月刊うちゅう 2000 Vol.17 No.9

川は冷たい?−気化熱−


 今年の夏はいかがでしたでしょうか?我が家は夏といえば川遊び。場所は大阪と和歌山との県境、鍋谷峠。車で約20分という近場ですので毎年頻繁に通っています。木々に囲まれた所に清流があって、そこからの涼風がとても心地よいところです。子供たちは元気いっぱい水と戯れます。潜って魚を追いかけたり、滝壺へ飛び込んだり。しかし、著者はこの水遊びは苦手。なぜなら、水がとても冷たく、川の中へ入ることができなかったのです。よく入って腰まで。ところが、今年から私もこの冷たい水にもぐれるようになったのです。それは「気化熱」ということに気付いたからです。
 私の弟が泳いでいる。とても気持ちよさそうである。うらやましい。私もつられて徐々に水に入って行く。腰まで浸かって、胸を水でピチャピチャと濡らして、体を沈めていく。冷たい!しんぼうしてさらに沈めていくが、おへその当たりで辛抱できず岸辺へ退散。この様子を見ていた弟が講釈を始める。「外気に触れて濡れた所が気化熱で冷たいんや。水中に入ってしまえば冷たくない。」物理専門の私が、全く門外漢の弟から物理の講釈を受けた。「なにぃーっ!気化熱?」とぶつぶつ言いながら考えた。
 気化熱といえば液体が蒸発するのに必要な熱である。読者の皆さんもいろんなところで、この気化熱を体験されていると思う。例えば、注射をする時にアルコールで腕を消毒するが、その時ヒヤァーッと冷たく感じる。これはアルコールが蒸発するために腕から熱を奪っているのである。汗は気化熱で体を冷やすためのもの。日本は湿気が多く、汗はなかなか蒸発しない、それで、日本の夏はじめじめしていて蒸し暑い。湿気の少ない地域では汗が蒸発しやすいので体がよく冷える、それで高温でも過ごしやすいのである。風呂場から外へ出た時に寒く感じるのもこれと同じで、風呂場は湿気が多く、外は乾いているからである。清流のそばはひんやりして心地よい。水辺から風が吹いてくると、これもひんやりして心地よい、冬ならたまらなく冷たい風になる。水が蒸発するために、周囲の空気の熱を奪ったのであろう。気化熱の応用もたくさんある。例えば、冷風扇という扇風機。なまぬるい風でなく気化熱で冷やされた涼風が吹くそうである。昔、ビールを冷やすのに濡れたタオルを巻いて風に当てたそうである。通販の広告に、気化熱で冷やす帽子というのがあった。上部がポリマーでできていて、そこに水をしみ込ませ徐々に蒸発させるとか。これをかぶると頭がひんやりするそうである。イラクの市場の水瓶。この水瓶は徐々に水がしみ出すそうである。しみ出した水が蒸発するときの気化熱で瓶の中の水が冷えるそうだ。常に心地よく冷えた水が飲めるそうである。漏れる水瓶など通常使いものにならないが、生活の知恵である。科学館4階にある「手回しクーラー」。気化熱で急冷するのが体験できる。冷蔵庫やクーラーの原理である。


手回しクーラー


 さて、川遊びでとても冷たく感じるのは、濡れた体から水が蒸発するのに熱を奪っているからである、と弟はいうのである。「一理あるな」と思いながらもう一度水に入っていく。たしかに水に浸かっているところは、それほど冷たくない。冷たいのは水に浸かっているところと、水から出ているところの境である。この辺りだけが非常に冷たい。乾いては濡れ、また乾いては濡れ、ということを頻繁に繰り返しているところである。つまり、この部分はどんどん熱が奪われているのだ(注)


この付近だけの冷たさに恐れおののいていたのである。つまり、水中に入ったとき、全身この冷たさで覆われると思ってしまうのである。単なる恐怖感であるという帰結を得たので、もぐる勇気が湧いてきた。気合を入れて、頭までもぐる。想像していたほど冷たくないのである。その後は、気持ちよく泳ぐこことができたのである。
川底ではハゼが石の上でのんびりしている。日々の雑念を忘れ、解放感に陶酔しながら想った。「そう言えば宇宙の始まりも相転移だったなー...」水が水蒸気に変化するように、ある物質が全く性質の異なる物質に変化することを相転移という。宇宙も150億年前に相転位を起こしたらしい。ビッグバンである。気化熱と宇宙の誕生...、とても幸せな気分を満喫したのである。川遊びが上達し、宇宙の創生を想った夏であった。 

斎藤吉彦:科学館学芸員)

(注)
 境界部分を特に冷たく感じるのは、気化熱による作用でなく、水中の温度と空気の温度の差による心理理的作用のようです。もし、気化熱でこの部分を冷たく感じるのなら、湯船に浸かっているときも同様のことを感じるはずです。しかし、全く境界部分を冷く感じることはありません。
 誤った記述をお詫びするとともに、この注釈を訂正とさせていただきます。

2005年5月30日