大英科学博物館展(1999年10月〜2000年2月)
写真展(製作中) VER.5




 

天体力学の時代
太古から天体の運動や地上での物体の運動を理解することは大きな課題でした。17世紀になるとガリレイが地上での物体の運動を研究し、またケプラーは惑星の運動を正確に捉えるに至ったたのですが、最終的な理解は「万有引力の法則」まで待たねばなりませんでした。  1687年、ニュートンが『プリンキピア』で発表した万有引力の法則は、「2つの物 質は、お互いに引力で引き合う。その力の強さは物体間の距離の二乗に反比例する。」 というものでした。しかも、地上での物体の運動から天体の運動までを統一して説明できるという画期的なものでした。  ニュートンにより完成した力学はそれ以降の科学研究に多大な影響を与え、なくて はならない存在となりました。


彗星儀 19世紀初頭


  太陽をまわる彗星の運動の様子を示す教具。中央のしんちゅうの玉が太陽、白い玉が彗星、白い玉のブラシが彗星の尾を表す。彗星の運動は白い玉と長い針が示し、太陽のそばにある短い針は一定速度で回転する。2つの針の動きを見ることで、彗星の運動がケプラーの第2法則(一定時間に進む距離はその動径がはく扇形の面積に等しい)に従うことがわかる。


世界初の反射式望遠鏡(レプリカ) 1668年


光を集めるのに凹面鏡の反射を利用した世界初の望遠鏡で、ニュートンが製作した。望遠鏡は天体位置の精密測定にも有用であるが、従来のレンズを使った望遠鏡では像の色にじみ (色収差)のため十分な精度を出すのが難しかった。この反射式望遠鏡は色収差が起こらないため大評判となったが、鏡のメッキ法や研磨 など技術的問題があり、広く用いられるようになったのは100年ほどたった18世紀半ばからである。


振り子機械(模型) 1646年


ガリレイ(1564-1642)が考案した振り子機械。ガリレイの息子ヴィンチェンチオが描いた図に基づいて再現したものである。バネが縮んで歯車をまわすが、振り子を使って速度を一定に保っている。17歳で振り子の振動周期が一定(等時性)であることを発見したガリレイは、正確な時間を測ることにこだわり、晩年には時計の一歩手前までたどりついていた。しかし実際に振り子時計を発明したのはホイヘンス(1629-1695)で、 1656年のことである。


小型惑星儀(オーラリ) 18世紀末〜19世紀初頭


太陽をめぐる天体の運動を示す装置で、その名はオーラリ伯爵がつくらせたことにちなむ。18世紀から19世紀に王侯貴族が中心にイングランドで流行した。これはトラウトンが製作したもので水星・金星・地球・月の動きを示す。地球は自転軸の傾きや昼夜の境界も示され、月は形の変化の学習のために夜の側が黒くなるように工夫されている。外側には星座が描かれ、太陽がどの星座の方向にあるかもわかる。オーラリはのちにプラネタリウムに発展した。  


電池の発明


現在私達の生活に欠かせない電池の原型は、1799年イタリアの物理学者ヴォルタによって発明されました。この電池によって人類は初めて安定した電流を手にすることができたのです。電池は電磁気学や元素の発見などの道具となり、それらの知見は後の科学や産業を飛躍的に発展させる一因となりました。また、さまざまな人々によって改良が加えられ、いろいろな形式の電池が開発されました。


ヴォルタの電堆(レプリカ)1799年


ヴォルタの発明した電堆(電池)。銅と亜鉛の板の間に水または塩水を浸した紙(布)を挿入し、幾十にも重ねたもの。電堆の上下を導線でつなぐと電流が生じる。


重クロム酸電池 19世紀後半


ブンゼンとポゲェンドルフが発明した電池。電極に炭素と亜鉛アマルガムを使 っており、1.9〜2.0Vの電圧が得られる。重クロム酸カリウムを入れ減極剤として硫酸電解質溶液に混ぜているが、すぐ減極作用が生じ使えなくなる。


ルクランシェ電池 1887年

1866年、フランスのルクランシェが発明した電池。現在使われている乾電池の原型である。電極に炭素と亜鉛を、電解質に塩化アンモニウムを使っている。なお、この電池は1887年につくられたものである。



ルクランシェ電池内部

ルクランシェ電池の内部にある多孔性の容器。この中に炭素棒を入れ、そのまわりを二酸化マンガンで囲んで正極とする。


電磁気学の始まり


 電池の出現により安定した電流による電磁現象の研究が可能となりました。そして、電池の使用により、エールステッドやファラデーらは電気と磁気との関係を次々と明らかにしました。また、これら電磁現象の産業への応用も始まりました。


エールステッドのコンパス(レプリカ) 1820年


1820年、エールステッド(1777-1851)はこのコンパスのそばでワイヤーに電流を流すと、針が別の方向を指すことに気付いた。エルステッドの発見した電流の磁気作用はまたたくまに世界中に伝えられ、電磁気学の時代が始まった。翌年にはイギリスのファラデーがエールステッドの逆、すなわち、磁気が電流に力を及ぼすことを発見している。


ファラデーリング(レプリカ) 1831年


ファラデーは電磁誘導(発電の原理)を発見した。これはそのきっかけとなった装置である。このリングの2個所に導線が巻き付けられている。1831年8月29日、ファラデーはこの導線の一方に電池を、もう一方に検流計をつないだ。そして、導線を電池からはなした瞬間に検流計の針が振れるのを発見した。また電池をつないだ瞬間にも針が振れたのである。電池をつないだりはずしたりした瞬間というのはコイル内の磁力が変化している瞬間でもある。このことからファラデーは同年10月にコイル内のそばで磁石を動かすと電流が生じるという現象、電磁誘導を発見したのである。


円盤発電機 1880年代後半


1870年代型の円盤型発電機。1831年10月28日にファラデーが行った実験を再現した装置である。電磁石による磁場の中で銅板を回転させると、銅板の中心と縁の間に起電力が生じ、連続して電流を取り出すことができる。(ファラデーは電磁石でなく永久磁石を使用した)。ファラデーは世界最初の発電機をつくったのである。


通信


 ファラデーらによる電気・磁気に関する実験結果は、 マックスウェルによって数学的にまとめ上げられました。 このマックスウェルの方程式は電磁波の存在を予言します。 ヘルツによってこの電磁波の存在が実験で確かめられると、や がて電磁波は通信に使われるようになりました。  一方、電線を用いた通信では、音声で会話ができる電 話器をベルが発明しました。  このような通信技術の進歩は、地球上の距離感を大き く変えていったのです。


ヘルツの実験装置


電磁波の存在を実験で確かめたヘルツ(1857-94)は、これ以外にも電磁気に関するさまざまな実験を行っている。ここに展示している実験装置は、ヘルツがつくり実験に使用したものを大英科学博物館で再現したものである。


タンジェント検流計(レプリカ) 1878年
 ヘルツが21歳のときに、電気に関する実験に用いた 電流計。電流を流した電線の近くでは方位磁石の向きが 変わるというエルステッドが発見した現象を利用して、 電線に流れている電流の大きさを測った。方位磁石 の回転角のタンジェントが電流による磁場と地球磁場 の比になっていることから、この名が付いた。


熱線検流計(レプリカ) 1883年
 ヘルツが設計した交流電流を測定するための検流計。電磁波をアンテナで受けると交流電流が流れるが、タンジェント検流計では直流の電流しか測定できない。そこでヘルツは、電線に電流が流れると電線の温度が上がり電線がわずかに伸びることを利用して、交流電流を測定した。  


回転鏡装置(レプリカ) 1887年

  静電気を放電させたとき、ウイリアムトムソン(1832-1907)は電気火花が振動することを数学的に導いた。これはフェダーソン(1832-1918)が実験で確かめたが、この回転鏡装置はヘルツがこの現象の再実験に用いたものである。一瞬にして起こる放電現象の過程を、回転鏡を使って引き伸ばして写真におさめて確認した。


マルコーニのコヒーラー(検波器) 1900年


無線通信において電波を受信したことを知らせる装置。最初のコヒーラーは電磁波を受信するとブザーが鳴るなどの動作をした。このコヒーラーはイタリアの電気技師だったマルコーニ(1874〜1937)が改良したもので、電磁波を受信したあと、ふたたび受信できるよう自動的に初期状態に戻るようになっている。


ベルのオズホーン電話 1878年


 もともと発声学の研究をしていたベル(Alexander Gra ham Bell:1847-1922)は、音声の振動を電流に変えること ができれば、音を遠くに速く伝えることができると考え、 1876年に電話機を発明した。1878年、ベルはビクトリア 女王の邸宅「オズホーン・ハウス」に招かれ、電話の実 演を行なった。これはそのときに使用された電話のうちの1台。


化学の発達


17世紀以降、錬金術から決別した化学は、次第に学問としてまとめあげられていきます。特に電池発明後の19世紀は化学にとって大きな発展の世紀となりました。電気分解法の発明そしてそれを応用した元素発見、分光分析、有機化学の誕生など、現在の化学の基となった出来事が次々に起ったのです。


デーヴィーの安全灯 1815年


デーヴィーの安全灯 1815年 1815年、王立研究所所長のデーヴィーが炭坑での安全灯開発テストに使用し成功したもの。当時、石炭の採掘坑では照明用の裸火がガスに引火して起こる爆発事故がたびたび起こっていた。この安全灯は炎を円筒形の金網で囲うことで、金網を通過するガスを冷却し、爆発が起こらないようにしている。また一定量の酸素しか供給されないしくみになっている。


デーヴィーの電解装置(レプリカ) 1807年


デーヴィーが電気分解実験で使用していた装置。 1800年、ニコルソンとカーライルによって水が電気分解された。デーヴィーも電気分解の実験を続け、1807年塩化カリウムと塩化カリウムと塩化ナトリウムを電気分解し、カリウム、ナトリウムといった金属単体の分離に成功した。この実験器具は、調べようとする溶液で満たし、白金を電極として用いている。


ファラデーの電解装置(レプリカ)1832〜3年


ファラデーが1832〜3年にかけて電気分解の定量的研究をしていた頃に使用した装置である。2本の飛び出したガラス管は、水で満たし、細い白金の電極が入れてある。容器内を酸性にした水で満たし、電気を流すと陽極から酸素が、陰極から水素が発生する。この実験から、流した電気量に見合うだけの量の酸素と水素が1:2の割合で発生する事が分かる。


分光器 1860年代


1859年、ブンゼン(1811-99)とキルヒホッフ(1824-87)によって発明された。分光器を通してスペクトルを観測することで、それがどのような元素かを特定できる。 これは1860年代の終わり頃ミュンヘンで作られていたもっとも代表的なモデルである。 


ブンゼンバーナー 1860年代


ブンゼン(1811-99)が1860年代に発明したもの。可燃ガスと空気の混合比を変える事ができ、炎の大きさをネジ込み方式で調整する事ができる。


最初の合成染料「モーブ」 1856年


1856年、当時18歳の学生だったイギリスのパーキン(1838−1907)が発見した染料とそれで染めたショール。この染料は濃い紫色で、絹などを紫色に染めることができた。モーブという名は、うす紫色の花、ゼニアオイのフランス語名”mauve”にちなんだもの。モーベイン(mauveine)とも呼ばれる。展示品はオリジナルのモーブだが、1906年にこの瓶に詰め替えたものと思われる。


ベークライト製ラジオ 1940年


最初の合成プラスチック「ベークライト」は、1909年にベルギー生まれのアメリカの化学者ベークランド(1863-1944)が発明し、自らの名前からとってベークライトと名付けた。この真空管ラジオは1940年にアメリカのジェネラルエレクトリック社でつくられたもので、製作にあたって使われた特許の表示がたくさんついている。

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