月刊うちゅう 2005 Vol.22 No.2

南欧珍道中(2) ポンペイ
 
 古代金属技術を訪ねる南欧の旅、今回は古代ローマ都市の水道管、当時使用されていたその場所で、そのままのものを、見て、触って・・・というお話です。ローマ人にあたかも遭遇したかのようでした。
 紀元79年、古代ローマ都市ポンペイはベスピオ火山の爆発で、たった2日間のうちに火山灰の下に埋もれました。18世紀中ごろから計画的な発掘が始まり、今では、古代ローマ都市の全容を現しています。
ガイドブックを頼りに、神殿、浴場、競技場、パン工場、居酒屋、立飲み屋、住居などと、見所を回りました。道路は石畳で完全に舗装されていたのでしょう。車道と歩道がきちんと整備されています。噴水も下水もあります。浴場の天井はきれいなドーム状です。現代ではクレーン、ブルドーザー、ミキサー車、様々な電動工具がありますが、当時はそんなものはありません。どうやって建設したのでしょう?古代ローマ人は現代人以上の文明生活をおくっていたのでしょうか?当時の光景を想像しながらの遺跡見物です。


マリーナ門。古代ローマ都市ポンペイへの入り口。左側は歩行者用、右側は海から塩や魚を運ぶ荷車用。


 ふと目に留まったものがあります。歩道に丸い棒のようなものが露出していて、観光客に踏みつけられています。そばへ行って見ると管です。触ると金属特有のヒンヤリした感触。「かの有名な鉛の水道管だ!いいもの見つけた。」と大喜びで観察。

 
石畳で舗装された車道。その両側が歩道。右側の歩道に水道管が露出している。

 

 鉛は、少し熱するだけで柔らかくなり溶けるので、加工しやすい便利な金属です。この水道管は、鉛板を熱して柔らかくし、それを巻いて管にしたのでしょう、そのつなぎ目のようなふくらみがあります。また、管と管をつないだような節もあります。子どものころを思い出しました。我が家のトイレは鉛管がむき出しになっていて、よく水漏れがありました。職人さんがバーナーであぶって修理していました。古代ローマの職人もバーナーのような道具を 持っていたのかもしれません。とにかく、水道管技術の証拠をこの目で見たのです。
 鉛は方鉛鉱から銀を取り出すときの副産物です。銀は国家を支える資金源として産出されますので、鉛は豊富に供給されたのでしょう。水道だけでなく食器にも使われていました。このため、ローマ人は慢性的な鉛中毒だったそうです。文明病ですね。銀による国家の資金源と鉛文化、これは古代ローマの経済活動のほんの一部でしょう。ローマ人の文明はある意味で人類最高かもしれません。もし我々現代人が石炭・石油・原子力などを利用できなかったら、とても彼らには及ばないでしょう。2千年も昔のローマ人に見くだされているようです。
 「この水道管は本当に金属?ひょっとして土管では?」とみょうな期待を抱いて、撫で回したり、こびりついた泥を取り除いたりしていました。すると、キラッと光るものが出てきました。金属独特のかがやきです。まちがいなくこれは金属管です。どんなにローマ人が偉大であっても、次のようなことは知らないでしょう。金属は、電気をよく通し、キラキラ輝いて、ヒンヤリします。これらの性質は、すべて伝導電子で理解できます。伝導電子は金属内を自由に動く電子で、これが電流になります。金属が電気を通すのは伝導電子のおかげです。金属が輝くのは、伝導電子が光を反射するから。金属のヒンヤリ感は、伝導電子が熱をすばやく運ぶから。1897年にトムソンが電子を発見し、様々な発見があって、量子力学という現代物理学ができあがって、このような知見に至っています。偉大なるローマ人に、彼らの水道管を指して、こんな説法はいかがでしょうか。「ヒンヤリしますね。伝導電子が手の熱を奪い去っているのです。輝きます。伝導電子が光を反射しているのです。」

学芸員:斎藤吉彦