月刊うちゅう 2003 Vol.19 No.10
蒸気機関 

写真1.C62形(左)とB20形(右)。C62形が梅小路公園に沿って走ってきたところ。(梅小路蒸気機関車館)

 京都駅西側にある梅小路蒸気機関車館には多数の蒸気機関車が保存展示されています。写真1は動態保存されているC62形とB20形という蒸気機関車が並んで走っているところです。C62形の方は来観者を乗せた客車を牽引して、梅小路公園に沿って走ってきたところです。C62形は143トンもあるのに、時速110kmも出したそうです。2000馬力を超えるそうで、おおよそ乗用車の20台分もの出力です。お湯が沸騰して、やかんのふたを動かすのと同じ水蒸気の力が原動力なのですが、これとは比較にならないぐらい大きな力で、16気圧だそうです。手のひらに乗用車1台をのせた時の圧力と思っていいでしょう。このような大きな力でピストンを押し、車輪を回転させ、蒸気機関車が走るのです。ところで、水蒸気が押すのはピストンだけではありません。水蒸気を作るボイラーも同じ圧力で押されています。ということは、ボイラーはこの圧力に耐えているのです。じつは、この高圧力がもとでボイラーの爆発事故が絶えないという時期がありました。イギリスでは1862年から1879年の間に10000件、アメリカでは1880年から1919年の間に14000件27000人の死傷者という記録があります。毎日、どこかで爆発事故という、なんとも恐ろしい時代だったようです。
 18世紀初頭から蒸気機関は、鉱山の排水ポンプの動力源として稼動していたのですが、効率が悪く多量の石炭を必要としたので、イギリス以外ではほとんど使われることがありませんでした。19世紀になると、様々な改良が加えられた蒸気機関は水力に代わって、工場の動力源として利用されるようになります。産業革命は水力の利用から、蒸気機関の時代へと変遷したのです。そして、蒸気機関は交通用の動力源としても待望されるようになります。しかし、当時のものは、大気圧程度で動かしていたので、かさが大きく、交通用としては使い物になりません。蒸気機関の小型化が求められたのです。そのため、ボイラーの爆発という危険を冒して、高圧蒸気機関の開発が推し進められました。19世紀初頭にはすでに10気圧以上の蒸気機関が作られ、1829年にイギリスのスティーブンソンが蒸気機関車の実用化に成功しました(そのときのものがロケット号で、科学館4階に精巧な模型を展示しています。)。日本に導入されたのは、イギリスからの輸入で、1872年(明治5年)に新橋−横浜間に開通しています。
 さて、蒸気機関車は燃費が悪い、稼働率が低い、黒煙、運転技術が複雑、などの理由で、ディーゼル車や電車に主役の座を奪われ、日本では1976年に完全に運用が終了ました。それでは、もう、水蒸気は利用されなくなったのでしょうか?いえ、そんなことはありません。火力発電所や原子力発電所では高圧の水蒸気をタービン(風車のようなもの、写真2)に吹き付け、タービンを回して発電しています。現在では300気圧、100万馬力(70万kW)を超えるものもあるそうです。水蒸気の応用は、電車を何台も走らせ、さらに、毎日の電気生活に欠かせない存在となっています。


写真2.蒸気タービンロータ。千葉火力発電所3号機で1954年から1991年まで使用。低圧用で23トン。3号機は17.5kWで、当時の千葉県の全電力をまかなった。(千葉県立現代産業科学館)

 水を頼りにして、産業革命は水力から蒸気機関へ、そして、現代は蒸気タービンへと、文明が移り変わってきました。そう言えば、私たちの体もほとんどが水で、水がなければ生きていけません。太古から水を頼りにして生き抜いてきたのでした。

1京都駅西側の梅小路蒸気機関車館では、かつて活躍した16形式の蒸気機関車が展示されている。動態保存されているものもあり、梅小路公園の南側を来館者を乗せて試走する。東寺にもこのときの汽笛が聞こえている。