メモ:コイン出現まで
2003/10/31 13:12:58
BC24C | メソポタミア | 銀をマネーとして使う |
BC14C | エジプト | 天秤で金を計量(墓より出土した絵より) |
古代 | 近東・エジプト | 中央集権的再配分 |
BC2千年期 | メソポタミア | 罰金を銀の重量で定める |
BC7C | リディア | エレクトロンコイン(最古のコイン) |
16世紀初め | ヨーロッパ | マネーは大部分が金銀のコイン |
古代の近東やエジプトは中央集権的再配分システムであった。すなわち、手工業製品や農産物は官庁、王、神殿によって徴収され、身分に応じて再配分されたようである。このような経済システムでは、市場での営みは不要のように考えられる。しかし、様々な考古学的資料から、金銀銅などの貴金属がマネーとして使用されていたことわ分かる。例えば、メソポタミア北部のエシュンヌ王(BC2千年期はじめ)の法典は刑罰を銀の重量で定めている。また、ハムラビ法典(BC1792-50)では銀の貸付利率を20%と定め、借り手に銀のないときは銀対穀物の交換レートにしたがって、穀物で支払うことが出来るとされている。これらの次期はコインの出現の準備期間と考えられる。
リディア王国は金と銀の自然合金であるエレクトロンを産出し、このエレクトロンでBC7Cに最古のコインが製造されたた。
メソポタミア北部エシュヌンナの王(BC2千年期はじめ)の法典
「人の鼻にかみつく」に対する罰金 | 銀1ミナ(約500g) |
「顔面への平手打ち」に対する罰金 | 10シケル(1/6ミナ) |
収穫労働者の望ましい日当 | 銀12セ(約0.5g)あるいは相当の穀物 |
エジプト新王国時代(BC1295-1069頃)のマネーとしての地金の記録
テーベ市近郊のデイルーエルーメディナ(王家の谷の王陵で働く熟練手工業者が住んでいた。)から出土した文書より。
「警察官アムンメスが労働者ペナムンから銅50デベン(デベン=91g)の雄牛を購入、支払いは銅5デベン、脂肪(銅30デベン)、油(銅5デベン)、織物(銅10デベン)でなされた。」
「シュティデムドゥアトが労働者ペンヌイトに半裁すべき銅76デベン分の銀の借金のうち、54デベンは返済したが、残額が22デベンあり。」
これらの文書から銀が品物の価値の単位を表す金属として使用されたことが分かるそうである。
参考文献:「お金の歴史全書」ジョナサン・ウィリアムズ著(東洋書林)