正解は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 


です。

これをこの稿ではデカルト派としましょう。あるところで調査すると21人中3人しかいませんでした。
※私は、哲学、科学史はまったくのど素人です。アリストテレス派、デカルト派というのは、ここで私が勝手に付けたもので、もちろん確立されたものではありません。最後の註もご覧下さい。

 

多かったのは、次のアリストテレス派で

 

 

 

 

 

 

 

 

 



このように答えた方たちです。あなたもアリストテレス派だったのではありませんか?

アリストテレスは素朴な自然観を持ち、神聖な天界では完全な円運動が支配し、永久運動を続ける。対して、地上では限りある直線運動を行う。石が下に落ちるのは、下に本来の居場所があり、持ち上げた石はそこへ戻ろうとする性質があるからだと説きます。(嘘だったらごめんなさい。)矢が飛び続けるのは、矢が飛んでいく方向に向かわせるような力が矢に働く(あるいは矢に内在的にそのような性質がある)からだと説明します。

実は、アリストテレスが正確にはどう言ったのか知りません。この稿で私が言いたいことは、上記のような素朴な自然観をふつう人は持ち合わせている、ということです。そして、学校で力学を学んでもその素朴な自然観は消えることがないのだということです。

上記のような典型アリストテレス派は21人中4人でしたが、次のようなアリストテレス類型派が他に7人いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 解説すると、最初上向きに力の矢印を書いたのは、ボールが上に上がって行くからでしょう。次に横向きに書いたのはボールが進行している方向を表します。頂点での黒丸は力がゼロ、つまり働いていないことを意味します。この人はおそらく頂点では運動は一瞬止まるのだと思っているのでしょう。アリストテレス類型派と呼びますが、本質的にアリストテレス派です。
 素朴な自然観。日本人らしく、それはそれでいいじゃないですか。

このアリストテレス派が多いだろうことは、予測していましたが、アリストテレス派に匹敵する派閥がありました。

次の条件反射派です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 矢印を書いてくださいというと、条件反射的にベクトルの分解を書いてしまうのです。これが7人の堂々とした会派です。
 右の例を解釈しようとすれば、重力(なぜか時間とともに大きくなる。)と抵抗の合力が慣性力(アリストテレス派的な)となんとか釣り合うように描こうとしているようにも見えます(違うかもしれない)。


※同様の調査を高校の授業でされている先生もいらっしゃる。前者をニュートン派(このネーミングに異論のある方はいないでしょう。)後者をデカルト派と呼んでいるそうです。後者の矢印の向きは運動量の向きであり、運動量という概念をデカルトが出したからだそうです。ですからくれぐれも、@@@派というのは、この稿限りのネーミングで、一般には通用しないことをご承知置きください。また、アリストテレスはモノを知らなかったのだということを主張する内容でもありません。アリストテレスは偉大な哲学者であり(ニュートンとは違ったのだろうけど)、力(外力)とは何かも考察していたそうです。