長谷川能三のHP月刊『うちゅう』窮理の部屋  

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窮理の部屋 34
赤橙黄緑青藍…

 虹というと七色。赤(あか)・橙(だいだいいろ)・黄(きいろ)・緑(みどり)・青(あお)・藍(あいいろ)・紫(むらさき)ですね。 でも、本当に虹はこの七色をしているのでしょうか?
 というのも、そもそも虹は七色にくっきり分かれているのではなく、虹の外側から内側までだんだん色が変わっています。 ですから、どこからどこまでを一色とするかによって、虹の色数は変わってしまいます。 こう書くと色の名前をたくさん知っていれば虹は十色にでも二十色にでも見えそうですが、実際に虹を観察してみると、虹はぼんやりしていて幅も案外狭いためか、七色ですらなかなか見分けるのが難しいのです。 では、どうして虹は七色といわれるようになったのでしょう。
 日本で虹が七色といわれるようになったのは案外新しく、江戸時代末か明治初め頃といわれています。 つまり、虹が七色というのは開国によって入ってきた西洋文化のひとつだったというのです。 また、七という数字は日本でも縁起のいい数字であるので、受け入れやすかったのかもしれません。
 それなら、ヨーロッパではどうして虹が七色ということになったのでしょうか。 それはどうやらニュートンの「OPTICKS(光学)」という本がその発端のようです。 ニュートンは、太陽の光がプリズムで一番大きく屈折する菫(すみれいろ)から屈折が小さい赤までを、「菫、藍、青、緑、黄、橙、赤、およびそれらの中間の全ての色の一連の色…」と表現しています。 なるほど、プリズムを使って太陽の光を虹色に分ければ、空にかかった虹を見るよりも格段に詳しく色を見分けることができたでしょう。
 ちなみに、当時オレンジや染料のインジゴが輸入されるようになっていたために、その色(日本語では橙と藍に相当)もこの七色に含められています。 とはいえニュートンがこのオレンジやインジゴの色まで使って七色としたかったのは、どうやら色と音階の関連をつけたかったからのようです。
 ところでニュートンが書いた七色ですが、赤橙黄緑青藍まではいいとして、その次が菫(すみれ)になっています。 私たちが虹の七色として知っている色とちょっと違いますね。 もちろんニュートンが日本語で本を書いたわけではありませんから、ニュートンが書いた色名でいうと"violet"。 辞書で調べてみると、確かに日本語のすみれ色という色に一番近いようです。 それに対して私たちが紫色と呼ぶ色は、たいてい赤と青の中間の色で、英語では"purple"に相当します。
 そこで、実際にプリズムや回折格子を使って太陽の光を虹色に分けて観察してみると、確かに赤橙黄緑青藍…の次は「すみれ色」というか「青紫」というような色であって、決して赤と青の中間色ではないのです。
 ところが、先日虹を見かけたときにその色は…とよく観察してみると、驚いたことに虹の内側の色は本当に紫色、つまり赤と青の中間色だったのです。 これはいったい?と思っていると、ニュートンの目にも同じように見えていたようです。 というのも、虹の一番内側の色について「菫は、雲の白色光と混じるので、弱く、紫がかって見えるであろう」と書いています。 しかし、すみれ色と白色が混ざって紫色というのはちょっと奇妙ですね。
 では、プリズムではすみれ色に見えていたのに、どうして虹では紫色にみえるのでしょう? その原因は過剰虹にあるのではないかと思うのです。 「過剰虹」というのは、赤橙黄緑青藍紫のさらに内側に、青藍紫・青藍紫…と何度か色が繰り返して見える現象です。 虹が見えれば必ず見えるというわけではなく、また、意識して観察しないとおそらく見逃してしまいます。 どうしてこのような繰り返しが見えるかは、また別の機会に置いておくとして、この過剰虹の繰り返しは青藍紫の部分だけではないはずです。 ただ、通常の虹として見えている部分と重なってしまっているために、青藍紫のあたりだけがはみ出して見えているのです。 とすると、通常の虹の青いところと、この繰り返しの虹の赤のあたりが重なれば、紫色に見えるのではないかと思うのです。
 みなさんも虹を見かけることがあれば、ぜひじっくり観察してみて下さい。

参考文献
 ニュートン著 島尾永康訳「光学」(岩波文庫)
 西條敏美著「虹 その文化と科学」(恒星社厚生閣)
大阪市立科学館 友の会 『月刊うちゅう』 2001年5月号