月刊うちゅう 2005 Vol.22 No.2 

世紀の大発見

 高校2年のとき、素粒子論を研究している大学院生のO先生に物理を習いました。O先生は、高校レベルを超えた高度なことを話されることがよくあり、その度に「わからないのは当たり前、ぼくもわからなかったし、今も分からないことの連続だ!」とおっしゃいました。おそらく、「勉強したら理解できる!」と励まされたのでしょうけど、私たちはほとんど勉強しない怠惰な高校生でした。残念ながら全く理解できなくて、焦燥感だけを味わったものでした。しかし、O先生からは人生を左右されるような刺激を受けました。O先生はしばしば研究現場での赤裸々なことを披露してくれました。「A大学の結果と、僕のとは矛盾する。たぶん、彼らは間違っていて、僕が正しいはずだ!」、「B先生は何も分かっていない。ぼくの理解者はC君だけだ。」なにか大発見したかもしれない、しかし、それを認めてくれる人がほとんどいない、と興奮してまくしたてるのでした。それまでは、科学者はとても偉い人で、自分とは全く関係ない遠い存在と思っていたのですが、目の前にいる若者が科学者なのです。話の中身は全く理解できないものの、自分まで熱くなるような感動を覚えました。16歳の私は「ぼくもなにかを発見できるかもしれない、ぼくもやりたい!」と、科学の世界にあこがれたのです。そして、彼の後を追って、私も大学院で素粒子論を専攻することになりました。
 ここでの研究生活はまさにO先生がおっしゃった「分からないことの連続」でした。分からないので研究しているうちに、「大発見!」と思うことがたまにあります。この時は、O先生と同じように興奮しました。しかし、しばらくして分かることなのですが、それらは既に誰かが発見していたことであるか、あるいは、大したことないものだったので、興奮が冷めるのでした。このような研究生活で大学院を卒業し、教員や会社員を経験した後、科学館へやってきました。O先生との出会いから既に30年を過ぎるのですが、16歳のときの「ぼくもなにかを発見できるかもしれない、ぼくもやりたい!」という志は、衰えることはありません。大学院時代の「大発見!」という感激、ほんのつかの間の興奮だったのですが、その味を忘れることができないのです。
 科学館では、展示やサイエンスショーを考案するのですが、誰もやったことない新しいものをとひそかに狙ってきました。ここでも、大学院生活のときと同じで、発見の興奮をひと時味わった後、「しょうもない」と冷静になる、これを繰り返しています。学生時代との違いは、来館された方から、いいねー、おもしろい、楽しい、などとお褒めの言葉をいただくことがあります。この時は本当にうれしいです。



サイエンスショーのひとコマ。「おっちゃんの大発見やでー!」と演じる著者。

 ところで、ひとつだけまだ興奮の冷めない発見で、世紀の大発見と自画自賛しているものがあります(4階展示場で公開中)ので、それを紹介しましょう。
 写真が世紀の大発見です。方位磁石を1000個並べたものなのですが、北を指さずに、近所同士で同じ向きに揃っています。つまり方位磁石がたくさん集まると、隣近所では同じ方向を指すことを発見したのです。



著者の大発見。方位磁石が集まると、近所同士は同じ方向を指す。「自発的対称性の破れ」という物理現象の一種。この現象は鉄のミクロ構造や素粒子の質量起源を説明する概念である


 なぜ、これが大発見かというと、もし、倍率1億倍の顕微鏡で鉄を見ることができたら、そのときの像はこれとそっくりなのです。鉄原子は磁石の性質を持っていて、鉄の中ではこれとまったく同じ現象が起こっているのです。また、素粒子の世界でも同じ現象が生じていると次のように考えられています。「素粒子はヒッグス場というものに浸かっている。ヒッグス場は、この写真とそっくりなもので、近所同士揃う傾向がある。つまり、素粒子は鉄のようなものの中を運動しているのだ。そして、ヒッグス場が向きを揃えるので、素粒子は質量を持つ。」これを素粒子物理学では「素粒子の質量起源はヒッグス場の自発的対称性の破れである。」と表現します。教科書などでは、「自発的対称性の破れ」の直感的な説明に、この写真のような図がよく使われます。しかし、「自発的対称性の破れ」を自分の目で直に見た人はこれまでにいなかったのです。私が世界で初めて、それを見たのです。O先生との出会いが世紀の大発見に導いたのです。

斎藤吉彦:科学館学芸員