16:49 2003/07/23
デカルトの運動量保存  記:斎藤吉彦 

  「ロケットのひみつ」(月刊うちゅう 2003 Vol.20 No.4)で次のような記述をしたところ、恩師の菅野礼司先生からコメントを頂いた。

「月刊うちゅう」の記述
「この運動量保存の法則を発見したのはフランスのデカルトで、ニュートンが生まれる20年ぐらい前のことです。デカルトは、全宇宙は渦運動をする微細粒子で満たされていて、この渦運動で宇宙や地上での出来事をすべて説明しようとしました。現代の自然観とは全く異なるものですが、運動量保存の法則という自然界の本質的な法則を発見したのです。自然観は時代とともに変遷しますが、自然法則という先人の知見はいつの時代になってもいしずえのようです。」

菅野先生のコメント
「運動量保存則はデカルトが発見した」とあり ますが、デカルトのは「運動量」はスカラーで、現在の運動量でもなく、本当の保存則 でもない。方向まで考慮して、正しい保存則を導いたのは、ホイヘンスのはず。 デカルトは神を基にして、「神が宇宙を創造し、物質に運動を与えた。全知全能の絶対 的神の創造した運動の総量は変わらない」と言うのが彼の「運動量保存」です。 ホイヘンスについては「マッハ力学」(講談社)を、デカルトについては、広重徹著「 物理学史」、私に「科学は自然をどう語ってきたか」(ミネルヴァ書房)を参照。」

ちょっと調べてみると、菅野先生のおっしゃるとおりであった。言い訳になるのだが、以下が「月刊うちゅう」の記述の背景である。

「・・・慣性の法則、運動量保存の法則、衝突の法則など基本的な運動法則を提出し、・・・」1や「物質の運動の基本法則として慣性と運動量の一定とをはじめて主張した」2と辞典にあるし、URLで検索すると、同様の記述を散見する。これらのことから、デカルトが運動量保存則を発見したと思いこんだ。その思い込みで、「科学と技術の歴史」フォーブス著(みすず書房)のデカルトの章を拾い読みしていると「この関係 Σmv=一定 は自然の最高法則である。」を見つけた。忙しさにかまけてこれを裏づけとし、確信まで得てしまったのである。
じつは、菅野先生の著書やフォーブスは過去に読んだことがあるのだ。なんといい加減な読み方のだろう、と恥ずかしく思っている。

菅野先生の指摘を頂いて、再度フォーブスを読んだ。すると、ちゃんと菅野先生のおっしゃるとおりのことが書いてある。当然のことだが、菅野先生のにもある。さらに、「運動している物体は、それより大きな質量をもつ静止している物体を動かすことはできない。しかし、全運動量は変化することがないから、はじめの物体は別の方向にはじめの速さで運動し続ける。」という記述まである。これは、実際の自然現象とは全く異なる描像である。質量差が大きく異なる2物体の弾性散乱以外、このような現象は起こりえない。したがって、デカルトの「運動量保存」をもって、 「自然法則という先人の知見はいつの時代になってもいしずえのようです。」とは言えない。間違いを書いてしまった。
読者の皆様、申し訳ありませんでした。また、貴重なコメントを頂いた菅野礼司先生に感謝します。

ところで、なぜ当時、デカルトのような「運動量保存則」が通用したのだろうか?当時の人々の思考を考察するのもおもしろそうである。

教訓
思い込みの裏付け作業は非常に危険である。今後、気をつけたいものである。

1.理化学辞典(岩波)
2.物理学辞典(倍風館)