揚力とブーメランの物理

大倉 宏

 

 

概 要

 

ブーメランを投げると旋回し、投げ手のところに戻ってくる。回転するブーメランの翼には揚力が働くのだが、各々の翼でその強さが異なるため歳差運動を生じ、そのために戻ってくるのである。ここでは、ブーメランの翼に働く揚力とブーメランの運動について解説する。

 


1.  はじめに

空を自由に飛行することは長い間人類の夢であった。今では飛行機がそれを実現させているが、かつて、人々は小鳥や昆虫が飛ぶ様子を観察し、そこからヒントを得て、なんとか飛ぶことを試みた。

中には、はばたきによって飛ぼうと考えた人もいた。持ち上げた羽根を下に打ち下ろし、また羽根を持ち上げ、打ち下ろし…ということを何度も何度も繰り返すのだが、羽根を打ち下ろす時と持ち上げる時と同じようバタバタとやってはダメなことはすぐに気付く。少なくとも持ち上げるときは空気抵抗が少なくなるようにしなければならないはずだ。

小鳥などと比較して相対的に筋力の弱い人間にはそんな飛び方は無理な話(筋肉の問題というより、レイノルズ数の問題と言った方がよいかもしれない)だが、ライト兄弟が成功するまでは、まじめにそんな飛び方を考えていた人もいたのである。

そのうち、もっと大きな鳥たちは、羽ばたくのでなく空中を滑るように飛んでいることに注目する人たちが現れた。大きな鳥は、翼に生じる揚力を利用して飛んでいるのである。

では、その「揚力」とはなんだろう。流体力学の大家の今井功先生は、『静止流体中を運動する物体は一般に流体から力Fを受ける。その力の進行方向に逆向きの成分Dを抵抗、進行方向に直角の成分Lを揚力という。』と説明する[1]。極めて明快な説明ではないだろうか。

 

2.  揚力はなぜ生じるのだろう

流れから受ける力の垂直成分が揚力、水平成分が抗力(抵抗)という定義は簡明であるが、ではなぜ揚力が発生するのか[2,3,4]は一筋縄では行かない。そして諸説喧しい。

インターネットや通俗書にはさまざまな説明が書かれている。曰く翼の上面と下面に気圧差が生じるのである、曰くベルヌーイの定理、曰くマグヌス力、曰くクッタ‐ジュコフスキー流の渦や循環の理論、曰く流線曲率の定理。中には、揚力の発生メカニズムは現代科学をもってしても説明不可能だと言う人までいる。

中でも説明によく使われるのがベルヌーイの定理だろう。翼の上面の流れが速いため気圧(静圧)が下がるため揚力が発生するのだと説明する。たしかに翼の上面に速い気流ができることや、ベルヌーイの定理そのものには間違いではない。

しかし、なぜ上面の流れが速くなるのかの説明に窮し、しばしば翼の前縁で分かれた空気が後縁で再び出会うとき、同時到着しなければならないという事実に反する説明が見られる。翼は上に膨らみがあり距離が長くなった分速くならなければならないというのだが、明らかに間違った説明である。

そして、それを以ってベルヌーイの定理で揚力の説明をするのは間違いであるという人まで現れている。一昨年、アンダーソンという人が、ベルヌーイの定理による説明は間違いであるとして、空気の運動量に着目した説明を本に著し話題になった[5]。

翼の上を通過する空気は翼により下に押し下げられ、下降気流(吹き降ろし downwash)を作る。揚力の説明に運動量を持ち出すのは、何もアンダーソンが初めてということではなく、今井先生も『水平な流れの中に飛行機の翼のような薄い板を傾けて置くと、流れは下向きに方向を変える。つまり、流体は下向きの運動量を板からもらうことになる。これは板が流体に下向きの力を及ぼすことを意味する。したがって、その反作用として、板は流体から上向きの力を受けることになる。これがすなわち揚力である。』と説明している。

運動量などといわれると大層なもののように思えるが、下方に空気を押し下げ、その代わりに自身が上昇するというのは、羽ばたきと同じことなのである。羽ばたきによって生じる力を揚力と言えば語弊があるが、ともかく空気を下に下げることによって上向きの力を得るということだから、ベルヌーイ云々よりこどもたちには遥かに実感しやすい説明のように思う。

平成18年度、サイエンスショーでブーメランのサイエンスショーを行ったが、そこではこの運動量理論に基づいて揚力発生の仕組みを説明するデモンストレーションをいくつか行った。サイエンスショー自体がどのようなものであったかは、別稿を本誌にまとめたのでそちらをご覧頂きたい。

 

3.  世界一かんたんブーメラン(→紙ブーメランの歴史)

紙ブーメランの作り方はいろいろあるが、大阪市立科学館の作り方が一番簡単なのではないだろうか。短冊状の2枚の厚紙を十字に重ねホチキスで止め、羽根に少し「癖」をつけるだけである。

紙は、軽すぎると慣性が小さいので空気抵抗によりすぐスピードが落ちてしまう。また、ハガキや牛乳パック程度の硬さが必要で、画用紙ではだめである。 我々は、「セキレイ」という会社の「板目表紙」(再生100美濃判)という紙を使っている。この紙は、文具店で入手可能だと思われるが、「セキレイ、再生板目」など適当なキーワードでネット検索すればネット販売で入手できるところも見つかるはずである。

さて、その作り方だが、

 

@厚紙を長さ27cm、幅2.5〜3pの短冊状に切出

す。

A四隅のとがった角を切り丸くする(飛び方には関係しませんが)。

B2枚を十字に重ねてホチキスで止める

C羽根の先(4つとも)に丸みをつける(1mmほどの盛り上がり)。

D羽根の先を上に反らせる(2oほど)。

 

以上である。

折り曲げる程度は、上の写真は判りやすいようにかなり強調して丸め(ふくらませ)たり、反らしたりしているが、実際にはほんの僅かで、遠目には曲げているのかどうか分からないほどである。あまり曲げすぎると飛びが悪くなるように思われる。

丸みのある面を表と呼ぶことにしよう。投げ方は、ブーメランの表を頬に向けて、手首のスナップを利かせて十分回転かけ上投げを(オーバースロー)する。

小さな子や女性には難しいのかもしれないが、野球のボールを普通に投げるのとほぼ同じで、最初から手首を返してブーメランを持てばスナップを利かせて投げることができるはずである。静岡科学館る・く・るの海野弘光氏はこの投げ方を「あら、奥さん投げ」と呼んでいる。

この稿では、ブーメラン自身の重心のまわりの回転を「回転」とよび、軌道が回って戻ってくることを「旋回」と呼ぶことにしよう。

実はこの紙ブーメランは軽くて(7gほど)、旋回半径は2〜3メートルしかない。2枚重ねて15g程度にすれば、もっと大きな旋回半径で飛ぶようになる。重いブーメランは、小さなこどもには投げるのが難しくなるが、慣性が大きいので空気抵抗に負けず、腕力のある大人ならこちらの方がむしろ投げ易いだろう。ただし、それなりにスピードがつくので、まわりに十分気をつけなければならない。

厚紙で作るブーメランは東京の方では3枚羽が主流になっているようだが、羽根の枚数が2枚か、3枚か、4枚かは本質的ではなく、同じように投げれば、同じように戻ってくる。

3枚羽ブーメランは羽根に切り込みと折り、あるいはねじりが入れられ、我々のブーメランではキャンバー(ふくらみ)が付けられている点も異なるが、工作のしやすさの問題でこれも本質ではない。両者とも僅かに上反角が付けられることが多いが、無くとも戻ってくる。

上反角どころか、ねじりやキャンバーを全くつけない平板ブーメランでも投げ手の場所に戻って来させることが可能ではあるが、全く別物なのでそれについては後ほど触れる。

 

4.  ブーメランが戻ってくる理由

ブーメランの翼には揚力が働く。以下、右利きの人がブーメランは立てて持ち、表を自分の顔の方(つまり左)に向けを上投げすることを想定する。表が左を向いているのだから、ブーメランは揚力のために左へ軌道が曲がる。しかし、もし回転面の向きが変わることがなかったら、揚力は常に左向きに働くだけであるから、ブーメランが投げ手の所に戻ってくるはずがない。

ブーメランが戻るのは、ブーメランが回転運動をしているからに他ならない。回転運動しているブーメランの姿勢を現すのに、角運動量ベクトルの向きを使おう。角運動量ベクトルの向きは右ネジの進む方向で定義される。

実は、4枚ある各々の翼に生じる揚力の大きさは同じではない。回転運動しているため翼の対気速度が異なるからである。上に位置する翼は進行方向と回転が一致するから大きな揚力が働き、逆に翼が下になると揚力は小さくなる。その結果、力のモーメント(トルク、偶力)が発生する。力のモーメントも、角運動量同様右ネジの進む向きで定めたベクトルとして表そう。

右利きの人が投げたブーメランは、最初角運動量ベクトルは左に向いている。そして、揚力の向きは左だが、力のモーメントは投げ手の方(進行方向の逆)を向いている。その結果、ブーメランの軌道は左にカーブして行くが、回転面は歳差運動を起こし変化する。すなわち左を向いていた角運動量ベクトルが次第に投げ手の方を向くように変化していく。

その結果ブーメランは刻一刻と回転面が変化し、軌道を左へ、左へと変えて行き、投げ手のところに戻ってくる。

 

5.  ブーメランの揚力の変化

前項で、ブーメランを旋回運動させる向心力は揚力(各羽根に生じる揚力の合力)であり、回転面(角運動量ベクトルの向き)が変化するのは、各羽根に生じる揚力の大きさに差があることが原因となると述べた。

ところが、竹とんぼならその場で回転させれば上昇を始めるが、ブーメランではそうはならない。ブーメランの翼(羽根)に生じる揚力はこのような運動を起こさせるのに本当に十分なのかという疑問が生じるかもしれない。そこで、ブーメランをフリスビーを投げる様に(あるいはサイドスローで)、水平になげてみると面白いことが分かる。

羽根をねじるにしろ、膨らみをもたせるにしろ、羽根に生じる揚力は迎え角(ここではブーメランの進行方向と回転面との成す角)とともに大きくなる。最初迎え角は小さかったのだが(この段階では揚力が小さく、水平に飛ぶ)、進行方向の前方の羽根がまず持ち上がり、次第にブーメランが立ったような状態になり、急上昇する。

この迎え角が大きくなるような変化には上反角が寄与している。実際上反角を付けてやるだけで、ねじりやキャンバーを付けなくとも紙ブーメランは戻ってくる。しかし、上反角はこの効果を大きくしているだけで、上反角をつけなくとも同じことが起こる。何故ならここでも先に述べた翼の対気速度の違いに起因する力のモーメントによって、歳差運動が起こるからである。

きちんと作られたブーメランでは、たとえ最初迎え角が小さくともある程度の揚力が発生し、同時に迎え角を大きくするメカニズムが働き、十分な揚力が発生し、投げ手のところに戻って来るようになるのである。

ここで大事なのは、回転運動だけでなく、並進運動とセットになることで(最初小さかった)揚力が大きくなるということである。

実は、このようなブーメランでなければ投げ手のところには戻って来ない。駄菓子屋のブーメランではこのような揚力を十分に発生させることができないのである。

 

6.  ホバリング

投げられた紙ブーメランの最終局面では、ブーメランは並進運動(旋回運動)の運動エネルギーを失い、回転しているだけになる。この段階ではもはや歳差運動は起こさない。

実は、この状態になる以前から、最初横倒しだった角運動量が起き上がってくる。つまり、最初垂直であった回転面が水平に近づき、やがて並進運動が失われ、ブーメランはホバリング状態に入る。

横倒しだった角運動量を引き起こす効果は翼に上反角を付けると大きくなる。紙ブーメランを作り投げてみて、自分のところに戻る前に落下してしまう場合は、上反角を大きくすると良いことが多い。

しかし、上反角がなくとも引き起こしは起こる。何故なら進行方向に対して下流に位置する翼は上流の翼が作る気流の影響で(実質的に迎え角が小さくなる)揚力が小さくなるからである。このために生じる上向きの力のモーメントが角運動量を引き起こすからである。

 

7.  ブーメランではないブーメラン

ねじりもキャンバーも上反角も付けないただの平板紙ブーメランでも戻ってくると書いた。しかしこの場合は、上投げではだめで、横投げ(サイドスロー)かフリスビーを投げるような投げ方でなければならない。しかも、水平に投げ出したのではだめで、40度から50度くらい上向きに投げ出さなければならない。

実は、このブーメランが戻ってくるのは角運動量保存のなせる業である。上向に投げられたため、並進運動のエネルギーは上昇(位置エネルギーの獲得)のために費やされる。最上点に達すると元来た軌道を逆戻りする。翼はほとんど揚力を生み出していないから、この間の角運動量の向きはほとんど変化しない。したがって歳差運動を行っていない。

ブーメランではないブーメランとはそういう意味である。このブーメランは、空中では常に同じ姿勢を保っている。しかし、前項でも述べたとおり、歳差運動を行う紙ブーメランでも最終局面ではこのブーメランではないブーメランと同様の運動を行う。

丈夫な紙片をくの字に切り、指で弾いて同じ要領で飛ばすと戻ってくる。筆者はこれを「宇宙一かんたんブーメラン」と呼んでいる。

なお、平板紙ブーメランは斜め投げ(オーバーサイドスロー?)をしても戻って来ることがある。このときは歳差運動を行っているように見える。投げ方によっては、揚力を獲得し、ブーメランらしい飛行をするようだ。慣れの問題であるが、斜め投げより裏投げ(右手に持ったブーメランを左肩口に構え、右腰下に振り下ろす。)の方が斜め投げより投げやすいかもしれない。

 

8.  再び揚力とサイエンスショーの話

サイエンスショーでは、ブロアを使って、ビーチボールやペットボトルを浮かした。しかしそれは、浮かせる物体の上部にだけ風を吹きつけているので、ブーメランや航空機が飛行するのと異なる状況である。

確かにビーチボールやペットボトルでは、上を通過する空気が下方に折り曲げられることにより揚力が発生していたのだろう。サイエンスショーでは物体に沿って気流が流れる効果(コアンダー効果)を使って揚力を説明していた。

しかし、ブーメランや航空機の翼についてコアンダー効果だけで揚力を説明することは不十分であろう。翼の後縁が尖っていることにより、下から来る気流が上面に回りこまないことで、吹き降ろしが実現しているのである。

揚力をきちんと理解するためには、クッタ‐ジュコフスキー流の渦や循環の理論がやはり必要なのだろう。しかし、とても素人に理解できるようなものではない。そこで、読者は素人ではないだろうが本稿でもサイエンスショーでも揚力の説明として運動量理論を用いた。

 

参考文献

[1]日本大百科全書「揚力」の項 今井功(小学館

[2]「飛行機物語」鈴木真二(中公新書)

http://hitomix.com/taruta/paperplane/

[3]「図解入門よくわかる航空力学の基礎」飯野明(秀和システム)

[4]筆者のホームページ

http://www.sci-museum.jp/~ohkura/

[5]“Understanding Flight” David F. Anderson & Scott Eberhardt, 2001, McGrew-Hill, ISBN 0071363777

http://home.comcast.net/~clipper-108/lift-J2.pdf