大阪市立科学館研究報告 No14,31-38(2004)


海外研修報告2

―古代の金属技術についてー

斎藤吉彦

大阪市立科学館

 

概要

 大阪市の海外学芸員研修制度により、ドイツ、イタリア、ギリシャの博物館などにおいて、古代の金属技術に関して展示資料を調査した。ローマ時代には産業革命が起こるまでの技術は既に完成していたと思われる。

 


1. はじめに

人類史上最初に登場した金属は、金銀銅で岩石に含まれる自然金属の小塊や砂金を冷間形成したものである。それは石器時代に遡る。やがて、岩石中の酸化金属を還元する処方が普及し、青銅器はB.C.4千年期に出現する。初期の青銅は砒素青銅であり、やがて錫と銅の合金へと移行する。B.C.2千年期にはヒッタイトに鉄器が出現する。青銅や鉄は、主に武器として使用され技術発展し、機械部品にも使用されるようになったと考えられる。一方、金銀は権威の象徴として集められ、また、地金がコインとして利用され、やがてコインが製造されるようになり、それが広く流通するようになる。これらの技術はお互い関連しあい発展したものと考えられる。また、当時の経済にも大きな影響を及ぼした。

これらの相関を南欧主要都市の博物館展示資料中心に考察した。表1は今回調査した博物館と所在地である。

1.古代金属技術を考察した博物館一覧

ドイツ博物館

ミュンヘン

古代美術博物館

ミュンヘン

ローマ国立博物館マッシモ宮

ローマ

バチカン博物館

ローマ

ローマ船博物館

ジェンツーノ

ナポリ国立考古博物館

ナポリ

ポンペイ遺跡

ポンペイ

貨幣博物館

アテネ

アゴラ博物館

アテネ

BENAKI博物館

アテネ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本稿では、コイン、青銅、鉛・銀、鉄それぞれについて、南欧博物館資料を考察し、結論として古代金属技術について著者が感じたことを記述する。

2. コイン

コインが普及するまでは、青銅、鉄、金塊などがコインとして使用されていた(図1〜3)。リディアで最初に自然金からコインが作られるようになると(図4)、すぐにアテネなどギリシャに普及している。材質は自然金に始まり、銀貨や青銅貨が普及するようになり、形態は単純な打刻から鋳込みによる複雑なものへと発展した。コインの製造技術には、正確な形で大量に生産することが求められる。しかし、ローマ時代にはこの技術は確立できなかったようである(図5〜20)。これは後に述べる天秤(図30)の存在からも推察できる。

1.コインとして使用された(?)青銅の棒 BC19C ローマ国立博物館マッシモ宮

 

図2.コインとして利用されたと思われる鉄製の槍 6本=1dracma Heraion at Agros  BC7C初期 貨幣博物館

3.金インゴット。コイン以前のもので、切り目やカットで品質を確かめたとみられる。Belrin-Eberswalde,800BC ドイツ博物館

 

4.エレクトロンコイン。Stater and 1/3 Stater 最古のコインで、単純な打刻がみられる。コインでなく、貢物に家紋を記したとの説あり。Milet, BC7C ドイツ博物館

 

5.スタテル銀貨 Hoard from Myrina 440BC 貨幣博物館

 

6.Silver denomination Hoard from Moulki 350-325BC 貨幣博物館

7.Silver staters Hoard from Kephallonia 330-275BC 貨幣博物館

 

8.Gold startes Hoard from Ancient Corinth 323BC 貨幣博物館

 

9.Didrachms 560-530BC 貨幣博物館

 

10.打刻用の型とAthenian tetradrachm 貨幣博物館

 

11.Vessel for casting flans 貨幣博物館

12.ローマコインの鋳型 ローマ国立博物館マッシモ宮

 

13.鋳込みで作られたローマ青銅貨BC4-3C ローマ国立博物館マッシモ宮

 

14.ローマ銀貨 Anoniomo con simbolo 211-170BC ローマで最初に銀貨が作られたのは269BC ローマ国立博物館マッシモ宮

15.ローマ銀貨 C.Publicius Malleolus, A. Postumius Albinus.L.(Caecilius)Metellus 96BC?  ローマ国立博物館マッシモ宮

 

16.ローマ金貨 L.Comelius Sulla  84-78BC

ローマ国立博物館マッシモ宮

 

17.ローマ金貨 C.Cassius Longinus, lunius Brutus L. comekius Lentulus Spinther 43-42B ローマ国立博物館マッシモ宮

 

18.ローマ金貨 Augustus 27BC-14AD ローマ国立博物館マッシモ宮

 

19.ローマ青銅貨 Q.Aelius Lamia 19BC ローマ国立博物館マッシモ宮

20.ローマ帝国ディオクレティアヌス帝銅貨(AD284-305) 大阪市立科学館

 

3. 青銅

青銅は一般に錫と銅との合金として知られているが、初期の頃の青銅はこの合金ではなく、銅と砒素を含む鉱石を同時に焼いて得られたものと考えられている。[1]古代近東では青銅技術が出現するのはBC3千年紀で、その間に砒素青銅が徐々に図21に示した錫青銅に置き換わった。ミュンヘン付近では500BCごろから錫と銅の合金が普及したのであって、それ以前は砒素青銅であった。[2]ローマ時代には青銅の機械部品への応用が見られる(図262732)。青銅製彫像からは、研磨などで加工精度精度を得る技術があったと考えられる(2529)[3]一方で、図3031の天秤・錘から、コインは貨幣の単位としては信頼されておらず、軽量することでコインの価値が測られたと思われる。大量に精度よく作る技術はなかったものと思われる。

 

21.錫青銅の剣 BC3千年紀後半 バチカン博物館

古代近東では青銅技術が出現するのはBC3千年紀。その間に砒素青銅が徐々に図示した錫青銅に置き換わった。錫はアフガニスタンなどから輸入されたと考えられる。

 

22.金装飾のついた青銅剣 アゴラ出土 BC14C アゴラ博物館

 

 

23.BC9C 南イタリアの墓から出土  ナポリ国立考古博物館

 

24.青銅の鎧とヘルメット(上)鎧のつなぎ目(下) The tomb of the Warrior from Lanvium(475BC)  ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

 

25.ネミ湖ローマ軍船から発見された青銅像 

50ADごろ ローマ国立博物館マッシモ宮

 

図26.回転台の青銅製の転動体。考古史上最古のベアリング部品と考えられている。ネミ湖ローマ軍船から発見された資料 50ADごろ ローマ船博物館

27.青銅製の蝶番? ネミ湖ローマ軍船から発見された資料 50ADごろ ローマ船博物館

28.青銅と鉄の釘 ネミ湖ローマ軍船から発見された資料 50ADごろ ローマ船博物館

 

29.AD1C ポンペイ出土 ナポリ国立考古博物館

30.天秤と錘 AD2C ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

31.錘 AD2C ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

32.160-163AD?  ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

 

4. 銀と鉛

古代では、銀は主に方鉛鉱を精錬して生産され、その副産物として鉛が得られたとされている。ローマ時代には銀製の食器や水道管(鉛)が普及していて、現代のものとほとんど変わらないものを使用していたようである。

 

33.鉛管 AD50ごろ “Caligula”が刻まれている ネミ湖ローマ軍船から発見された資料 ローマ船博物館

 

34.水道蛇口 AD1C ポンペイ遺跡

35.水道管 硬度から相当量の不純物を含んだ鉛と思われる。鉛板を巻いて管状にしたような形状。 AD1C ポンペイ遺跡

 


36.銀製のスプーンと皿 BC1CからAD1Cごろ 現代のものとほとんど変わらない ポンペイ出土 ナポリ国立考古博物館

 

37.鉛管 50ADごろ? 墓から出土? ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

 

 

5.

古代近東で鉄が導入されるのはBC2千年期後半で、BC10Cに図38のように道具や武器に使われるようになる。馬具や焼き串にも鉄が使用された(4041)。図4243の鉄器から、ギリシャ時代にはすでに相当の製鉄技術があったと思われる。

 

38.鉄剣 イスラエルの墓から出土 BC10C? バチカン博物館

 

39.ナイフ 南イタリア出土 725-710BC ナポリ国立考古博物館

 

40.鉄製の馬具 アゴラ出土 BC9C アゴラ博物館

 

41.焼き串 南イタリア出土 750-700BC ナポリ国立考古博物館

 

42.矢じり The tomb of the Warrior from Lanvium(475BC)  ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

 

43.鉄斧と鉄剣 The tomb of the Warrior from Lanvium(475BC)  ローマ国立博物館ディオクレティアヌス帝の浴場跡

 

6. 結論

南欧博物館の展示資料などから、古代の金属加工技術は、産業革命以前のレベルに達していたと思われる。時間さえかければ高精度のものが加工されたようである。ただし、コインのように大量生産を行ったものは高精度を得ることができなかったと思われる。地中海沿岸だけの経済活動では、そのような高精度で大量の金属製品を必要としなかったのであろう。新しい金属技術の進展は、新大陸の発見などで経済活動が非常に大きくなり、あらゆる場面で大量生産のための需要が生じてからと思われる。

以上はほとんどが南欧博物館の資料を見て感じたことであり、憶測の域を脱していない。この憶測を確かめるための調査研究を今後の課題としたい。

 

謝辞

科学館の皆様には、今回の長期研修を快く許可していただきました。また、留守中、科学館を滞りなく運営するために、随分無理をしていただきました。さらに、研修中、常に心温かい励ましの電子メールをいただきました。科学館の皆様の力添えで、無事研修を終えることができました。ここに謝意を表します。

 

 

 

脚注



[1] R.J.Forbes:「古代の技術史(上)」朝倉書店

[2] Dr.Klaus Frymannのコメント

[3]斎藤彰彦氏の意見