には非らざりき。
これ或無頼漢が唯地方人士を籠絡し、金員を詐取する為めに発掘したるものにて、水晶を産するが為めに発掘したるものに非ず、磐城地方にて永井より水晶産すと称するは此等に起因するものなり。
石城郡田人村仏具山の如き東白川郡鎌田水晶山の如きは其産出地常に一定して獲物の多少は兎に角何時登山するも容易に採集するを得べし。
斯の如き地を赤井岳の四近に索めんとして捜査せしも今に発見する能はざるは大に余の遺憾とする所なり。
以上述ぶるが如く、赤井岳四近に於て水晶産出の個処なきに水晶を産すといふ名声四隣に著るるが如し。
余は嘗て鉱物採集として田村郡小野新町に至り、水晶の産出地を問ひしに、多数の人は曰く、『水晶は磐城にあり、磐城の赤井岳は全山水晶より成る』と。
赤井岳の水晶は其実なくして却て其名を馳するは何故なるべきか、余の見る所を以てすれば、これ平藩先輩学者は、事実の如何を究めずして、一概に水晶存在するものと断定して、之を国歌に、之を詩文に写して表彰せしこと与て力あるべしと雖も、尚他に之を援助せし理由なくんばあらず、即ち赤井岳の寺院は水晶山常福寺と称す、此水晶山なる名称は二名式の寺院号にして、山中水晶に富めるを以て名づけたるものに非ず、然るに薬師如来の霊験に迷へる善男善女は、直に之を軽信して遂に世上の妄信を助けたるものなるべし。
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| | 水晶火を喚ぶべき乎 |
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水晶(Quartz)(Rock-crystal)は無色透明にして六方晶系に結晶せる鉱物なり、其成分は硅酸なれば火とは何等の関係なきものなり。
水晶を熱すれば電気を起し、之に鉛丹或は硫黄末を撤布すれば水晶の各極は此等の物質を吸着して互に相離るるとなし、水晶の他物を吸引するは此場合に限る者にして此以外に於ては他物を吸引するの作用なし、故に大須賀■軒の水火不相厭譬猶磁吸鉄とか、或は水気定鬱勃遠火是以朝物理固難奪と云ふが如きは鉱物学上根拠なき議論なれば決して信用するに足らざるものなり、去り乍ら神林復所惺斎及大須賀■軒等神林家一流の学者は皆水晶引火説を唱ふるは何故なるか、又如何なる根拠によりて斯る想像説を主張するものなるかといふに、余の憶測によればこれ或は球状に研磨せる所の水晶を見て想像を起したるものに非ざるが、蓋水晶は早くより邦人の間に珍重せられ、玲瓏たる水晶球の如きは、文人墨士の机案の間を装飾し或は床上の置物として愛賞せらるる所の鉱物なり、今若し此等の水晶球を以て太陽の光線に晒すときは凸鏡レンズの場合と同じく光線を聚合するものなれば、太陽より火力を取り発火せしむる事を得べし、水晶球に於ける此現象は単に光線を聚合すに過ぎざるも、往時理学の進歩せざる時代なれば水晶球が火力を吸引したるものと信じたるものならん。
此光線聚合の作用は水晶球に限れるものにして一般の水晶に於ては人工を加へざれば見る能はざる現象なれ共類推の結果遂に水晶引火説と考出せしものならん。
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| | 龍燈出現の場所 |
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赤井岳全山水晶より成り、水晶能く火を喚び得ると仮定するも、此場合に於て引かるべき龍燈は常に四倉仁井田近海に多数存在するものと仮定せざるべからず、四倉仁井田の近海に多数存在するものとせば、此等の地方人士の目睹すべきは勿論の事なり。
四倉仁井田は東海の漁村にして多数の漁夫海中に出没し単に近海のみに限らず二三十里の遠方までも横行し朝に出でて夕に帰るを常とすれども、昼夜共に海中に漂泊するものも決して少きに非ず、然るに此等の人にして此近海に於て龍燈の火光を認めたるものとては、未だ嘗て一人もなきは該地方人士の能く語る所なり、されば赤井山中の水晶能く火を喚ぶの魔力ありとするも、四倉仁井田近海には吸引せらるべき火力存在することなければ龍燈が四倉仁井田近海より現出すといふも、徒に妄想を逞ふしたるの跡は愈々明かならん。
以上述ぶるが如く水晶引火説は球状の人造水晶に於ける事実を根拠として想定したる説の如く、乙姫説よりは一歩進歩したる考説なれども、猶種々の欠点あり、即ち龍燈なる本体は実在のものと仮定し姑く考察を加へざるも、尚三個の疑点ありて吾人を満足せしむること能はず、蓋し以上の二説の如きは龍燈の本体を説明するを得ざる所の空説なれば、吾人は原因を此以外に索めざるべからず。
いで其何物なるやを解説せん。
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| | 龍燈の原因 |
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龍燈は一種の発光体たるべきは明かなる事実なり。
其発光体は個々相離れ点々相追ふものなりとは、衆人共に視る所衆口相一致する所なり。
抑も斯の如き発光体は如何なるものなるべきか、熟々世上の発光すべき物体を考ふれば、普通に吾人の視察し得べきもの左の数種に過ぎざるべし。
(一) 人為の発光
(二) 動物の発光
(三) 天体の発光
(一)人為之発光
人為の発光に付きては其燃焼すべき材料によりて、気体・固体或は液体等に属するあり、又電磁気の作用に基けるものあり、其種類は固より多端なるべしと雖(いえど)も、赤井岳の山上より常時視察し得べきものは其種類自ら定まれり、山上瞰下すれば、磐城平野は双眸の中にありて一幅の雄大なる書図の如し、此平野に■息する幾多の人類は皆発光体を供給するものにして、民家の燈光も、行人の提灯も、或は漁船の漁火も、均しく個々相離れ点々相追う所の発光体として視察し得べきものなり。
余は■赤井岳に登り観燈亭無いに一夜を明かせしに、濃霧山を囲み寂然たるとあれども、山下の内郷炭山等に於ては書夜間断なく発掘せるを以て其光火光明に見え昏より晨に達せり、これ例外の事にして一般磐城平野に於ける民家の燈光は昏に於ては無数に見ゆるも中夜に至りて皆消滅するを常とす。
漁船の漁火も、行人の提灯も、共に民家の燈光と同一の結果を来すべきものなり、故に昏より夜半に至る間に於て赤井山上より視察するときは、燈光或は提灯等の火光を認めて龍燈と称する奇観あるべき訳なり、元磐城中学校教諭たりし大内賢蔵氏の視察せる所謂龍燈なるものの中に障子の影など見えたるが如き是なり、磐城地方の人士に問ふも赤井山僧に聞くも、龍燈を見る好時期は午後十一時より翌日午前二時頃までの間なりと云へり。
又古人の記事を見るも長久保赤水の東奥記行に
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とあり、されば龍燈なるものは時間の上より見るも確かに人為の火光を認めたるものに非ざるや明なり、又■色の上より見るも人為の火光を認めたるものにあらざるが如し、燈光といひ、漁火といひ、此等人為の火■は白黄赤色の■色を呈するものにて、日光・月光・星光(或特殊の物を除く)或は電光等とは全く■色反応を異にし、其色白熾色にして暗夜に於ては少しく青白に感じ最能く識別するを得べし、古来世人の視察せし龍燈の光は決して黄赤色の■色を呈せずして青白色なりといへり。
即、中島黄山観燈詩中に
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夜深人定不肯眠果然数星青■々如往如往翳又明有時変幻忽攅簇
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又室桜関の詩に
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兀然人立観燈亭天未海光風送腥無乃老龍吹火去蛍如点々樹梢青
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又木田市次郎の談話中にも
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龍燈の出るときにはパット急に光が見え其光は青びかるにより提灯の光などとは色が異なります。
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とありて皆青白色なるを証せり。
されば、龍燈なるものは磐城平野に於ける燈火・漁火其他提灯の光などの如き人為の発光を見たるものにあらざるや明かなり。
(二)動物之発光
動物の発光に付て微細のものまで列挙せんには種々あるべしと雖も、今其中重なるものを挙ぐれば、左の種類に過ぎざるべし。
(一) エキオストマ(Echiostoma)
(二) バシオフィス(Bathyophis)
(三) 蛍 (Lampyris)
(四) 夜光虫 (Noctiluca)
エキオストマ・バシオフィスの二はオーストラリアに於て二哩余の深海中に産する魚類にして、前者は眼の下部及鰭・体側等に多くの発光器を有し、後者は皮膚の下層にグラス紐の如き発光器あり、共に其発光著しくして深海の生活に属せるものなれども、此等の動物は我日本近海に産するを聞かざれば此等の発光を見て龍燈なりと思ふ人は無き筈なり。
蛍及夜光虫は本邦に於て極めて普通のものにて到る処に産せり、若し龍燈をして動物の作用によりて生じたるものと仮定せば、此二者の外に出でざるべしと雖も、龍燈は果して動物の発光に起因すべきか、大に余の疑ふ所なり。
(イ)蛍光
蛍は水中に棲息せる蛆状の幼虫より発達す、其幼虫は成虫の卵を水中に落したるものより発生せるものにて、腐草化して蛍となるとか、巻貝変じて蛍となす等の如きは一種の空想にして信用の価値なきものなり。
蛍の発光器は腹部の関節に在り、此関節は無数の細胞より成り、各細胞周囲には多数の気管支ありて之を纏絡す、其細胞内には特殊の可燃物あり、気管支より入り来れる空気中の酸素に合へば酸化して始めて発光を見るものなり。
蛍は多数相聚りて群をなし、間々合戦をなすとあり、宇治川の蛍合戦等の如きは古より能く人に知らる。
これ多数の雄虫相聚りて少数の雌虫を争ふものなり。
蛍光は青白色にして梢々龍燈の■色と一致すれども其の発光は極めて微弱なれば遠方より望むときは到底明視すること困難なるべし、赤井岳の頂上より四倉仁井辺に在るを見るものとせば、直径六哩以上に達すべし、微々たる蛍光にして六哩余の遠きより点々明視し得るとは信じ難きことなり、又蛍は春夏秋の三季に於て現出するものにて、冬期に於ては決して見ざるものなり、然るに鍋田晶山の磐城志に
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当山毎夜仁井田辺の海中より陰火来朝す、俗に龍燈と云ふ、陰火を見るに最も宜しきは秋冬の晦晴朗の夜なり、実に当国の奇観なり。
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とあり、されば龍燈は蛍火にあらざるや明かなり。
(ロ)夜光虫
夜光虫は微細なる単細胞動物にて常に群をなして海面を浮遊するものなり。
此虫も蛍に於けるが如く発光弱けれども多数群をなすにより明かに見得るものなり。
其の光色は稍々龍燈の火光と相似たれども発光の状況大に異なれるが如し、夜光虫は吾人の頭髪間に存在する「フケ」の如きものにて、遠方より視察し得べき発光を呈せんには非常に多数の夜光虫群集せざるべからず、此多数の夜光虫は相聚りて一塊となるものに非ず、広く海面に浮遊するものなれば、此虫の発光は海面一般に亘りて平面的に発光すべき訳なり、肥後の不知火の如きは広漠なる海面一体に火の海となり海水の動揺につれて一高一低波動の現象を呈すといふ(著者曰く此記事稍々疑問あり)若赤井岳の龍燈をして四倉仁井田の全海面均しく光の海と化し、古人の観察も今人の実見も共に平面的の発光と認めしものなれば或は夜光虫の発光に基因するやも知れざるなり。
(著者は夜光虫説を信ず)然れども磐城地方人士の観察と磐城地方に存する■記とは、皆点々散在し前後相並べるものなるを示し、一も平面的の発光を認めしものなし、長久保赤水の東奥紀行に載せし観燈の如きは、明かに其排列の状況を示し、最も有力の材料なり。
更に之に関し諸氏の記事を示せば左の如し。
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長久保赤水の東奥紀行に
自海至杉火点累々相追自昏至暁不知其数幾許
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広瀬蒙斎の紀行中に
寺僧導至観燈台夜方冥眛現出始二三■耳炯々
明滅乍搏癘ナ遂至四五十■稍近山其状如人暗中銜煙管徐行■曰是火生海逐渓
漸沂四更達山
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鍋田晶山の磐城名勝略記に
毎夜陰火生四倉海火如蛍火点々累々乍明乍滅沂夏井川達干嶽上
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神林復所の登水精山記に
東南之海有白気電光一
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