ホシ ヲ メグル センイチ ワ
★ 2015年6月28日 第100話 太陽系の惑星の覚え方 太陽系には、8つの惑星が知られています。太陽から近いじゅんに、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星です。その頭文字をとって、すい・きん・ちかもくど・てんかい と覚えるのが通例です。 英語ではどう覚えるのでしょうか? Mercury Venus Earth Mars Jupiter Saturn Uranus Neptune となります。たんに頭文字だと MVE MJS UN となり、意味不明です。そこで、意味がある文章にするのが普通のようです。 ★ 2015年6月28日 第99話 恒星はガスでできたボール 恒星、それは自ら光り輝く星です。 太陽も恒星の一つです。太陽の特徴は、つまり恒星の特徴なのですが、「地面もなければ」「燃焼もしていない」「でも熱いから光り輝いている」「ガスの集まり」なのです。なんだか、よくわからない話ですよね。 特に、最後のガスの集まりというのが、ピンときません。ガスならチリガスですから、ほっておくとちりぢりバラバラになってしまうイメージがありますし、実際にそうです。 でも、ガスは集まれるのです。たとえば、地球の大気はガス(気体)でできていますが、地球から離れていきません。引力に引き留められているからです。 引力は、どんなものにでも発生します。ガスそのものにも引力があります。ただ、ふつうは、ちりぢりになろうとする力が強すぎて、ガスは拡散してしまうのですね。 ところが、ガスの集まり方が尋常ないほど・・・地球の何百倍にもなっていたらどうでしょう。そうなると、ガスは自分自身で宇宙空間のかたすみに集まることができるようになるのです。ガスの集まる規模が非常に大きいと、ガスは引力で引き合って、バラバラにならないのですね。それが恒星なのです。 ところが、そうやって引き合うと、恒星はどんどん縮んでしまうことになります。それを押し返して、ふくらませる力がつりあわなければいけません。それは、恒星の中でおこる、核融合反応で発生する熱なのです。この熱は、じわじわと巨大な恒星をあたため、恒星をふくらませる役割をします。 引力によって縮み 発生する熱によってふくらむ このバランスで恒星はなりたっているのです。そして、これは方向性がないので、恒星はボールのような形になるのです。 さらに、その副産物として 発生する熱によって、光り輝いている。 のですね。もちろん、発生する熱がたいしたことないと、光ることができませんし、そもそもガスの集まり方がソコソコだと熱が発生するようにもなりません。
★ 2015年5月16日 第98話 星の自転、そのペース 地球の自転は、1日に1回です。24時間ですね。細かいことをいうと、太陽をめぐる公転による分をさしひいて、23時間56分となります。 月の自転は、27日半くらいです。これは、地球をまわる公転の周期とぴったり一致しています。おかげで、月はいつも同じ面を地球に向けています。というか、公転と自転が一致するように、長年かけて、自然が調整したのです。 似たような例としては、太陽をめぐる水星があります。自転が59日、公転が88日で、自転の周期は公転のちょうど2/3になっています。 月も水星も地球より小さい星ですが、そうした事情があってのんびりとまわっています。ちなみに、やはり地球より小さな火星は、24時間半ほどで自転。地球の10倍の大きさの木星は、むしろ高速に、10時間ほどで自転しています。 では、地球の100倍も巨大な太陽はどうでしょうか? 太陽は水素とヘリウムの混合ガスでできた巨大なボールで、ガスなものですから、自転のペースが場所によって違います。赤道付近が25日間、両極は30日間以上で自転しています。地球の100倍の大きさだから、100日ということではなく、それよりいくばくか速いですね。 こうなると、太陽は特別のんびりした星のようにも思えてきますね。 ★ 2015年5月12日 第97話 夏休みに高校生が発見した新星 1975年8月29日夜8時30分。山口県の高校生、長田健太郎さんは、はくちょう座のデネブの北に見慣れぬ星を発見しました。明るさは3等級で、はくちょう座の主要な星と同じです。星座を少し覚えていれば、違和感を感じるような光景でした。 長田さんは、もともと新天体を発見したいと考えていた天文ファンだったため、びっくりしましたが、まさか、自分だ第一発見者とは思えないまま、いろいろ確認して、新天体の出現を連絡しました。これが、はくちょう座新星V1500の発見です。 新星V1500は、翌日明るさを増し、最大で1.8等級になりました。そしてその後はみるみる暗くなり、6日で5等級以下になり、肉眼で観察できなくなりました。夏休みの終わりの夢のようなできごとで、長田さんは一躍有名人になり、また、多くの人々が、自分も新天体を発見できるかもと興味を持ったとのことです。 ところで、このV1500は、その前半世紀を通じて最も明るく見えた新星でした。もう少しさかのぼると、やはり日本人の祖父江久仁子さん(やはり学生だった)が、1942年が発見した新星が0.5等級までなっています。また1936年には、岡林滋樹さんが1.6等級まで明るくなった新星を発見しています。しかし、その後何十年も、これらより明るい新星は出現しなかったのです。なお、新星の発見者はもちろん、日本人だけではありません。 ところで、これらの新星は、その後暗くなり、いまでは望遠鏡でも見るのが困難なくらい暗くなっています。V1500は、最近の観測では17等級です。これは、肉眼で最も暗い星の、3万分の1くらいの明るさなのでした。ただ、まちがいなく、星は存在しつづけています。 さて、新星と書き続けていますが、これは学術用語で、実際は「新しい星」ではないことがわかっています。新星は、燃料が枯渇した星に、隣の星から燃料がふりそそぎ、必要なだけ燃料がたまったところで、突然明るく光出す現象です。なんというか、水がたまったら、カコンと音がでる鹿威しみたいな話ですね。鹿威しは何度もカコンがありますが、新星のなかにも、再帰新星といって再び明るくなるものもあります。 また、「超新星」というのもありますが、これは、星そのものが消し飛んでしまうような大爆発で、星の表面が明るく輝く新星とは違うできごとです。 ★ 2015年4月25日 第96話 ぎょしゃ座イプシロンという特殊な食変光星 第95話で登場した、明るい食変光星の中に、変なのがまざっています。ぎょしゃ座イプシロンという星です。いや、食変光星じたいが変なのですけど、周期が9884日というのがとんでもないですね。1821年に発見されています。 食変光星は、隠し合う星通しが、基本的には短い周期でまわりあっているものがほとんどです。周期が長いということは、星通しが離れているということですから、当然ながら星の正面を通る可能性が低くなります。周期がながい食変光星は、ゼロにはならないですが、確率的には存在しにくいんですね。 じゃあ、このぎょしゃ座イプシロンはすごい偶然の産物か? というとそれはちょっと違います。実は、変光を開始すると、2年間も食の状態が続くのです。しかも、半年もかけてじわじわと暗くなり、また明るくなる。そのためには、隠す星が、非常に、巨大でなければいけません。しかし、それにしては、暗くなるペースがおかしいのです。 そこで考えられたのは、巨大なチリの円盤があり、それが星の前を横切るというものです。円盤は、もうひとつの星を取り囲むようにあります。星のまわりにチリの円盤がとりかこんでいるんですね。それがはっきりとらえられたのは2011年。ジョージア大学のcharaという世界最高分解能を誇る望遠鏡(干渉計)によるものでした。 実は、星は円盤をはき出すこともあれば、円盤が縮まって星ができることもあります。ぎょしゃ座イプシロン星がどちらか(たぶん前者)なのでしょう。 星と円盤がまわりあっている。不思議な星もあるものです。 ★ 2015年4月25日 第95話 肉眼で見える、食変光星はほんのちょっと 食変光星(しょく・へんこうせい)とは、まわりあっている二つの恒星が、互いにかくしあう天体です。 日食では、太陽が月にかくされてまっくらになりますが。食変光星は、隠す方も、みずから輝く恒星ですから、暗くはなるものの、日食ほど劇的ではありません。それでも、明るさが半分やそれ以下になるのですから、注意深くみえると、気がつくレベルです。 最初に気がつかれた、食変光星は、秋の星座、ペルセウス座のアルゴルです。アルゴルは、比較的明るい2等星で、都会でもなんとか確認することができます。暗くなると3等星になります。 アルゴルは、17世紀には、明るさが変化しているようだと気がつかれました。それを食変光星という現象とみやぶったのは、グッドリクという少年です。彼は、毎日のようにアルゴルの明るさを観察しつづけ、その理由を解明した天才でした。 この、明るくなる暗くなる周期は2.87日間です。つまり2.87日で互いにまわりあっているわけです。地球と太陽は365日、地球と月が27.5日ですし、太陽自身も27日ほどで自転しているわけですから、えらく速くまわっていることがわかります。 というか、速くまわるというのは、それだけ接近しているということで、接近しないと星通しがかくし合うのが見られることは、なかなか難しいというわけですね。かなり特殊な関係でないと、食変光星にならないこともわかります さて、アルゴルの他にも、もちろん食変光星はあります。一番明るいのは、ぎょしゃ座のベータ星。ただ、この星は0.1等しか変化しないので、ほとんどの人は変化がわからないでしょう。2番目のほ座デルタ星は、なんと1997年に食変光星であることが発見されました。3番目がアルゴルです。以下で、肉眼で見えるかなーというのを並べると次の通りになります。 食変光星リスト(3.5等級まで)
以下、 6.5等級までで、160ばかりの食変光星が見つかっています。 肉眼で見える星9000のうち、食変光星は160。多いとするか、少ないとするか。食変光星だけで星図をつくると、とても寂しいものになるわけです。食変光星は、レアな存在だといえますね。 ★
2014年12月11日 第94話 天文台と国家 天文台は、天体観測をし、研究をする場所ということで、望遠鏡の発明以前から、設置されてきました。エジプトのピラミッドやイギリスのストーンヘンジなども一種の天文台であったと考えられています。 時代はくだって、16〜7世紀には3人の大天文学者が活躍します。デンマークのチコ・ブラーエ。チコの弟子でもあったヨハネス・ケプラー、イタリアの大科学者のガリレオ・ガリレイです。チコは貴族で趣味で天文学を行っていました。後に彼の仕事は王様から支援を受けるようになりますが、国家事業ではありません。ケプラーは牧師でした。ガリレオは大学の教師でした。いずれも、国家の天文台に雇われたのではなかったのです。 その後、世界では国家が天文台を運営するケースが増えてきます。イギリスのグリニッジ天文台、フランスのパリ天文台は、ドイツのベルリン天文台、アメリカの海軍天文台などは、暦を作るために国家事業として建設されました。グリニッジ天文台の初代台長はフラムスチード、2代目はハレー彗星で有名なハレーです。 さて、ということで天文台は、大学がオペレーションするもの。ということになってきました。国家事業か? というとちょっと違うという感じだったんですね。 ところが、1970年くらいから天文台は国家事業に返り咲いていきます。望遠鏡ではないですが、国家事業として宇宙開発を行っているNASAが、1958年に開設。1969年には米国の威信をかけた月への有人着陸を成功させます。国家事業としての科学のパワーを見せつけた形になります。 日本では、1990年に東京大学の付属機関だった東京天文台などが、他の大学の機関と一体になった国立天文台になります。この国立天文台は、巨大なすばる望遠鏡を作り上げます。一大学の付属にするには、あまりに巨大な事業ということになったのですね。 ★ 2014年2月19日 第93話 水の氷、液体の水 科学者は、しばしばふしぎな日本語を使います。水の氷とか、液体の水といった言い方がそうです。 たとえば「月に水の氷が発見された」とか、「月には液体の水は存在しない」とかいうわけです。変でしょ? 素直に「月に氷が発見された」「月に水はない」といえばいいのに、なぜなんでしょうか。ひねくれているんでしょうか? 難しい言い方をして人をおとしめようとしているのでしょうか? えらそうにしているのでしょうか? いや、そうとられてもしかたないですよね。 科学者の言い分はこうです。「だって氷っていったって、いろいろあって紛らわしいじゃないか」「水といったって、水蒸気とか氷もあってそれぞれ存在の意味が違うじゃないか」。 ここで「氷」という言葉の意味が、ふつうと違うことがわかります。氷といったら、ふつうは、水が凍ったものしかいいません。二酸化炭素が凍ったものは、ドライアイスといいます。ところが、科学屋さんが氷という場合は、通常液体や気体のものが、凍ったものすべてを差すのですね。メタンの氷とかアンモニアの氷とかそういうわけです。いや、木星や土星にはそういうものが自然にあるんですよ。 それは、科学者が意識する物質が、ふつうの人があつかうものに比べて、圧倒的に多いことから来ています。それだけ、広く、深い世界を意識しているのですね。 また、液体の水については、水というのは科学屋にとっては、H2Oという物質の名称だからです。それが凍っていても蒸発していても、水という物質はあるということになるわけです。だから「液体の」をわざわざつけます。また、液体の水は、地球型の(あ、ここも科学屋のいいかただ)生命には欠かせないものです。身体の水分が凍ったり蒸発したら、人間は生きていけません。液体であることが大切なんですね。 だから「液体の水」と意識した言い方をしているのです。 意識するかどうか、そこが科学のポイントです。そして意識することによって、広く深い、豊かな世界が見えてきます。 でも、やっぱりふつうの人と話をするときには、断りなしに「液体の氷」はやめてほしいですよね。だって、聞く方は意識していないので、過剰に。難しくしか感じないのですから。それでいいの? ということです。そこも意識してほしいところです。 ★ 2014年2月16日 第92話 連星(れんせい) 宇宙には「連星」といわれる星がたくさんあります。これは、2つ以上の恒星がまわりあっているものです。3つだと3連星とか3重連星、6重連星なんてのもあります。 こういうと「太陽系にも8つの惑星があるから、太陽とあわせて9連星」と言いたくなりますが、連星は、太陽のような星が2つ以上あることです。ふたご、三つ子の星ということになります。その通りで、連星のほとんどは生まれながらの兄弟なのです。 星は、生まれて死にます。星の直接の母親は、星ではなく、宇宙の一隅にガスや塵があつまった星雲です。 星雲のガスや塵は、引力や周囲のガスの圧力で寄り集まって星といえるくらい小さなかたまりになっていきます。そのさい、星は一つだけが生まれるのではなく、同時にたくさん誕生するのです。その数は数百から時に数万個にもなります。その様子は、星団として宇宙のあちこちに見ることができます。一番有名な星団は「すばる」です。 そうして同時に生まれた星の中には、お互いに引力で結びついてまわりあうものもでてきます。これが連星なのです。 太陽から一番近い連星は、太陽から一番近い恒星でもある、ケンタウルス座のα星です。この星は2つの太陽くらいの星がまわりあっています。それぞれAとBと名付けられています。2つの星があることは、望遠鏡を使うとわかります。さらに大分離れて小さな星CがA+Bのまわりを大きくまわっています、プロクシマ(最も近い)と名付けられた星です。 冬の星座の明るい星も、多くが連星です。おおいぬ座のシリウスはとても小さな星と大きな星の連星。こいぬ座のプロキオンも同様です。おうし座のアルデバラン、オリオン座のリゲルも連星、ぎょしゃ座のカペラは4重連星です。 たった一個のスターだと思っていたら、実はグループでした。というわけですね。 ★ 星の中には、爆発をして最後を迎えるものがあります。ほぼ星全体がふっとんでしまいます。これを「超新星」といっています。 そのさい強烈な光が発生します。それは、それまでの輝きの数10万倍〜数1000万倍に達するほどです。太陽と比較すると、10億倍〜1000億倍にもなります。太陽の1000億倍の明るさというと、それは銀河系全体の明るさに匹敵します。輝きは数ヶ月つづき、その後、数年かけて失われ、望遠鏡でなんとか確認できる残骸がほのかに輝くだけになっていきます。 さて、超新星を起こす星は、星全体のなかでは、非常にレアケースです。99%以上の星は爆発しません。が、なにしろ派手な現象なので、この話を聞くとみんな星は爆発してしまうように思うのでしょうね。ちなみに太陽は多数派のほうで爆発はしないことがわかっています。 では、どういう場合に星は爆発を起こすのでしょうか? 2つのケースがあり、I(いち)型とII(に)型にわけられています。II型の方がわかりやすいので、そちらから紹介しましょう。 II型は、太陽の8倍以上の重さの星がおこす現象です。星の重さは誕生したときに、どれだけの材料を引力で集められたかで決まりますので、生まれながらに爆発するかどうかが決まっている星ということになりますね。 こうした星は、星の中心で輝きの元のエネルギー源として、「核融合反応」がおこっています。この反応は通常の星では水素しか使えませんが、重い星は圧力が強くなるため、ふつうは燃料にできないヘリウム、炭素、酸素、硫黄、ケイ素までを燃料にできます。そして、絶対に燃料にできない鉄を星の中心につくってしまいます。 鉄がつくられ、燃料を使い尽くすと、星は一気に縮みます。そして中心に固まっている鉄に跳ね返され、その衝撃が星全体をふっとばしてしまうのです。これがII型の超新星です。 原理的に太陽の8倍以上の重さの星しか、II型の超新星になりません。そして超新星になる前には、ヘリウムや炭素が燃料になるのですが、これは水素に比べ、ものすごくパワーがでるため、星全体が非常に大きくなります。大きさは直径にして太陽の1000倍に達することもあります。明るさも太陽の数千倍から1万倍にもなります。そして、ふくらんだ結果、エネルギーを出す中心から星の表面が遠くなるので、赤っぽくなります。赤色超巨星といっています。 赤色超巨星は、II型の超新星になる前の段階です。有名な赤色超巨星としては、オリオン座のベテルギウス、さそり座のアンタレスなどがあり、100万年以内には爆発を起こすだろうと考えられています。 ★ 2013年1月24日 第90話 星のロマンとサイエンス 前の節に登場する小説「レ・ミゼラブル」は、ロマン主義のフランス文学とされています。 このロマンという言葉、もともはローマ人のとか、ローマのという意味です。でも、ロマン主義とかいうと、日本では「浪漫」とあてられて、合理的、理性的なことに対して、 感受性や主観をベースにした表現ほか諸活動をさすようです。18世紀末〜19世に登場したとされています。 さて、科学と訳されるサイエンスですが、これはロマン主義とほぼ同じ19世紀の初頭に現在の意味で使われるようになった言葉です。ラテン語の scientia(知識)という言葉がベースになっていますが、18世紀まではまさに、そのように使われていました。いまでいう科学は、自然哲学という表現で使われていたのです。いまだに、欧米の博士がM.D.(医学の博士)に対して、科学での博士は Ph.D.(哲学の博士)と表記しています。 そして、19世紀の初頭に、(職業)科学者のことを、サイエンティストと呼ぶようになりはじめたのです。このいいかたには、自然を理性的、論理的、実証的に見るという意味が込められているように思います。 ということで、ロマンとサイエンスは、ずいぶんと方向が違うというか、むしろ対になった言葉といっていいですね。でも、星のロマンとサイエンスのように、一緒に使われることもよくあります。 たしかに、星のとらえかたには、ロマン的な部分とサイエンス的な部分があるわけですから、これはまちがっていません。 でも、サイエンスのロマンといった場合はどうでしょう? 人がサイエンスする以上、その行動の過程で、情熱とかいった主観的な部分はもちろんあります。でも、サイエンスそのものは、熱意とかやる気とかがんばりとかそういう人間くさいものを排除してなりたつ(だから万人共通)ものなのです。サイエンスでは、自分の意に沿わぬ実験結果や研究結果がでても、それは受け入れるしかないのです。 サイエンスのロマンという言葉を軽々しく使っていくと、サイエンスの本質の怜悧な部分を読み間違えることがあるやに思います。星のロマンとサイエンスも、気をつけてつかうべき表現なのでしょう。
★ 2013年1月22日 第89話 フランス革命から100年間のフランス科学 フランスという国は、ちょっと特別な思いを持たせてくれるところです。その一番のポイントは、1789年のフランス革命にはじまる一連のできごとでしょう。 市民が政権を取り、取り替えされ、また取り、という激動の時期。また、諸外国との戦いで登場した英雄ナポレオン。世の中が新しくなるのに、科学者も刺激されたことでしょうし、巻き込まれたりもしました。市民の生活もふりまわされました。そのあたりはヴィクトル・ユーゴーの名作「レ・ミゼラブル」でも描かれていますね。 ここでは、フランス革命から100年くらいのことをメモしてみます。星や天文学に関わることが中心になりますので、偏ったメモです。登場する人物は、ことわりなきかぎりフランス人です。
ところで、この時代のことを調べると、イギリスやドイツの科学者(あとアメリカ)がよくでてくるのはまあわかるとして、 スウェーデンの科学者の活躍が目立ちます。スウェーデンといれば、ノーベル賞(1901年〜)ですが、チョット調べるとおもしろそうですね。 参考文献 新版・カメラマン手帳、朝日新聞社、1992年 橋本浩、早わかり科学史、日本実業出版社 wikipedia フランス革命ほか、フランス史のページ ★ 2012年12月11日 第88話 “太陽の元素” ヘリウム ヘリウムガスを風船にいれると、ふわふわと浮かび上がります。遊園地で、ヘリウム風船を手に入れて笑顔、でも、手をはなしてしまって飛んでいって、半泣き、という子どもをよく見かけますよね。これは、世界の遊園地共通の様子らしいです。 遊園地は、日本では幕末〜明治になる19世紀のなかばごろ、ヨーロッパで作られるようになりました。1843年開園のデンマークのチボリ公園がその元祖だそうです。 でも、1843年には、ヘリウム風船はありませんでした。なにしろ、ヘリウムそのものが発見されていなかったのです。 ヘリウムの発見は1868年。日本では明治元年です。発見されたのは、地上ではなく、太陽。太陽にしか存在しない元素と思われていたので、ヘリウム(ヘリオス=ギリシア語で太陽、の元素)と名付けられたのです。 その後、このヘリウムが地球上にも存在することがわかりました。1903年にはアメリカの鉱山で天然ガスにまざって大量に噴出し、1930年ごろには、採掘技術が進み、工業用に使えるくらいになりました。その後、ながらくアメリカがヘリウムの生産を独占していましたが、最近ではアフリカや中東などでも鉱山が発見されており、少しずつ状況が変わってきていますが、冷却や溶接用のガスなど稀少な資源であり、戦略物資として扱われています。 ところで、地球では、稀少なヘリウムですが、太陽には大量にあります。 太陽は、その重さの7割以上が水素でできていますが、3割弱はヘリウムでできています。 また、宇宙全体だと、水素が8割、ヘリウムは2割といったところです。さらに、宇宙が生まれたときには、酸素や鉄などはなく、水素とヘリウムとわずかなリチウムだけだったとされています。 月には、太陽から吹き付ける「太陽風」によって、表面に大量のヘリウムがあることがわかっています。 地球では稀少だが、太陽ではありふれているヘリウム。やはり太陽の元素といういいかたは、あっているのでしょうね。
★ 2012年11月24日 第87話 あるいていったら 子ども用の図鑑などに、太陽まであるいたら・・といったたとえがよくのっていました。XXkmとかXX光年といわれてもピンとこないところを、徒歩何分とすればわかりやすい。不動産広告と同じですね。 さて、そんなんで、あるいていったらどんなものか、いろいろ計算してみました。この手の計算をするときは、時速4kmとかを想定することが多いようなんですが、不動産広告と同じく、1分80mを基準にします。つまり時速で4.8kmですね。休みなくあるくとして、1日115km、1年42000kmです。 星まであるくと
現実的なのは月だけですね。別の見当をしてみましょう。 これだけあるくと・・
小惑星イトカワなら、500mくらいなので、6分間くらいで一周できます。
★ 2012年11月20日 第86話 身近な星の大きさ 夜空に輝く星は、点にしかみえません。でも、それは非常に遠くにあるからで、実際には大きさがあります。 その大きさを測るのは、なかなか難しい事業でしたが、100年ほど前に干渉計という技術で、オリオン座の星、ベテルギウスの大きさが測られてから、いくつかの星については、直接大きさが分かるようになりました。 また、2つの星がお互いにまわりあって、星を隠し合う(食が起こる)食連星も、大きさがわかります。 他にも、星の大きさが述べられている場合がありますが、それは、絶対等級(星の本来の明るさ)と有効温度(星の光のでかた)から、角直径(みかけの星の大きさ)を算出し、距離をかけて実際の大きさを求めています。測定しなければいけない量が多いので誤差がつもり、精度はだいぶおちます。 とまあ、難しいことはこれくらいにして、2012年版の理科年表(丸善)の天文48ページには、30ばかりの星の大きさが掲載されています。理科年表は、星の名前を、カナ表記にしていなくてわかりにくいのと、なじみがない(暗い)星も一緒になっているので、抜粋してみましょう。 なお、理科年表にならって、太陽の直径を1とした単位で表記します。
★ 2012年10月28日 第85話 オーロラが見える星 オーロラ(極光:きょっこう)は、北極や南極付近で見られる、空の発光現象で、時にカーテンのようにゆらめく様子が見られます。 地球全体では、特によくオーロラが見られる場所は、北極と南極の磁極を中心とした、ドーナツ状の地域で、オーロラオーバルとか、オーロラ帯といわれています。 このオーロラが見られるのは、地球だけではありません。木星、土星、天王星、海王星にもオーロラが確認されています。 木星と土星のオーロラは地球同様、ドーナツ状の地域で見られます。一方、天王星と海王星のオーロラは、惑星表面の「にきび」のようにスポット的に見られます。 オーロラは、太陽から飛び出すの電気を帯びた風(太陽風)が源です。太陽風が、地球などの惑星の磁場に衝突して、電気をため、同時に磁場を「もんで」、ぴゅーっと惑星上空に電気の噴流を流し込むと、惑星の空(大気)が発光します。 ごちゃごちゃ書きましたが、太陽風+惑星磁場+大気が組み合わさって、オーロラは起こるのです。上記のオーロラが起こる星は、すべて、この条件を満たします。一方で、大気や磁場がない月や水星ではオーロラは見つかっていません金星、火星については、オーロラのような現象があることが発見されています。 木星と土星には、1970年代の後半に、探査機によってオーロラらしきものが確認されました。 木星のオーロラが確実となったのは、1991年です。バロンやキムらが、NASAがハワイに設置しているIRTF望遠鏡用の装置ProtoCAMで観測に成功しています。 土星のオーロラは、トローガーらが、1995年にハッブル宇宙望遠鏡により観測に成功しています。 天王星のオーロラは、ボイジャー探査機が1986年に、それらしきものが確認されました、また、同じボイジャー探査機が1989年に海王星にオーロラを発見しています。 ついでに木星の衛星イオにも、オーロラが発見されています。 <この項目、ちょっと不明なところもあるので、もうっちょっと研究などをチェックして、書き換えると思います。レファレンスにするなら、下の参考文献を直接ということでよろしく。> 参考文献: ESAニュース 2005・6/9号 Mars Express discovers aurorae on Mars 理科年表ホームページ 地球外の惑星でもオーロラは見えるのでしょうか? そしてどのように見えるのでしょうか? NASA ボイジャー探査機ホームページ 海王星の磁場http://voyager.jpl.nasa.gov/science/neptune_magnetic.html
★ 2012年10月24日 第84話 1等星、2等星、、星の明るさ 星の明るさは、等級であらわされます。明るい星は1等星。目で見えるかどうかの暗い星が6等星となります。 この表し方は、 古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスが提案したものとされています。近代になり、あまりおおざっぱだと、科学的な測定には使いにくいということで、ポグソンが5等級の違いを、100倍の明るさ比とさだめました。 さらに、基準になる星や、測るさいの測定法などなども厳格に決まるようになったのは20世紀です。 現在では、1等星=0.5〜1.5等級の恒星は13個。0.5等級よりも明るい恒星は9個となります。(YBSCカタログバージョン5で)、この両方あわせた22個をふつう1等星と読んでいます。 ちなみに、6等級まで数えるとこんな感じになります。 表.恒星の等級別の個数 (YBSCカタログバージョン5による。等級は実視等級)
★ 2012年9月29日 第83話 上位5% 太陽は、恒星のなかで、上位5%に入る星です。恒星というのは、核融合反応によってみずから光輝く星で、星座の星はすべて恒星です。そして、太陽も、特別近くにある恒星なのです。 太陽はよく「平凡な星」といわれることがあります。たしかに、夜空に輝く星たちは、太陽よりもとんでもないスーパースターばかりです。20個ほどある1等星は、すべて、太陽よりも実際は明るい星であることがわかっています。 しかし、夜空の星は、暗い星のほうが多いことがわかっています。1等星は20個ですが、2等星は100個、4等星は500個、6等星になると6000個となっていきます。 もちろん、暗いのは遠くにあるからでもあります。近い星よりも遠い星のほうが、分布できる体積が増える分、多くなるのは自明でしょう。地球から20光年以内の宇宙は、10光年以内の体積の8倍になります。 しかし、そういうことをさしひいても、暗い恒星の方が多いのです。そして、ほぼ見落としがないだろう近距離の恒星の明るさの割合をしらべると、太陽より明るい恒星は全体の5%程度であることがわかりました。太陽より暗い恒星が95%を占めるのです。 全体の上位5%というのは、受験でおなじみの偏差値でいうと、67くらいに相当します。ただし、受験の偏差値は、平均の50くらいが一番多いのですが、恒星の偏差値は下の方が多く、分布のしかたがちがうので、そのまま比較するのはちょっと問題がありますけれども。 ★ 2012年9月29日 第82話 だまっていても沸騰 いまから100年前、フランスの科学者、マリーとピエールのキュリー夫妻は不思議な元素を研究していました。それは、ラジウム。白色の金属です。このラジウムは、燃やしたり、圧力をかけたりしなくても、ほっておいても、熱を出すのです。 たとえば、ラジウム1kgのかたまりを水の中にいれると、1リットルの水が30分ほどで沸騰してしまいます。そして、水をとりかえても、同じことのくりかえしです。実に1000年以上も、これが続きます。 無限に熱を放射するラジウム。ラジウムの名前は、まさに、「放射するもの」という意味ですが、これこそ、放射能を持つ、放射性物質が本格的に研究されたはじめでした。 そのエネルギーは、ラジウムが目に見えないほどわずかずつ壊れていくことによって生み出されています。 アインシュタインは、相対性理論で、そのエネルギーを E=mc^2 と表しました。mは質量、cは光速度(3×10^8 m/s)です。1gの物質が壊れて完全に消滅すると、9×10^13ジュールのエネルギーが発生します。これは、2500万kW時で、一般家庭1000万軒が1時間に消費する電力に相当します。 この関係は、ラジウムでなくても、あらゆる物体にあてはまります。ただ、ラジウムは、この放射が何もしなくても勝手におこるという特徴があります。そうした特徴を持った物質を放射性物質というのです。 放射性物質でなくとも、このようなことは起こります。たとえば、太陽のような恒星は、水素がヘリウムに変化するさい、わずかな物質が消滅するときにでる、莫大なエネルギーで熱くなり、輝いています。 太陽は放射性物質だというのは、ちょっとちがうのです。ただ、結果として、太陽から放射線はでていますけれども。 ★ 2012年9月28日 第81話 世界初の天体写真 写真が発明されたのは、1827年のことです。フランスのニエプスという人が、印刷の原板を光で作る方法を考え、実行したのがはじまりです。光で堅くなるアスファルトを使ったとされています。 ニエプスの死後、彼の協力者である、フランスの画家のダゲールが銀を使った写真術を発明します。1839年に発表されると、一躍有名になりました。ダゲレオタイプと呼ばれました。 イギリスの天文学者のジョン・ハーシェルはこの発明に興味を持ち、ダゲールの数週間後に、さっそく自分で写真撮影を試みています。撮影されたのは、父ウィリアム・ハーシェルが建設した巨大望遠鏡でした。そのごジョンは、写真術を発展させ「写真(フォトグラフ)」という言葉を初めて使った人となりました。 また、この発明を聞きつけた、アメリカの電信技師モールス(モールス信号のモールスです)は、友人の化学者ジョン・ドレーパーとともにダゲールに写真術をおそわり、写真館をはじめます。そして、ドレーパーは、望遠鏡に写真機をとりつけ、月の撮影に挑みます。露出オーバーでぼやっとしたものだそうですが、これが世界初の天体写真です。1840年のことでした。 同じ頃、ダゲールのもとで写真を習っていたのは、フランスのアマチュア科学者だった、フィゾーとフーコーです。好奇心旺盛な彼らは、ダゲールの方法を改良し、太陽の鮮明な望遠鏡写真を撮影することに成功します。1845年のことでした。 その後、ジョン・ドレーパーの息子のヘンリー・ドレーパーは、写真を天文学に応用するように、知り合いの天文学者で、ハーバード大学のボンド(1850年にはじめて、おりひめ星の撮影に成功)に多額の寄付をしました。この寄付により、ハーバード大学は全ての恒星の写真を撮影する事業をはじめます。 そして、ハーバード大学の教授になったピッカリングは、1877年にこれらの写真を整理分類する作業に乗り出しました。そして作られたのが「ヘンリー・ドレーパー(HD)カタログ」です。 一方、太陽写真の撮影に成功した、フィゾーとフーコーは、光の速度の精密測定という問題にチャレンジし、これも成功させています。 そして、さらにフーコーは、有名なフーコーの振り子で地球の自転の証明に成功することになります。そして、アマチュアから、パリ天文台の正式な物理担当スタッフになることになります。 現在は、ダゲールが開発し、多くの人が改良した写真は、デジタル写真にとってかわられています。しかし、あいかわらず、天体写真は、手元にものをおけない天文学者にとって、非常に重要な技術であることは変わらないのです。 参考文献:サイモン・シン「宇宙創世(上)」新潮文庫 斉田 博 「おはなし天文学3」 地人書館 ★ 2012年7月24日 第80話 自動車から星を見る 友人の車のドライブで山に向かったとき、流れ星を見たことがあります。そのときは、車内から星が見えるのが意外だったのですが、考えてみると、そうでもありません。 自動車は、星を見るにはわりといい環境なのです。
これらは、快適で安全な運転のためなのですが、実は、星を見るにもうってつけの環境だといえるのです。 もちろん、脇見運転は危険なだけ。星をみながら運転してしてくださいなんて、とても言えません。でも、時には安全な場所に車をとめ、空をながめるのもいいものです。 ★ 2012年7月11日 第79話 ピンホール式プラネタリウムの歴史 ピンホール式プラネタリウムは、プラネタリウムの一種で、星の像を投影するのにレンズを使わないものです。レンズの代わりに、空の星の配置通りに、箱に小さな針穴(ピンホール)をあけます。箱の中心に電球を1個いれて灯りをつけると、スクリーンに星空が広がるというものです。 ずいぶん前ですが、ピンホール式プラネタリウムの歴史はどうなっているの? という質問があり答えたことがあります。これはなかなか書かれない話なので、ここに書いておきます。 ドームスクリーンに投影する方式のプラネタリウムは、1923年にドイツで発明されました。これは、ピンホールではなく、より明るく鮮明な映像が得られるレンズ式のものでした。 それ以前は、レンズ式であれば、ピンホール式であれ投影する方式のものはありませんでした。 1940年代にはいくつかのピンホール式のプラネタリウムが作られた記録があります。 日本でも、金子さんや大西さん、関さんなどが1950年ごろにプラネタリウムを作っています。 また、紙工作式のピンホールプラネタリウムは、日本では1979年に大阪市立電気科学館のOBである高城武夫さんが、『切りぬく本・たのしい天体観測用具』誠文堂新光社、という本の中で紹介しています。
また、『天文の工作百科』地人書館、という本が 1979年に刊行されており、この中に金属製のボウルをつかったピンホールプラネタリウムの製作法が解説されています。学校の天文部などはこれをバイブルとして各地でピンホールプラネタリウムを製作していました。私もその一人です。 ということで、ピンホール式プラネタリウムの元祖は1940年代かそれ以前。日本で、工作して楽しむように普及したのは1979年の2冊の本がきっかけということでよろしいかと思います。 ★ 2012年6月13日 第78話 星の時間 星のことを考えたり、星を見たりする時間を、星の時間となづけてみました。国語の時間とか、家族の時間とか、そんなのと同じ感じです。 世の中の人々は、どれくらい星の時間をとっているのでしょうか。星と思うだけなら、ありそうな気もしますし、そうでもないのかもしれません。1日1分間、星の時間がとれるかというと難しいかもですね。仮にとれたとして、1年で365分、80年なら3万分間。1日が1440分間ですから、20日間まるまるくらい。おおいと思うか少ないと思うか。
★ 2012年1月22日 第77話 金星台に火星が丘(火星が丘編) 76話金星台編に続き、火星が丘の紹介です。 火星が丘があるのは、米国アリゾナ州フラグスタッフという人口5万人ほどの町です。米国なので英語の表記が正式で、Mars Hill です。フラグスタッフの西のはずれ、といっても小さな町なので、中心部から1kmあまり西の丘陵がそのようによばれています。米国は通りで住所を示しますが、West Mars Hill Road 西・火星が丘通があります。 この火星が丘には、ローウェル天文台があります。私設ですが、れっきとした研究機関です。1930年には、ここに所属していたトンボーが、冥王星を発見しています。ここにはローウェル天文台以外には何もなく、ローウェル天文台があるから火星が丘なのです。 では、なぜ「火星」が丘なのか。ですが、これはローウェル天文台の設立者の観測テーマと関わりがあります。設立者のパーシバル・ローウェルは、貿易商で日本にも長期滞在したことがある実業家です。彼は、蓄えた財産で後半生を天文学に捧げることとしました。そのきっかけは、火星に人工的な建造物=運河がある、というニュースでした。ローウェルはこの運河の研究のために天文台を作り、観測研究をしたのです。 火星にとりつかれたローウェルがいる場所ということで、火星が丘という名前が定着したのか、ローウェルがつけた名前なのか。これはまたの機会に調べることにしましょう。
★ 2012年1月20日 第76話 金星台に火星が丘(金星台編) 金星台に火星が丘、実際に存在する地名です。もちろん、それぞれ金星と火星にちなんだ名前です。まずは金星台のご紹介を。 金星台があるのは、兵庫県神戸市中央区。JRの元町から、山の手へ1kmほどのぼっていくと、諏訪山公園というのがあり、その中の一角が金星台といわれる展望台です。それはあります。 ここには二つの大きな碑が建っており、一つは江戸末期〜明治にかけて活躍した江戸幕府の軍艦奉行だった勝海舟が、1864年につくった神戸海軍操練所においた「海軍営之碑」。この海軍操練所に「あの」坂本龍馬も参加していたことで有名です。ちなみに、神戸海軍操練所そのものは、もちろん海沿いにありました。碑が保存されていて、こちらに移されたということです。 そしてもう一つは、金星観測記念碑で、これこそが、金星台の名前の由来なのです。かつてここで金星の観測がされたということなのですね。 では、それはなんであったかというと、金星が太陽の前を横切る、金星の太陽面通過(金星日面経過)という珍しい現象の観測が行われたのです。時は、1874年(明治7年)12月9日。これが観測できるのは、東アジアだったということで、日本まで、アメリカ(長崎)、フランス(長崎、神戸)、メキシコ(横浜)がそれぞれ観測隊を組織して遠征していたのです。そして、金星台には、フランス隊が陣取り、観測に成功したとのことです。それが、地名として残ったのですね。 ちなみに、金星の太陽面通過は、全世界で見ても、最近では1874年、1882年、2004年に起こっており、次は2012年6月6日、さらに次はなんと2117年と予報されています。一生に一度あるかないかの現象なのですね
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