長谷川能三のHP研究報告誌  大阪市立科学館研究報告10,165-168(2000)



青少年のための科学の祭典(大阪大会)の7年


長谷川 能三

大阪市立科学館


概要
 大阪では、1992年度より毎年「青少年のための科学の祭典大阪大会(もしくは近畿大会)」が行なわれている。1993年の第2回大会からは、当館を会場としてきた。ここで、科学の祭典の7年間を振り返ることにする。

1.はじめに
 青少年のための科学の祭典は、東京の科学技術館を会場に毎年行なわれている全国大会を筆頭に、今や全国各地で行なわれている。しかし、このような全国で行なわれるようになったのはここ数年であり、大阪で最初に行なわれたのも1992年12月であった。ちなみにこの大会は、OBP(大阪ビジネスパーク)のツイン21で会場を借りて開かれた(この大会が第1回大阪大会にあたる)。
 当時の科学の祭典は、東京と他の都市の年間計2ヶ所で行なわれるスタイルであった。このため、大阪でもこの1992年にだけ行なわれる予定であったが、当時より大阪大会の実行委員会の中心的役割を担っていた日本物理教育学会大阪支部(現近畿支部)の熱意により、翌年以降も実施の方向となった。
 しかし、1993年以降は独自開催であるために予算的な制約があり、また、地域の科学館との連携という指導もあり、大阪市立科学館を会場として行なうこととなった。

2.第2回大会(1994年1月)
 当館での最初の大会となった第2回大会を行なう上で、一番の問題となったのがスペースであった。
 この大会では、第1回大会を踏襲して、演示実験や工作以外に、講演会も行なう予定であった。しかし当館の普及活動スペースとしては、講演会に研修室を割り当ててしまうと、残りは工作室だけとなり、十分なスペースが取れない。また、工作室はオープンスペースからは入り込んだ場所にあり、来館者が随時出入りする演示実験スペースには適さない。そこで、逆にまとまって人が出入りする講演会を工作室で行ない、演示実験・工作を研修室およびその周辺で行なうことにした。また、シースルーエレベーター前に工作机を並べ、ステージ実験も行なった。
写真1.ステージでの演示実験の様子
 しかし、これでも研修室は非常に狭く、中央のパーティションを4分の3程度出して部屋を二分割した上で、机は壁際および、分割されたそれぞれのスペースの中央にも並べ、実験演示者が机の前へ出るという形態とった。このように、研修室で非常に多くの演示実験を行なってもらったため、スペースに関して不満の残るものであった。なお、パーティションを4分の3程度出すというスタイルについては、これ以降の大会でも採用した。
 なお、開催日程は冬休み中ということで考えたが、当館が年始は1月4日まで休館であるため、準備を開館初日の1月5日にあて、1月6日・7日の大会開催となった。しかし、直前の準備に不安を残したまま年末・年始の休館に入るというスケジュールになってしまった。
第2回大会の記録
日程1994年1月6日(木)・7日(金)
実験・工作45件(ステージを含む)
講演会4件(工作室)

3.第3回大会(1994年10月)
 第3回大会は、当館の開館5周年のイベントという位置づけも加えて行なわれた。学校週休二日制に伴い、この年の10月は、8日(第2土)・9日(日)・10日(月・体育の日)に学校が3連休になっていた。そこで、開館5周年記念日(1994年10月7日)に近い、この3連休にこの大会を行なうこととなった。ただし、大会出展の先生方の休息日を考えて、大会開催は8日・9日とした。
 この大会では、第2回大会での反省点をふまえ、講演会をサイエンスシアターで行ない、工作を行なうブースを工作室に移した。これによって、前年に比べて研修室をゆったり使えるようになった。しかし、サイエンスシアターは16時45分の閉館時刻までプラネタリウムとオムニマックスのスケジュールで埋まっているため、講演会を昼間(他の演示実験を行なっている時間帯)に行なうことはできない。そこで、講演会は17時から行なうこととし、あまり遅くならないようにという配慮から、初日・2日目とも講演は1件ずつに絞った。
第3回大会の記録
日程1994年10月8日(土)・9日(日)
実験・工作49件(ステージを含む)
講演会2件(サイエンスシアター)

4.第4回大会(1995年12月)
 第4回大会は、学校週休二日制の拡大に伴い冬休みにつながる連休となった12月23日(第4土)・24日(日)に行なった。
 演示実験・工作・講演会などの場所。時間の割り振りは、第3回大会に準じて行なった。
第4回大会の記録
日程1995年12月23日(土)・24日(日)
実験・工作44件(ステージを含む)
講演会2件(サイエンスシアター)

5.第5回大会(1997年3月)
 第3回・第4回大会では、講演会をサイエンスシアターで行なってきたが、シアターのスケジュールの関係上、講演会はどうしても17時以降になってしまう。そこで、第5回大会では、講演会を工作室で行ない、そのかわり正面玄関前広場にテント(体育祭などで使うタイプのもの)を多数建て、屋外で17件の実験・工作を行なうことによって、演示実験・工作の場所を確保した。しかし当日は非常に風が強く、テントが飛ばされそうになりながらの開催となった。
 なお、この大会より第8回大会まで、3月下旬の春分の日の頃にに行なうことが定例となった。
 またこの大会より、ガイドブックに場内案合図とステージの時間割が入るようになった。
第5回大会の記録
日程1997年3月22日(土)・23日(日)
実験・工作50件(内、ステージ10件)
講演会2件(工作室)
来館者数22日展示場1575人・シアター1358人
23日展示場2062人・シアター1815人

6.第6回大会(1998年3月)
 第6回大会では、第5回大会で風によるトラブルがあったため、屋外で行なうのは屋外でないとできない実験に限り、講演会は17時からサイエンスシアターで行なうスタイルに戻した。
 工作については、これまで演示実験と同じようにブースに来られたお客さんに順次行なってもらっていたが、この大会より整理券を配布し、工作室で時間を区切って行なうことになった。これにより、比較的落ち着いて工作できるようになったが、参加できる人数にかなり制限が出た。また、時間オーバーする場合もあり、夕方の時間帯にあたっている工作にしわ寄せがいった。なお、工作室は2つに区切り、同時に2つの工作を平行して行なった。
 また、この大会では、当館の天文台見学も行なった。整理券を配布し、学芸員および先生数名で案内・解説を行ない、晴れていれば昼間見える天体も見ていただいた。
第6回大会の記録
日程1998年3月21日(土)・22日(日)
実験・工作47件(内、ステージ5件)
講演会2件(サイエンスシアター)
来館者数21日展示場1199人・シアター1075人
22日展示場1434人・シアター1448人

7.第7回大会(1999年3月)
 第7回大会は、祝日(春分の日)の関係で、日曜日・月曜日の開催となった。このため、これまで初日(土曜日)の夕方のニュースで取り上げられることが多かったが、日曜日は夕方のニュースそのものが少なく、取り上げられにくかった。
 この大会での大きな問題は、第7回大会の行なわれる頃には、正面玄関前広場で国立国際美術館移転工事が始まる予定になっているということだった。このため、この大会では屋外演示は取りやめたが、実際には工事開始が遅れ、当日はまだ工事が始まっていなかった(屋外演示は予定通り行なわなかった)。
 講演会については、サイエンスシアターで17時から行なった。初日1件のみに減らしてしまったが、2日目の後かたづけがスムーズに行なえるというメリットもあった。
 工作については、第6回同様、整理券を配布し、時間を区切って行なった。但し、時間オーバーを防ぐために工作室を2つにわけ、片方で工作を行なっている間に、もう片方では前の工作の片づけと次の工作の準備を行なうという方式をとった。また、においがかなりでる・人混みの中では危険性があるなどといった実験については、工作室で時間を区切って行なった。これは第8回でも踏襲した。
 なお、研修室の演示実験については、スペースおよび演示者の都合により、4件が1日だけの演示となった。
 また、第6回大会で好評だった天文台見学を、この第7回大会でも行なった。
第7回大会の記録
日程1999年3月21日(日)・22日(月)
実験・工作52件(内、ステージ7件)
講演会1件(サイエンスシアター)
来館者数21日展示場1789人・シアター1712人
22日展示場1838人・シアター1667人

8.第8回大会(2000年3月)
 この大会では、講演会を早い時間に行ないたいということで、初日のみ工作室で16時から行なうこととした。これまで、工作室で講演会を行なう場合には講演会専用としてきたが、こうすることによって初日は15時30分まで、2日目は全日、工作室を工作や実験に使用することができた。
 しかし、この大会では特に小学校の教員などにこれまで以上に出展を募ったため、出展が全部で70件にものぼり、1日目と2日目でほとんどの入れ替わるという状況になった。また、工作室での工作も1テーマ1回のみとなってしまった。また、工作の希望が多かったため、研修室で整理券不要で時間も区切らない形での工作を増やした。
第8回大会の記録
日程2000年3月19日(日)・20日(月)
実験・工作70件(内、ステージ7件)
講演会1件(工作室)
来館者数19日展示場2731人・シアター1637人
20日展示場1698人・シアター1510人

9.まとめ
 ここにまとめたように、科学の祭典を開催する上でのさまざまな条件が少しずつ変化しており、毎年新たな問題に直面しながらも、前年度までの経験と反省点を活かし、開催を続けてきた。
 2000年度の科学の祭典は、会場をハービスホールに移しての開催予定であり、会場が変わるという大きな条件変化に直面する。しかし、これまでの経験と反省点を十分活かすことにより、よりよい科学の祭典になることを期待します。

 最後になりましたが、日本物理教育学会近畿支部を中心とする先生方をはじめ、「青少年のための科学の祭典」を支えてこられた多くの方々に、感謝申し上げます。


[参考文献]
 青少年のための科学の祭典大阪大会ガイドブック(第2回〜第8回)