17/Jun./2015/ 改訂

『西洋新法暦書』について







西洋新法暦書





1.『西洋新法暦書』
 『西洋新法暦書』は、17世紀の中国で書かれた天文学の専門書です。この本は、全103巻という大部の書物ですが、科学館が所蔵しているのはそのうちの20冊です。
 『西洋新法暦書』はもとの名を『崇禎暦書』といい、明朝末期の1634年に完成しました(全137巻)。内容は太陽や月の理論、日月食、恒星、惑星運動論、各種表などで、当時中国に来ていた西洋の宣教師の力を借り、西洋天文学の最新成果が導入されています。明王朝では、この『崇禎暦書』をもとにして新しい暦を作ろうと考えましたが、まもなく王朝は崩壊してしまいます。そして、新たに中国を統一した清王朝において『崇禎暦書』は再編され『西洋新法暦書』(1645年完成)となり、新しい暦「時憲暦」(1645年施行)も作られました。
 『西洋新法暦書』は日本にも輸入され、18世紀後半から19世紀前半頃に天文学者たちのテキストとして使われました。そのため、日本にも比較的多くの写本が伝わっており、当館の資料もその一つと考えられます。ただし、『崇禎暦書』と『西洋新法暦書』は基本部分が共通しているため、江戸期の日本では両者の名称が混同して使われている例が多く見られます。当館資料も、表紙にある題箋には「崇禎暦書」と書かれているものの、扉や内題には「西洋新法暦書」とあり、実際の内容は『西洋新法暦書』です。


2.科学館所蔵の『西洋新法暦書』目録
 科学館が所蔵する20冊の詳細は、下記の通りです。

書名冊数
・測食(上下巻合本) 1冊  
・日躔表(上・下) 2冊  
・日躔暦指(巻一) 1冊  
・月離表 4冊  
・月離暦指(巻一、四) 2冊  
・古今交食法 1冊  
・五緯暦指(巻一〜九) 9冊  


3.『西洋新法暦書』あれこれ(その1) : 望遠鏡による新知識
 さて、科学館にある20冊のうちの9冊は『五緯暦指』と名づけられた一連のシリーズです。「五緯」とは五惑星(火水木金土星)のことで、つまりは惑星理論を述べた部分です。
 『五緯暦指』の大半は惑星の運動論ですが、全編のどこをみても当時最先端の西洋天文学がちりばめられています。天の体系は、チコ・ブラーエの体系が用いられていますし(この時既にコペルニクス体系があったが、カトリックの宣教師たちには受け入れる事ができない説のため、チコの体系が採用されている)、そして注目すべきは、ガリレオからはじまった望遠鏡観測による天文学の新知識が紹介されていることです(『五緯暦指』巻一「新星解」)。それらを簡単にまとめると、

1. 望遠鏡で空を見ると、数えられない程の星が見える。
2. 土星を望遠鏡で見ると3つの星が見える。真ん中の一番大きな星が土星(本体)で、その左右に一つずつの星が見える。これらは新発見の星である。
3. 木星を望遠鏡で見ると、木星と4つの小星(衛星)が見える。これらは常に木星の回りをまわっていて、お互いに近づいたり遠ざかったりしている。
4. 金星は、月の様に満ち欠けをする。
5. 太陽の周りには小星がたくさんあり、望遠鏡を用いて像を投影すると、黒点が見える。観測していると、時により数が変わり、形には大小がある。
6. 望遠鏡で太陽を見ると、中に明るい点が見える。その光は甚だ強い。
7. 日の出入り時の太陽を望遠鏡で見ると、つぶれた円盤状に見える。その周縁は鋸の歯のようにギザギザになっている。
 このような知識は、ガリレオが望遠鏡を発明した1609年から数年間のうちに発見された事項です。特に1,3,5はガリレオの『星界の報告』(1610年)で紹介されています。ちなみに、2番目の「土星の左右の2つの星」は衛星ではなく、土星の環の事です。発明直後の望遠鏡は解像力が弱く、土星本体と環がはっきり分離できませんでした。そのため、両側に惑星が2つあるとしています。

 これら望遠鏡観測による成果は、少なくとも1615年には中国に入っていますので、この『西洋新法暦書』の記事が最初ではないのですが、ともあれ記事を読み、また西洋から伝わった望遠鏡で実際に天体を見た中国人たちはさぞや驚いたことでしょう。

 この様に、当時の中国では、西洋から新しい天文学に関する情報が入ってきていました。そして、その情報を輸入した日本人達は西洋科学の発展に気付き、やがて来る蘭学ブームを生み出したのです。




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