斎藤吉彦のサイエンスショー理論



前書 2010/10/03

 これまで、約20年、大阪市立科学館サイエンスショーを企画し演じることが仕事の一つでした。毎年、毎回、サイエンスショーに対する考えも、演示方法も変化している、つまり、未だ進化はしているつもりでいました。しかし、次のようなことでそろそろ潮時かとも思うようになってきたのです。

@2010年から大阪市立科学館で、ボランティアによる実験ショーが始まった。彼らは非常に熱心であり、活気があり、見学者と一体になり、とてもいい雰囲気である。彼らの貪欲なまでの向上心、学習意欲、熱意、そして、新鮮な雰囲気、などなど。これらは、擦れた私にはとてもかなわない、彼らのようなエネルギーはないのです。

Aこれは複雑な思いでした。サイエンスショーの準備でステージに入ったとき、年少の子が親に訴えたのだ。ほんとうに落胆した声で、「なーんや、オジイチャンやんか・・・」 私が抱いている斎藤のイメージと実体とはかなり乖離があるのです。この事実を受け入れて次のステージへ上る気力が・・・

 こんなこともあって、そろそろ潮時かと思っています。一方で次のような妄想も。これまでの経験や考えを整理したら、ひょっとしたら、サイエンスショー理論のようなものができるかもしれない。それで、とてもおこがましいことなのですが、今日から思いついたことを綴ってサイエンスショー理論の基礎を築きたいと思います。ご笑覧頂ければ幸いです。


自らの思考を正解へ 2014/12/15

ウソも方便 2013/08/06

理解できなくてもよい 2012/07/30

あえて見せない 2012/07/06 

流暢な説明 2012/06/23

現象に語らせる 2012/06/03

他人に従う? 2011/08/01

自分の手で 2011/07/25

早口 2011/07/18

心地よい話 2011/07/12

問いかけ 2011/07/05

面白いものを見たい 2011/06/28

理屈を見る 2011/06/22

思考の背景 2011/06/13

現象をイメージ 2011/06/04

聴衆は実体験を欲している 2011/02/05

ビックリショーで満足? 2011/01/11

冒頭で 2010/12/13 21:53:17

ニコニコ 2010/12/05

ほめる 2010/11/30

学校の授業で・・・ 2010/11/23

予想して観察 2010/11/15

確認は必須 2010/11/10

見学者が主 2010/11/09

聴衆の言語 2010/10/29

見えないものを見せる 2010/10/22 2010/10/26(動画追加)

独自ネタの秘策 2010/10/20

サイエンスショーの企画、失敗する方法 2010/10/14

水中花火 2010/10/09

斎藤の理念 2010/10/03


自らの思考を正解へ 2014/12/15

 先日のサイエンスショーの教訓。「鳥肌が立つような感動」と豪語し、万を持してのサイエンスショーだったが、こけた。現象の観察から離れての原理説明は面白くない。学習動機が強ければそれでもいいかもしれないが、サイエンスショーの場合、多くの聴衆は自分の思考で現象を楽しんでいる。それを中断されるのは興醒めのはず。観察を中断せずに彼らの思考を正解へ誘導、これが原則。これでショーをブラッシュアップすること。

ウソも方便 2013/08/06

 久しぶりにサイエンスショーをすることになった。今回のテーマは「マイナス200度の世界」で、液体窒素を使った派手な現象で、全国でもしばしば実施される人気の定番メニューである。参考に何人かのサイエンスショーを拝見した。みなさん、冒頭で液体窒素を見せながらこの正体を説明される。真面目に正確に、「空気の8割が窒素で、2割が酸素、その窒素をマイナス200度まで冷やしたのが・・・」冒頭にそんなことを言われても、面白くないし、誰も聞いてくれないであろう。その後、液体窒素で風船を膨らましたりするのだが、「窒素で風船を膨らむ」と、難しい解説になってしまう。
 そこで、斎藤は、液体窒素を最初見せる時は、「空気を冷やしたもの」と不正確な説明をする。そして、様々な現象で、空気が冷えたら著しく小さくなって液体になるということを実感させることに力点をおく。これがができたらこのサイエンスショーはほとんど成功。その次に、液体窒素で空気を冷やし、滴り落ちる液体酸素がくすぶるティッシュペーパーを爆発的に燃焼させるのを観察させながら、窒素と酸素の概念を導入。ここで、今まで見ていたのは正確には液体空気ではなく、液体窒素であることを説明。そして、花火が液体窒素の中で燃え続けることへと続ける。
 新しい概念を習得するのは、誰でも大変なことである。一言聞いただけで、その概念を使いこなせる人はほとんどいない。サイエンスショーは、初めての概念に遭遇という聴衆の立場になって設計しなくてはならない。果たして斎藤の設計は、そのようになっているだろうか?明日の斎藤のサイエンスショーは録画して公開する予定である。忌憚のないご意見、ご感想いただけるとうれしいです。

理解できなくてもよい 2012/07/30

 サイエンスショーはいくつかの実験ネタが連続するものである。これまで、その実験ごとに現象の説明を行い、見学者がそれぞれで納得できるようにしてきた。現象を見て、説明を聞いて、そして分からない、これは許されないことであった。最近このことから脱皮したようである。じつは、見学者はその時点で理解できなくてもよいという展開で、「スーパー磁石〜アルミが動く?〜」の実演を行っている。それは次のような展開である。
 まず、アルミが磁石によって妙な作用を受けることを何度も見せて、この運動の存在に納得していただく。次に、天下り的に「アルミに渦電流が流れてアルミが磁石になる」という概念を提示する。いきなりのことで、見学者は納得しない。そこで、巨大なアルミ塊と強力磁石との相互作用を見せて、アルミ塊が磁石と同じ効果を示すことを確認させる。この時に「アルミに渦電流が流れてアルミが磁石になる」と説明する。しかし、まだ見学者は納得した表情を示さない。次に、渦電流による現象を3つ示す。
@コイルに大電流を流し1円玉を飛ばす

Aアルミ缶を渦電流で回転させる
B電磁調理器による渦電流で電球を灯し、アルミ箔を浮かせる。


これら3つの現象を観察するときに、それぞれの場面で「渦電流でアルミが磁石」をしつこく発する。すると、見学者は慣れてくるのである。Bで、渦電流の証拠として電球が点灯した時は決定的な証拠となっているようである。
 はじめての概念は簡単には脳に定着しない。何度も何度も繰り返して経験することで納得できるのである。「アルミに渦電流が流れてアルミが磁石になる」は、導入した時点では「難しい」「わからない」「うさんくさい」でいいのだ。恥ずかしいことではあるが、20年以上もサイエンスショーをしていて、初めて気付いたのである。見学者の腑に落ちない表情が、新概念を繰り返し経験することで徐々に変化する。そして、最後に見学者自ら「渦電流で磁石」と声を出す、実演する者にとって感激である。


あえて見せない 2012/07/06

 これまで、説明は口だけでなく出来るだけ現象を見せるようにしていたが、今回はあえてそれをせずに、口だけにしていることがある。「現象に語らせる」と矛盾した話である。渦電流による現象を見せるサイエンスショー「スーパー磁石〜アルミが動く?〜」でのこと。
 しばらく、ヤカンの軟着陸など、巨大ネオジム磁石とアルミとの反応を楽しんでからのことである。



なぜ、このような現象が起こるのか?聴衆はこれを知りたいという欲求の絶頂に達している時である。このサイエンスショーをはじめてしばらくの間は、LEDを結線したコイルを巨大ネオジム磁石の上で動かしてLEDが光るのを見せ、次に電磁石のデモをして、「このコイルと同じで、アルミに電気が流れて、アルミが磁石になった。」と説明していた。しかし、毎回「なるほど」と納得するような表情は皆無で、腑に落ちない様子だった。おそらく、見学者は「それはコイル、ヤカンではない!」という抵抗をしているのであろう。そこで、コイルによる起電力の現象を見せるのをやめて、渦電流の図と「磁石になる」という文字を見せて、口で解説。見せるのは巨大アルミ塊と巨大ネオジム磁石の迫力ある反応。この反応を見せながら「アルミが渦電流で磁石になってる!」を繰り返す。現象を楽しみながら、斎藤の繰り返す言葉を聞いている。科学館のスタッフが言うのだから信じているのであろうが、まだ脳には定着していない様子である。このあと、渦電流で、一円玉を飛ばし、アルミ缶を回し、電磁調理器で豆電球をつけてアルミ箔を浮かすなど、渦電流による効果を「渦電流で・・・」を何度も繰り返し聞かせるのである。



すると、最後にもう一度ヤカンの反応を見せて「なんでこうなるの?」と問えば、大人までが「渦電流で磁石」と声をあげている。
 今回の場合は、コイル+LEDのデモは見学者にとって異質な現象で、理解の妨げになるように思う。磁石+アルミだけの現象に徹するのがいいようで、最後に見せる電磁調理器で豆電球が光る現象が渦電流を納得させる決定的なもののようだ。
 演示者にとっては理想的なデモの流れであっても、はじめて現象を見る見学者にとっては理解の妨げになることもある。


流暢な説明 2012/06/23

電磁調理器のデモ

 サイエンスショーは今、「スーパー磁石〜アルミが動く?〜」で、金属内に生じる渦電流の効果を見せている。その中の一つデモが電磁調理器を使ったものである。アルミ箔が浮いたり、電源なしで豆電球を光らせたりする。デモンストレーターは非常に奇麗にまとめて説明されている。これ以上の美しい説明はないであろう。しかし、聴衆は無表情に近い。彼らの心をつかんでいないのである。たとえどれだけ流暢に説明したとしても、彼らの脳の動きと合ってないと、その説明はただの音となってしまう。読む場合は、気になるところを何度も振り返ることができるが、説明を聞かされる場合は、脳の働きに合わせて振りかえることを許されないのである。初めて出会う概念は何度も何度も振り返りながら、反すうをして、やっとのことで脳内に刻み込まれるのである。そこで、斎藤の場合は次のような展開を試みている。
 電磁調理器のデモの前にはアルミ缶をコイルで回転させるデモを行っている。アルミ缶は渦電流が発生して回るのである。誘導モーターのデモである。
@冒頭に「電磁調理器はさきほどのアルミ缶実験と同じ!すなわち、扇風機や洗濯機と同じ!」と発する。聴衆は意外な言葉に「ナニーッ!?」とこちらを向く。
A電磁調理器の中身がほとんどコイルという写真を見せ、「このコイルで金属鍋に渦電流が流れて、鍋が熱くなる。」と説明。おそらく聴衆は斎藤の説明を理解はしているであろうが、「電磁調理器は熱するもの、扇風機や洗濯機は動くもの、全く違う!」と葛藤している。その葛藤でこちらの次の話に期待せざるを得ない。
B豆電球を電磁調理器で光らせ「渦電流で豆電球が光る、同じように金属鍋にも渦電流が流れている。」と説明。「たしかに渦電流で金属鍋は熱くなるであろう。しかし、扇風機や洗濯機とは違う!」聴衆はまだ葛藤の中にいる。
C救いの一言「鍋が動かないので、扇風機とは違いますよね!」聴衆の葛藤に同意するのである。聴衆は安堵の中でこちらを向いたまま。斎藤は救いの神となる。
D「なぜ鍋が動かないのでしょう?」と問いかける。聴衆は主体的に考える。「なぜだろう?」
E「重たいからです。」の一言で、彼らは「軽いければ動くはず!いや、動かない、いや、どちらだろう?・・・」と様々なことを想像する。
Fアルミ箔を見せると、聴衆は「電磁調理器の上に置いてみたい」という強い欲求に・・・
G電磁調理器でアルミ箔が動くのを確認する。大した動きでもないが、聴衆は期待どおりに動いたことに感動するのである。
 さて、実際にこのような想定通りに聴衆の脳が動いているのであろうか?次は、6月30日(土)7月1日(日)に実演予定、ご意見いただければ嬉しいです。7月4日にはサイエンスショー研究会もあります。


現象に語らせる 2012/06/03

 実演の機会が無くなって、去年の暮れから「サイエンスショー道場」を毎月開いている。科学館で活躍するデモンストレーターの切磋琢磨の場である。今日はKさんの「花火の大実験」を見学して、そのショーに対する意見交換。すでにかなりのスキルを持った人たちのさらに上昇しようとする厳しいやりとりに、学芸員も刺激を受けている。その刺激の余韻で、帰宅途中の電車の中で振り返って思ったことである。
 とてもうまい具合にショーを展開されているのだが、語りがうますぎるのだ。大人から「硫黄」「ナトリウム」などなど、声が上がるほどの実力である。そのため、燃焼の3要素を演示者の言葉でそつなく語ってしまうのである。しかし、聴衆はそのような話を聞きたいのではなく、生の現象を楽しみたいのである。燃焼の3要素をまとめるのは学校や書物に任せることにして、サイエンスショーでは現象を楽しんで、その概念の経験を脳内に刻み込むような展開を工夫されたら、さらに良くなると思った。「サイエンスショーの主人公は演示者ではなく、生の現象」を徹底されたら、すごくよくなると思った。



他人に従う? 2011/08/01

 「自分の手で」に書いたように、10組の超伝導実験セットと10人のアシスタントというとても贅沢な超伝導教室を実施した。参加者は小学校5,6年生。実際に超伝導の奇異な現象に、自分の手で触れることができたので、多くは満足したと思う。しかし、目論見通りにはいかなかった。参加者は奇異な現象に対し個々に強い反応を示し、自分流の遊びを作って夢中になっていた。奇異な現象に潜む磁力線の振る舞いを発見して知的な興奮と計画したのだが、そのような観察・考察に導くのは非常に難しかった。サイエンスショーなら聴衆の思考を制御しやすいが、この手の教室はちょっと違うスキルが必要である。無理矢理彼らの行動や思考を中断するのは、科学館の事業ではしたくない。参加者の主体的な行為として、こちらが意図する観察思考へと導きたいものである。以前にも、自分の手で触れるものを参加者に与えたとき、制御不能になったことがある。結局、「自分の手で」を書いた時の空想とはかなり異なった結果となった。参加者は奇異な現象に思う存分触れることができて満足したようであるが、斎藤は意図した思考をしてもらえず、あーしたらよかった、こうしたらよかったと反省しきり、力不足を痛感している。人は自分の思い通りの思考をし、他人に従うものではないのだ。機会を作って、再度この教室を実施してみたい。 


自分の手で 2011/07/25

 「世界初!超伝導を見る」を実施してからもう2年になる。超伝導体が磁石を反発、超伝導体と磁石が距離を空けて固定される、これら奇異な現象を磁力線で考察する、というものである。サイエンスショーなので、どうしても見るだけで、じっさいに自分の手で触ることはない。聴衆は自分の手で触って確かめたかったであろう。近々、10組の超伝導実験セットと10人のアシスタントというとても贅沢な超伝導教室を開催できることになった。50名の参加者に、直接自分の手で現象に触れていただき、思う存分自然現象を楽しんでいただき、科学的な思考をしていただく予定である。どのような反応があるか楽しみである。サイエンスショーでは、聴衆が自分の手で触ることはほとんど不可能であるが、実体験に近づけることは可能で、常に心掛ける必要がある。あーでもない、こうでもないと、現象を確認することが、科学的思考の強い動機となるのである。今回の教室はこのような意味でもいい勉強にもなると思う。

サイエンスショー「世界初!超伝導を見る」
 

 


早口 2011/07/18
 
 先日、早口の解説をしてしまった。話す前には必ず準備をする。枝葉を落として、筋道をつけて、内容を整理する。それを話す段になると、一度きっちり整理しているので、自分の脳内での論理展開は非常に速い。先日の失敗は、そのスピードでそのまま口から外へ出してしまったのである。聴衆は、あーでもない、こーでもないと、個人個人がそれぞれ個別に思考し、やっとのことで解説者の論理展開に追い付くものである。私が話す前にした作業と同じことをして理解に至るのである。解説者の勝手なスピードで話をされたら、聞く方はたまったものではない。つねに聴衆の脳内の論理展開を想像しながら解説をしなければならない。分かってはいるのだが・・・


心地よい話 2011/07/12

 心地よい話は、既知のことがほとんどで、未知のことはほんの一部である。未知のことが増えると、苦痛になってくる。サイエンスショーを演じる側は、いつも既知のことばかりなので、自分にとってはとても心地よいのである。ここで不幸が生じることが多い。演示者は自分が心地よいので、聴衆も心地よいと誤解をしてしまう。演示者にとっては全てが既知であっても、聴衆にとって未知のことがたくさん含まれていると、演示者は心地よいが、聴衆は苦痛となる。学校の授業ならノートをとりながら真剣に聞くことを強いてもよいが、サイエンスショーは楽しい場である。聴衆は、わくわくするような現象を見ながら、既知のことを駆使して、やっとのことで未知のことが吸収できるのである。これができたときは、本当に楽しいのである。そして、これが精一杯なのである。いかに聴衆の既知のことから、本質へ導くか、これがサイエンスショ―の真髄であろう。


問いかけ 2011/07/05


 3カ月に一度、大阪市立科学館ではサイエンスショー研究会を開催している。米国の著名な学芸員が参加されたことがある。彼女は、一方的なサイエンスショーに対して、「問いかけ」の必要性を説いた。それからかもしれないが、問いかけで聴衆の心をひこうと試みているのをしばしば見かける。ただし、なにげなく問いかけすると、時間の無駄となることが多い。問いかけは、ショーの本質に迫る思考を促すものでなければ意味が無い。どのタイミングでどのような問いかけをするか、事前の仕込みが必要である。


面白いものを見たい 2011/06/28
 
ロケットのドキドキ実験 工夫その4

 聴衆は面白い現象を見たいのである。長々とした解説は聞かないだけでなく、演示者から心がどんどん離れていき、全く耳を貸さない状態になってしまう。聴衆と演示者、双方にとって長い解説は時間の無駄である。したがって、長い解説は止めて、面白い現象を一回だけでなく、何度も観察していただいたらいいのである。ただし、何度も同じことだけをするのでなく、見る目的を進化させ、知的な満足に導きたいものである。斎藤はフィルムケースロケットを3度飛ばしている。すなわち、最初はケース内で起こっていることを想像しながら、2回目は宙づりで飛ぶかどうかを推論した後に、3回目は宙づりで飛ぶ理屈の確認として、それぞれフィルムケースロケットを観察していただいた。そして、作用反作用の法則をフィルムケースを楽しむうちに理解していただくことを目指した。作用反作用の法則を長々と一方的に解説してしまうと、聴衆の心には何も残らず、「もっと見たかった」というような欲求不満だけが残るであろう。

フィルムケースロケット

 



理屈を見る
 2011/06/22

ロケットのドキドキ実験 工夫その3

フィルムケースロケット


フィルムケースロケットが宙づりで飛ぶことを確認し、水が噴き出て飛ぶことを理解させる。その理解の基に、再度フィルムケースロケットが宙づりで飛ぶのを観察させる。この時は水が噴き出して飛ぶのを見るように指導する。理屈が分からなければ、水が噴き出ているのを見るのは困難である。しかし、今回は理屈で水が噴き出ているのが見えるのである。つまり、理屈を見るのである。単にロケットが飛ぶことを楽しむのでなく、また、他人の解説を聞くだけではない。誰かが言うのを信じるのではなく、理屈を自分の目で見るのである。つまり、自分の脳みそが主体なのだ。これが真の「科学をする心」で、己に誇りを持てる瞬間と思う。


思考の背景 2011/06/13

ロケットのドキドキ実験 工夫その2

 フィルムケースロケット

フィルムケースを宙づりにして飛ばすとき、見学者に「飛ぶでしょうか?飛ばないでしょうか?」と問いかけてから実験するのは、問いかけも何もせずに現象を見せるよりはよいかもしれない。しかし、飛ぶか飛ばないかを考えるための背景がないのは単なる当てもので、思考を促すことはできないであろう。そこで、この問いかけに加えて、カエルのおもちゃが宙づりにしたら飛ばないことを見せて、見学者の思考に刺激を与えるショーの流れを作った。この背景で見学者の考察は深いものとなり、フィルムケースロケットの宙づり実験の印象が強烈なものとなる。さらに、カエルの宙づり実験は、後の作用反作用の法則を導入するための布石にもなる。



現象をイメージ 2011/06/04

 ロケットのドキドキ実験が終わった。迫力があり好評であった。迫力だけで満足いただける内容であったと思うが、やはり科学的な思考で質の高い満足をしていただきたいものである。そこで試行錯誤でいろいろと工夫した。楽屋落ちのも多いと思うが、斎藤の思いをどうぞご笑覧ください。

最初の工夫

 冒頭で入浴剤の発泡でフィルムケースを飛ばすが、フィルムケースが勢いよく飛びあがることを喜ぶだけでは単なるビックリショー。飛び上がるまでフィルムケース内の発泡でケース内の圧力がどんどん増していることがイメージできれば、飛び上がった時の印象はビックリショーを越えた素晴らしいものになるはず。そこで、発泡を直接見せる、フィルムケースを閉じたら「泡が出ている」を連呼、コーラやサイダーを振った時などを思い出させる、などを試みた。果たして聴衆はフィルムケース内の発泡をイメージしていただろうか?


聴衆は実体験を欲している 2011/02/05

 サイエンスショー「静電気なんてこわくない」が始まって、2か月が過ぎた。サイエンスショーの中で、静電気のピリピリと付き合う方法を3種類、自ら人体実験のモデルになって紹介している。みなさん、怖がってだれも実験台になってくれないからである。聴衆は「なるほど」という表情を示してくれるものの、どうも盛り上がりに欠ける。

 そこで、サイエンスショーの最後に、バンデグラフ起電器で帯電した私に触れ、放電のショックを感じていただくことにした。すると、すこぶる好評である。こわごわ近づいてきて、パチン、イタイー、キャー、などボディーアクションを交えての悲鳴が続く。老若男女の区別なく行列ができて次から次へと斎藤に触れに来る。集団的な興奮状態である。最高の盛り上がりで、強烈な印象を与えているようだ。これらは、ジェットコースターなどの興奮と似ているようだが、それだけで演示者は満足していていは・・・

 彼らは、怖がって実験台になってくれないが、ほんとうは自分も体験したいのである。しかし、体験できないので、斎藤の自らの人体実験に納得はしても、欲求不満となっていたのであであろう。


ビックリショーで満足? 2011/01/11

 サイエンスショー「静電気なんてこわくない」が始まって約1カ月。バンデグラフ起電器を使って、派手な放電現象や髪の毛を逆立てる、バチンと体感するなど、迫力があり、見学者ののりは最高である。しかし、見学者は派手なことだけに興奮して満足しているようである。これではビックリショーでしかない。

 じつは、人体の帯電・放電を髪の毛などで観察することが思うようにできず、思考に導けなかったのである。年が明けてこれができるようになり、風船、木、金属などからの放電で、ビックリドッキリ、ハラハラしながら思考で「静電気なんてこわくない」を納得していただけるようになった。

 たとえ大受けのデモができたとしても、思考のないビックリショーで満足はするのはいかがなものか。思考あってこそ科学なのだ。


冒頭で 2010/12/13 21:53:17

 「博物館体験・学芸員のための視点」という本を読んだことがある。1970年代(?)、米国の博物館は、当時の国家的な施策でディズニーランドなど民間の集客施設と競争を強いられるようになった。そのため、博物館の生き残りをかけて膨大なマーケティングがなされた。そのデータに基づいて博物館利用者の実態が書かれていた。

 その中に、学校団体客が博物館に入場したときの心理状態が書かれている。彼らは、博物館に対する期待よりも、異次元の世界へ放り込まれて、強烈な不安感を抱いているらしい。彼らがまず知りたいのは、展示の内容ではなく、トイレがどこか? 何時間ぐらいこの場にいなければならないのか? 売店はどこにある? などなど。彼らを展示場案内する際に、冒頭の説明で展示内容の概要を与えても効果はなく、展示案内で拘束される時間や彼らが知りたいであろう施設の概要などを与えると、安心して展示解説に集中するらしい。考えてみると当たり前のことであるが、この書籍に出会うまではまったく気がつかずに効果のないことをしていた。

 これに学んで、サイエンスショーの冒頭で、まず「約30分実験する」と言っている。多くの聴衆は拘束される時間を気にしているはずである。30分が長かろうが短かろうが、これを聞いて諦めがつき、演示者の話に集中できるはずである。「30分」が明示されないと、彼らはいつまでも、「いつ終わるんだろう?」という雑念を抱き続けるのである。最初に「30分」と大声を発するのはとても大事なことである。
 


ニコニコ 2010/12/05

 2年前、オーストラリアの科学館・QUESTACONで開催された「オーストラリア・日本 サイエンスパフォーマー-交流プログラム」に参加した。日本とQUESTACONのサイエンスパフォーマーとの交流である。QUESTACONのパフォーマーは主にアクターで、科学の専門教育を受けたものはごくわずかであった。毎朝、彼らの指導でワークショップのウォーミングアップがあった。参加者全員で円陣を組んで、アクター独特の体操をするのであるが、表情を作るというメニューがあった。顔の筋肉を使って無理やりにでもニコニコするのである。

 アクターがどんな暗い気分であっても、サイエンスショーをするからには楽しい雰囲気を出すことが求められるのである。聴衆が受ける印象をとても大事にしているのである。聴衆に向かって微笑みかけると聴衆はそれに応えてくれる、その反対に暗い表情をすれば聴衆の心も暗くなる、ということである。楽しいサイエンスショーをするには、微笑みが必要なのである。

 QUSTACONでは舞台へ出る前のウォーミングアップのひとつに微笑みを実践しているようだ。聴衆の心をいかにつかむか、その手段の一つが微笑みなのである。微笑みはQUESTACONでの基本のと思われる。

 どんなに大声で力説しても、それがいかにサイエンスで重要なことであっても、硬い表情では聴衆の心は開かない。北風でなく太陽、これがサイエンスショーの原則。われわれもQUESTACONのアクターを見習いたいものである。


ほめる 2010/11/30

 今から20年ほど前、科学館に勤めてサイエンスショーが日課となった。それから長い間、聴衆との対話ができず悩んでいた。いくら問いかけても反応はわずかで盛り上がらない。一方的に解説するおもしろくないサイエンスショー。そんな雰囲気からなかなか抜け出せなかった。

 ある日、高校の某先生に次のような助言をいただいた。「ほめるのです。ほめられると嬉しくなり、次々と発言してくれる。しょうもないことでもほめる。あんなことでもほめられるということで、ギャラリーまでもが発言する勇気を持つ。」 この助言をいただいて、サイエンスショーは激変した。聴衆との距離が縮まったのを実感した。

 サイエンスショーが始まってまだ緊張感のある時、誰でもが応えられる問いかけをする。だれかが小さな声で正答をする。「えらい!なんでわかるのー?」と大声でほめる。この一言で聴衆は斎藤の傍へ近づく。緊張を解く効果は大きい。そのあとは、「えらい!」「天才やなー!」「すばらしい!」の連呼。波に乗れば聴衆の多くから声が上がり、聴衆と演示者が一体となり、最高に盛り上がる。ただし、正答がでる仕込みは必要。

 だれでも、自分の考えが正しいと思えば、共感の言葉が欲しい。それを求めて大声が出るのであろう。


学校の授業で・・・ 2010/11/23

 先日、サイエンスショーを見たお客さんから次のような感想いただいた。「学校の授業がサイエンスショーのようだったら、興味が持てるし分かりやすい」 この様な感想はしばしばいただくが、実力以上の自信を持たせる危険な言葉で、学校の先生方には酷な注文である。

 サイエンスショーは3ケ月間毎日同じことを繰り返す。100回以上も繰り返し、毎回練り上げられていく。5人学芸員がいるので、企画するのは15ヶ月に一度。長時間かけての準備が可能である。さらに、過去に多くのサインネスショーを企画しているので、実験ネタが豊富に蓄積されている。一方、学校では毎日毎日違う授業を行う。我々のような長時間かけての準備は不可能である。楽しい現象がたくさん見れるのは、サイエンスショーでは当たり前だが、学校の授業では非常に難しいのである。

 学校ではできない体験で聴衆が喜ぶのは当たり前で、これだけで満足していると演示者は成長しない。サイエンスショーはビックリショーやマジックショーではない。科学的思考による感動が求められる。


予想して観察 2010/11/15

 「確認は必須」で書いたことであるが、先日、真空鐘内の風船の変化を予想させることができなかった。それまではジェスチャーを付けての口だけでの説明であったが、今回は図で風船の内外の空気の圧力を見せてから、現象を予想させた。ほとんどが正答であった。いまさらであるが、図説は強力である。

 実演前の科学的な予想は印象を劇的に高めると思う。なぜなら、現象を見せられてからその解説を聞かされても、大して楽しくはないであろう。見学者は受身だから。もし、何が起こるかを予想すれば、その現象を見たいfらろう。でたらめな当てものではなく、科学的思考に基づく予想であれば事実を確かめたいはず。予想後の観察は、たとえ自分の手を動かす実験でなくても、自分自身が行う実験と同じである。見学者の思考は主体的なのだ。さらに、予想通りの現象が起これば、深い感動となる。見学者は自然に問いかけ、「あなたの考えたとおりです。」と自然がそれに応えてくれるのである。「偉い人」ではなく、自然が認めるのである。権威に従うのでなく、独自の思考で得た事実なのだ。

 ショーの舞台で見学者が演示に参加することが推奨されるが、それよりも、ここで述べた思考に基づく観察が大事と考えている。これこそが参加型サイエンスショーであり、斎藤の理想である。



確認は必須 2010/11/10

 自信満々で「びっくり、ドッキリ 空気の力」を演じて来たのだが、ひとりよがりであったことに気付いた。なんとも情けない気持ちである。

 見学者は小学校4年の団体。大気の概念を与える演示・下敷きが平らな台にくっついて離れない、マグデブルグの実験、吸盤が真空中では作用しない、等の演示で、大気圧の概念を十分与えたつもりの後の演示のこと。風船を真空鐘に入れる実験である。



いつもは、「どうなると思う?」と問いかけ、「膨らむ」と答えさせるように誘導的な語りかけをしている。つまり、彼らとのやりとりで、「風船は大気に押されているが、中の空気が押し返しているのでつぶれない」を彼らに語らせるように問答をしていた。今回は、三択問題「@ふくらむ、A変化しない B縮む」を加えてみた。大多数が@と答えると信じていたのだが、ほとんど同数で3分したのである。

 科学的思考をさせていたつもりだったのだが、できているのは一部で、ほとんどができていないのである。これまで2カ月、自信満々で演じてきたのだが・・・ なんともいえない脱力感。「再度試行錯誤の演示をはじめるのだ!」と自分に言い聞かせている。

 教訓:自信満々はすこぶる危険、常に見学者の思考を確認すること!


見学者が主 2010/11/09


 10年ほど前、琵琶湖博物館でのワークショップ「博物館を評価する視点」に参加した。これが斎藤の学芸員生活の原点といえる。内容は米国の先進館の実践例を体験的に学ぶもので、博物館の展示を評価し改善を試みるというものであった。琵琶湖博物館の展示場をフィールドとして実施された。その思想は「展示設計において、来館者の反応を予測することは不可能。」である。それでは、どうやって展示場を設計するのかというと、まずはじっさいにモックアップなどを製作して、事前に来館者の反応を評価するのである。そして、それを基に設計し、製作する。製作後の来館者の反応を見て、改良を加えるのである。

 このワークショップを体験するまでは、常に来館者の反応に裏切られ、悶々としていた。自分の考えた展示やサイエンスショーへ来館者を導こうとしても、来館者が思い通りに見てくれないのである。たとえば、磁石でアルミが動くという展示、「じしゃく」を作ったことがある。



見学者が「なんでアルミが磁石でうごくの?」と興奮する姿を思い描いたのであるが、結果はほとんどが無感動であり、斎藤は落胆した。このように、当時は自分の伝えたいことが主で、来館者を従とし、失敗を続けていたのである。この失敗は不可避でありそれを糧にするというのがワークショップ「博物館を評価する視点」の原理であった。このように無感動である来館者を知った上で、いかに伝えるかを試行錯誤するのである。展示「じしゃく」はこの思想で周囲に展示が増え進化している。

 ワークショップ「博物館を評価する視点」では科学館の大原則を思い知らされたのである。来館者は自由であり、好き勝手に楽しむ。どんなに熱意を持って思いを語っても、来館者は自分の好みに合わなければ見向きもしないのだ。つまり、来館者の好みに合うものを用意しなければ、こちらを向いてくれないのである。

 その後のサイエンスショーでは、見学者の思考や好みを主とし、彼らが自発的に科学的思考ができるように、試行錯誤している。大阪市立科学館のサイエンスショーは1テーマが3ケ月続く。つまり、試行錯誤を3ケ月間続けて練りあげるのである。見学者が主で、彼らの思考や好みに合わせるのであるが、自由気ままに楽しむだけというのは許すことができない。つまり、彼らが気がつかないうちに科学的思考に導く、このことを怠ってはならないのである。見学者が主であるが、科学的思考には従っていただくのだ。


聴衆の言語 2010/10/29

 先日、同僚の渡部学芸員から次のような貴重なコメントをいただいた。

 今、「びっくり!どっきり!空気のちから」(企画:長谷川学芸員)という大気圧をテーマにしたサイエンスショーを毎日公演しているが、その中で、「手のひらで空気は100kgで押しています。」などと頻繁に力の大きさを「**Kg」と表現している。渡部学芸員いはく、「**kgは重さです。200kgの相撲取り、1000kgの自動車、100g**円のお肉・・・。**kgは力をイメージしませんよ」。われわれ物理屋は力の大小を**kg(正確には**kg重)と、日常用語として使っている。しかし、これは物理屋の世界でのことで、外では全く違う言葉なのだ。つまり、サイエンスショーで、われわれ物理屋は全く理解できない外国語で話しかけていたのである。

 修行不足を痛感した。聴衆の概念・言語で演じていたつもりであったが、それができていないのである。サイエンスショーの基本なのに・・・ このコメントは原点をふりからえらせらるものであり、非常に貴重なものであった。

 教訓。「自分の概念・言語を聴衆のものに翻訳できている」つもりは非常に危険。自分の能力だけでは不可能。他者の協力を得ること。


見えないものを見せる 2010/10/22 2010/10/26(動画追加)

 「世界初!!超伝導を見る」は超伝導現象を磁力線観察で考察するサイエンスショーであった。それで、斎藤が開発した大型磁力線観察で磁力線の導入をした。



磁力線を知っている場合はこの観察で充分であるが、概念がない場合には、この観察から磁力線をイメージするのは困難であったようだ。まず、イラストなどで磁力線の概念を与えてから磁力線観察をすれば効果的であったと思う。概念があれば見えるが、概念が無いと見えないのである。このサイエンスショーを3ケ月も公演した後で気づくとは、なんとも情けない思いである。

 これは、科学の世界でもしばしば起こっていることである。たとえば、戦前、次のようなことがあったそうである。理研では霧箱で陽電子を捕えていたが、電子の反跳と見なしてしまった。陽電子の概念があれば、陽電子発見となったのである。

 今回のサイエンスショーは大気圧が主題である。大気圧を実感している者はいないであろう。概念がなければ見えないのである。これを見せるのが今回のサイエンスショー「びっくり!どっきり!空気のちから」(企画:長谷川学芸員)である。上述の反省から、今回はサイエンスショーの冒頭で、「だれにも感じなが、空気はあらゆるところを押している。それを実証する。」と大気圧の概念を与えている。下敷きが吸盤のようになることを大気圧の概念で強引に納得させた後、蓋が開く理由を聞くと、「中に空気があるから」と小学生が答える。



彼らは大気圧の概念で現象を見ているのだ。


独自ネタの秘策 2010/10/20

1.実験ネタの発展

 既知の実験ネタの材料をちょっと変えるだけで、面白い独自ネタに発展することがしばしばある。

例1
 現在実施している「びっくり、どっきり、空気の力」でフラスコ内に膨らむ風船がある。



これは1991年に実施した「気体の科学」の中の実験ネタから発展したものである。当時、フラスコ内をに風船が膨らむのでなく、水が吸い込まれるという実験ネタを使っていた。ある日、水を吸い込ませるためのガラス管付きゴム栓でフラスコを蓋する代わりに、風船で蓋をしたのである。すると見事に風船がフラスコ内に膨らんだのである。

例2
 1992年に実施した「作用・反作用」の空き缶ロケット。空き缶内でアルコールを爆発させ、アルミ箔の蓋を飛ばすのが知られていた。迫力が無いので、ガスライターのガスでアルミ缶を飛ばそうとしていたが、爆風だけでは空き缶がわずかに浮き上がるだけであった。そこで、燃焼ガスのもれを防ごうと手元にあったコピー用紙を使って蓋をしたところ、天井まで飛び上がったのである。

例3
 宝多卓男先生が科学の祭典で披露された「ファラデーのかご」を大阪市立科学館のサイエンスショーにアレンジしようと、空き缶にバンデグラフ起電器からミニ雷を落とそうとした時、偶然面白いことが起こった。バンデグラフ起電器を稼働させたところ、空き缶を吊るしたアルミ棒がたわみはじめ、空き缶が振動を始めた。そして、その振動に合わせて放電したのである。



大阪市立科学館独自の「ファラデーかご」で、「ハラハラドキドキ静電気実験」のメインの実験ネタとなった。

 いきなり独自ネタが実現することはない。サイエンスショーの企画は既知の実験ネタのコピペから始まる。さらに効果的なサイエンスショーを求めて、できることをコツコツと試すのである。すると、その作業の中から既知の実験ネタが独自ネタへと発展するのである。


2.道具

 十数年前に10cm角のネオジム磁石を入手した(寄贈:住友特殊金属)。これが斎藤の学芸員人生を変えたと言って過言ではない。この磁石は極めて強力なので、魅力ある実験ネタがが次々と実現した。金槌がくっついて離れない、磁石が逃げる、磁石粉体がうに状になる、着磁・消磁、などなど、スケールの大きなものである。最初にこの実験ネタで企画したのが「磁石のひみつ」。その後、この磁石で大型磁力線観察方法を開発して企画したのが「だれも知らない磁石のひみつ」。これらが新展示制作へとも発展した。

 次にピン止め効果が極めて大きい高温超伝導体を入手した(寄贈:新日本製鐵)。この超伝導現象の磁力線を前述の大型磁力線観察装置で観察するのが「世界初!!超伝導を見る」である。この演示に関する論文は英国の学術誌に掲載された。

 いい道具があれば魅力ある実験ネタが続々と実現するのである。

次回は「見えないものを見せる」を書いてみたいと思います。


サイエンスショーの企画、失敗する方法 2010/10/14
 
 そろそろ来年度のサイエンスショーのテーマを決める時期になってきた。担当学芸員の腕の見せ所である。斎藤は来年度の担当から外れるので、気楽にこのような評論家的なことを書いている。これまで実施したタイトルを見ると今年の2月まで84種類、たくさんのものを企画してきものだ。秀作ばかりといいたいところであるが、企画倒れのものも少なくない。たとえば、1992年の「浮力」。斎藤の考案で、アルキメデスの原理を実際に確かめるものである。天秤ばかりで釣り合った錘の片方を水につけ、あふれた水を採取し、その水を軽くなった錘と同じ位置に吊り下げると傾いた天秤ばかりが再び釣り合う、というのを実際に行ったのである。授業などでは重要な実験かもしれないが、現象が地味で面白くない、退屈なショーとなってしまった。失敗の原因は、ショーとしてふさわしくない実験ねたを採用したからである。つまり、ねたもないのに理念だけが先行したのである。不可能な理念を設定してしまったのである。大阪市立科学館では、同じような失敗を何度となく繰り返している。高邁な理念設定で現実に苦しむというのは、世の常かもしれない。

 このような経験をから学ぶべきことがある。すなわち、「魅力ある実験ねたが集るかどうか分からない」というようなテーマ設定はしてはならない。ショーの中心となる実験ねたを数個以上集めることと同時にテーマ設定をすべきなのだ。

 「20年を超える実績」と誇りたいところであるが、それはネタ切れをも意味するのである。つまり、まったく新しいサイエンスショーを企画するのは困難になってきた。これまでにない新しいもの、あるいは独自の実験ネタというのは無い物ねだりかもしれない。かの有名な某先生もネタ切れで苦しんでおられるそうな。

 とにかく、理念先行は危険である。まずは魅力ある実験ねたを揃える事が必要である。ということで来年度のサイエンスショーに期待したいところである。

 次回は「独自ネタの秘策」を書いてみたいと思います。


水中花火 2010/10/09

(作:岳川学芸員

 これは岳川学芸員が企画したサイエンスショー「花火の大実験」のアイテムの一つである。とても人気のネタでどのような演出をしても見学者は大喜びである。たとえば、水中花火を見せて、「花火は酸素を自ら出すので水中でも燃えるのです。」と説明しても喜んでいただける。しかし、水中花火を見た後でこのような説明は聞いてもらえるだろうか? たとえ聞いて頂いたとしても、その説明がどれほど見学者の心に訴えるだろうか? 斎藤は次のような演出で、「自然との対話」(斎藤の理念)に導くことを試みた。

現象 説明 見学者の思考・心理
@ 花火の構造 硝酸カリウム、鉄粉、炭粉で花火を作り、燃焼。 硝酸カリウムが酸素を出して花火が燃える 勢いよく燃える理屈に納得する
A 経験との乖離 「酸素を出して燃えるので、水中でも燃えるか?」との問いかけ 理屈と経験との矛盾に不安を感じる
B 経験の確認 着火した花火が水中で消えることを確認 たとえ酸素が発生しても、水で冷やされるので消える 矛盾解消に安堵、満足感を味わう
C 沈下しない現象 水中での機雷爆破ビデオを見る。 冷却される以上に発熱すれば消えないことを説明 水中で燃えることに確信を持つ
D 期待 Bの花火より太い花火を見せる 冷却以上の発熱がある 水中で燃えることに期待する
E 水中花火を見る 水中花火 自身の予想実証で感激

 見学者が自身の思考と経験との矛盾に葛藤し、「自然との対話」により自身の思考を確かめ、科学者と同じ感動を得るというシナリオである。ほぼ想定どおりの出来栄えだたっと思っているのですが、水中花火はどのように演じても大人気ですので・・



斎藤の理念 2010/10/03
 

 多くの人は己の感性や考えを尊重せず、大勢に身を委ねてしまう。たとえば、美術鑑賞。有名作家の展覧会に長蛇の列ができることがあるが、本当にその作品に魅せられているのだろうか?「素晴らしいと感じなければならない」というような義務的な雰囲気を感じる。無名の作品には無名という理由だけで見向きもしない。

 人は己を捨てて集団化する。これは人固有の特性であろう。大勢に身を委ねていて、人は幸せであろうか? いいや、そんなものは幸せなどではない。己の感性や考えに誇りを持ち、自らの判断で行動してこそ、大きな感動や喜びがあるのだ。人は己に責任を持たなければならないし、それは人の権利なのだ。また、それは義務でもある。

 集団化はファシズムへと突っ走る原動力となる。歴史が示す数々の不幸な出来事は、集団化に起因すると言っても過言ではない。集団化は法則であるので、同様の不幸は繰り返されるはずである。それに抗するためには、個人個人が自分の脳みそに誇りを持たなければならないのだ。

 斎藤は多くの人に、己の脳みそを大事にしてほしいのである。そして、己の脳みそで感激を味わっていいただきたいのである。それで、次のようなサイエンスショーを目指している。

 夢中になって楽しむうちに、「なんでだろう?」と疑問を持ち、「きっとこうなるに違いない!こうなってるはずだ!」というような自説を持つ。そして、その自説を実験で確かめ、「ぼくの考えていたとおりだった!」という感激を味わう。ある大先生が大発見をした時のことを次のように表現した。「自然界がぼくの問いかけに応えてくるのです。まさに自然との対話だった。」つまり、科学者と同じ感激を味わうのだ。これが理想。単なるびっくりショーではないし、楽しいだけでもよろしくない。権威的な考えを教示するのでもない。自分の力で考える喜びを、実験ショーを通じて与えることができたら理想なのだ。

次回は「水中花火の演出について」を書く予定です。

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