ホシ ヲ メグル センイチ ワ

 

星や天文にまつわる短いお話を1001話書こうと思います。スタートは2005年2月25日。ボチボチやっていきます。


公序良俗に反さないかぎり、配布・コピーは自由とします。出展を、小さくてもけっこうなので、明記してください。WEBに転載される場合は大阪市立科学館の渡部ページにリンクをお願いします。

大阪市立科学館 学芸員 渡部義弥

 

2011年11月22日 第75話 宇宙をこえて アクロス・ザ・ユニヴァース

アクロス・ザ・ユニヴァースAcross the Universe は、1960年代に大ブレークしたイギリスのロックバンド、ビートルズの楽曲です。「宇宙をこえて」という意味のこの曲は、1970年に発売されたビートルズの事実上最後のアルバム「 レット・イット・ビー 」に収録されています。

歌詞には、「言葉は宇宙をこえて(Across the Universe )滑り出していく」というフレーズがあり、宇宙に自分の紡ぐ言葉が広がっていくイメージが折り込まれています。

この曲は、実際に、宇宙に向けて演奏されたことがあります。 NASA(アメリカ航空宇宙局)が設立50周年を迎えることを記念して、2008年2月4日の午後7時(日本時間5日午前9時)に北極星へ向けてこの曲を電波にのせて送り出したのです。宇宙に向けて演奏するにふさわしい曲ということでしょう。

なお、この曲は大勢の人がカバーしています。わかる限りあげてみますと(検索してひっかかった順です)。

  • デビット・ボウイ(男性・ロックボーカル) 1975年 アルバム「 ヤング・アメリカン 」
  • akiko(女性・日本・ジャズボーカル) 2011年 アルバム「ACROSS THE UNIVERSE」
  • ジェイク・シマブクロ(男性・アメリカ・ウクレレ・女性のシンディー・ローパーがボーカル担当) 2009年 アルバム「アクロス・ザ・ユニバース」
  • フィオナ・アップル(女性) 1999年 シングル「アクロス・ザ・ユニヴァース」 けだるい感じ  映画『カラー・オブ・ハート』で使用されている
  • Eric Hansen(男性・フラメンコギター) 2005年「Across the Universe: Beatles Journey」
  • Walter Lang(ピアノ)  2002年「アクロス・ザ・ユニバース~ビートルズ・ソング・ブック」
  • クラムボン(男性?・日本) 2006年アルバム「LOVER ALBUM 」
  • aozorafantasii「女性・アメリカ(日本語)」 2010年アルバム「Flight」
  • ルーファス・ウェインライト「男性・アメリカ」 2002年 アルバム「Poses 」のボーナストラックと「I Am Sam」 のサウンドトラック
  • さかいゆう (男性・日本) 2010年 シングル「 まなざし☆デイドリーム」
  • 小野リサ(女性・日本) 1997年 アルバム「ESSENCIA 」

このほか、検索したら桑田佳祐と、ミスターチルドレンの桜井氏がデュエットで歌っていたり。スタンダードナンバーなんですね。

  • また、ビートルズの楽曲を多数使った、2007年公開(日本では2009年)のミュージカル映画「アクロス・ザ・ユニヴァース」でももちろんカバーされています。(主人公格のジム・スタージェスが歌っています)

なお、翻訳家は、この曲を「宇宙の果てへ」と訳すようです。そのほうがきれいだと思いますが、ここはベタに宇宙をこえてにしておきました。

 

2011年9月23日 第74話 続・秋分の日についての誤解

第73話で、春分・秋分の日についての誤解をひとつご紹介しました。

もう一つ誤解があります。それは「太陽が真東から昇って真西に沈む日」という誤解です。

実際は、それぞれわずかに北から昇り、沈みます。「天の赤道」そのものは、たしかに、地平線と真東、真西で交差するのですが、昇るポジションは、実際には地平線の下にあたる時です。

太陽そのものに大きさがあるためと、大気により太陽が浮き上がって見えるためです。

 

2011年9月23日 第73話 秋分の日についての誤解

日本の祝日のなかで、春分の日と秋分の日はちょっと特別です。この2つの祝日は、天文学的に決められているからです。多くの祝日が、何かの歴史的できごとに基づいているのにくらべて、とてもおもしろい祝日だといえます。

ところで、天文学的にどう決められているのか。よく誤解があります。

一つは「昼と夜の長さが同じ日」という誤解です。

実際に調べてみると、たとえば大阪では、2011の秋分の日、9月23日の日の出は5:46、日の入は17:54です。昼が夜より16分間も長いです。

ちなみに、春分・秋分の日は、太陽が「天の赤道」を通過する日をもとに決まっています。

2011年9月3日 第72話 アソシエーション

星団の話の関連で「アソシエーション」の話もしないといけません。アソシエーションも同じ場所で一緒にうまれた恒星のグループで、そういう意味では、星団の一種です。

アソシエーション(英語で association)は、日本語では組合とか協会とかいう意味になります。天文の言葉では、同じ方向に運動している一群の恒星のことをいいます。運動星団とか、星落(せいらく)という訳もあるのですが、あまり使われません。

アソシエーションは、星団とちがって、パット見ても存在がわかりません。なにしろ、天文学者が地道な天体観測をして「ああ」と気がつくものなのです。夜空にぱらぱらとある星に番号をふっていって、1と13と33と55が、同じ方向からやってきて、同じ方向に動いているので、アソシエーションでした。ってな感じです。

たとえば、北斗七星の7つの星のうち、5つはアソシエーションです。つまり、あの7つの星のうち5つは、(一種の)星団なのです。また、オリオン座やさそり座付近のめだつ星のかなりが、ひとつのアソシエーションをなしています。

 

2011年9月3日 第71話 球状星団

前のお話で散開星団の話を書いたので、こんどはもう一つの球状星団です。

球状星団は、恒星がボールのように密集した星団です。星団の規模も数万から数十万個の恒星の集団となっています。英語でも globular cluster つまり、globe (地球儀)状で、日本語名はすなおな翻訳です。中心部ほど恒星の密集度が上がっているのも特徴です。

球状星団は、一般には「年老いた星の集まり」と書かれます。実際、球状星団には、誕生してから100億年といったものがゴロゴロしています。ところが、最近では、大マゼラン銀河などに、明らかに若いと思われる球状星団が発見されています。またまた「すっきりしない」部分です。

また、星の集団には、銀河というのがあって、これは数億〜数兆個もの恒星の集団です。上に書いたように、銀河の中にさらに星団が多数あります。いうなれば、銀河という大都市の中に、星団という団地がある。という感じになるでしょうか?

そして、これまたすっきりしない観測があって、銀河の中の小規模なものには、数百万個といった規模の恒星の集まりもあり、そうした小さな銀河は、なんというか、球状の形をしているものが多いのです。最近では、球状星団と銀河は境目がはっきりしない分類なのじゃないかといわれることもあります。

 

2011年9月3日 第70話 散開星団

恒星の集まりである星団は、大きく2つに分類されます。散開星団と球状星団です。

ひとつは、散開(さんかい)星団。名前の通り、星がぱらぱらと適当に散らばって集まっているように見えます。英語では open ( star) cluster という言い方をします。cluster は集団、open は広がったといった意味です。かつては、天の川に沿って分布するので galactic cluster(銀河星団)とよばれたこともあります。

さて、この散開星団ですが、一般には「若い星の集まり」と書かれることがあります。確かに、誕生してから数億年以内(太陽は誕生して46億年)の恒星からなる星団が多いのは事実です。しかし、実際にはNGC752やNGC188などのように、誕生してから10億年とか100億年と推定される散開も見つかっています。こういう「えー、すっきりしないなあ」という部分に、新たな宇宙像をとくカギが往々にしてねむっています。

 

2011年9月3日 第69話 星団は星の兄弟

星団(せいだん)は、たくさんの恒星が集まった天体です。観察しやすい星団を双眼鏡で見ると、多数の星が宝石箱の中をみるようによりあつまって見えて、見応えのある天体です。有名な星団としては日本では「昴(すばる)」という名前でおなじみのプレアデス星団、あるいはM45があります。

さて、星団は恒星が「集まった」と書きました。しかし、実際は散らばりつつある天体です。恒星たちは、宇宙を漂うガスと塵の雲から誕生するのですが、そのさいに、一個だけぽつねんと誕生するのではなく、多数がほぼ同時に誕生することがわかっています。まあ、いうなれば、兄弟というわけですね。その兄弟たちは、生まれてからしばらくは一緒にいますが、そのうち次第にバラバラになっていくのです。。

あ、ちなみに、有名な星団として紹介した「すばる」ですが、これは星がむすばる、統べる、という意味があります。なかなかに当を得たいいかただといえます。

2010年6月23日 第68話 宇宙で、一番小さな星

宇宙で一番小さな星は、中性子星という種類の星々です。中性子星は、異常に密度が高いけれども、ブラックホールのようにつぶれていない星で、だいたい太陽の1.4倍の重さで、直径は20kmくらいです。密度は、角砂糖1個くらいが10億トンにもたっするという、非常にギュウギュウの星なのです。

中性子星の存在は、1939年に予言されましたが、実際に発見されたのは、1967年です。イギリスの学生のベルとその師匠のヒュイッシュが、電波観測をしている最中に発見をしました。非常に高速度で規則正しく、点滅する電波をとらえたヒュイッシュは、小さくて強力な電波源があると考えました。規則正しく脈打つことから、パルサーと名付けられます。

その2年後に、このパルサーこそ、中性子星だということがわかります。ヒュイッシュはこの功績などによりノーベル賞を受賞しますが、弟子のベルは賞からはずれたために、話題になりました。

現在では、多数の中性子星が発見されていますが、その中で最小のものは、みなみのかんむり座にある RX J1856.3-3754 という星で、直径は7マイル(11.3km)と推定されています。あまりに小さいので、中性子星ではなく、クォーク星という種類ではないかと考えられています。

2010年6月4日 第67話 だれもが思いつく? 宇宙の質問

宇宙について、ちょっと知っていると思われると、いろいろな質問を受けることがあります。いくつか例をあげてみましょう。内容を見ると、なにかで知識を得てというケースが多いのが特徴かなと思います。それぞれのぼくなりの答えは別の話に書きます。

・宇宙の果てはどうなっているのか?

・宇宙はどのようにうまれたのか?

・宇宙の外はどうなっているのか?

宇宙ということをある程度知るとでてくる質問ですが、たいてい知る過程で答えを見てはいるんです。

・星の寿命はどれくらいか?

・星はどのように誕生したのか?

星に一生があるという概念がないとでてこない疑問です。つまり、本かテレビか何かで見ているんですね。ふつうは、星が生きるとか死ぬとか考えないよね。

・地球以外には、なんで空気がないの?

たいていの星には空気があるのですが、地球以外には空気がないと思っている人が多いです。まあ、人間が呼吸できる空気かというと、地球以外では今までに発見されているなかでは無理なわけですが。

・宇宙人はいるの?

様々な形で宇宙人が登場するフィクションがありますから、それが本当なのかなという疑問ですね。

・ブラックホールってなんですか?

も同様です。ある意味、宇宙人とブラックホールは同じようなとらえられ方をしている。

・星はなぜ光っているの?

・星の数は何個あるのか?

・星がきれいに見える場所はどこ?

・人が死ぬと星になるというのは本当?

・週の曜日と惑星の名前が同じなのはなぜか?

・星座はなぜあんな結び方をしているのか?

・星の名前はだれが決めたのか?

この辺は、実際に見たり知ったりしてでてくる疑問です。類例に。

・空はどうして青いの?

・土星の環は何でできているの?

・太陽が夕方大きくみえるのはなぜ?

などがあります。

2010年5月15日 第66話 小惑星ハンター

太陽を巡る小さな岩石質の天体、小惑星。それは無数にあります。小さいといっても、直径は数km以上もあるものです。それを世界で最初に発見するのを競争する人たちがいます。小惑星ハンターと呼ばれています。

発見のためには、空の一角の写真を撮影し、数日あけて、同じ場所をもう一回撮影し、2枚の写真を比較します。ほとんどの同じになるはずですが、なかには、場所をわずかに変えている天体があります。それこそ、小惑星の候補なのです。

これを発見するためには、写真を交互に見て、移動を確認する機械=ブリンクコンパレーター(瞬きして比較する装置)がかつては使われていました。

写真が発明される前は、こんな方法はとれず、小惑星の発見は、星の配置をスケッチして、過去の星図と比較してさぐっていくという気の遠くなる作業でした。

しかも、せっかく小惑星を見つけても、それがすでに知られているものであっては新発見になりません。過去の小惑星がまぎれこんでいないか、チェックが必要です。ちなみに、現在数十万個の小惑星が発見ずみです。そのなかから、新小惑星を探り当てる。まさしくハンターという感じですね。

なお、現在では、デジタル写真を撮影し、コンピュータの中で画像を自動的に比較します。この技術によって、小惑星の発見数は一気にあがりました。

現在の小惑星ハンターは、こうしたコンピュータ技術にも長けた人が主流です。もっといえば、研究所などが組織的にやるようになっていて、一匹オオカミのハンターってイメージの人は減っています。観測もコンピュータが自動制御するようになっています。しかしどこかで観測は、自然と向き合う作業であることには違いありません。

2010年5月15日 番外 私の名前がついた星

太陽を巡る天体の中に、私(渡部義弥)の名前がついた星があります。小惑星7257番がそうで、yoshiya。和名、渡部義弥。日本人のアマチュア天文家、小林隆男さんが発見したもので、彼が名前を提案する権利を持っており、小林さんの知り合いの並木さん(故人)を通じて、それを私の名前としてくれたのです。

このとき、同時についた名前としては、小惑星 7434番osaka 和名大阪があります。これは、大阪市にちなんで名前がつけたものです。名前の由来に、日本第2の「都市」とあるので、大阪府のことではなく、大阪市のことです。やはり、小林さんが発見しています。

これらの名前は、天文学者の国際機関である、国際天文学連合に正式に認められたものです。

2010年5月8日 第65話 太陽を巡る天体発見年

太陽を巡る天体、すなわち太陽系天体は、無数にあります。そのなかで望遠鏡などで観測ができ、軌道がはっきりしているものでも、数十万個発見されています。

でも、最初は、太陽を巡る天体は一つも「発見」されていなかったのです。なにしろ、太陽も含めて、あらゆる天体は「地球を」巡っていたのですから。

ただ、太陽のまわりを地球などの天体が回っているという考えは、2000年以上前からありました。それを、いうならば再発見したのがポーランドのコペルニクスです。

1543年 コペルニクスにより、太陽を巡る天体は6つの惑星とされました。水星、金星、地球、火星、木星、土星。これで、太陽を巡る天体は、6つです。

この考えは、じょじょにヨーロッパに広がっていき、50年後には、ドイツのケプラーが、惑星の軌道の計算式を確立します。

その後、1705年にイギリスのハレーが、この計算式を応用し、ある彗星が太陽を76年周期で巡っていると言い出します。そして、その彗星はハレーの予言よりやや遅れて、1758年 に実際にまた見えるようになったのです。

1758年 ハレー彗星が太陽を巡る天体に加わる。太陽を巡る天体は、7つ。

以降、彗星については、最初に発見された年ではなく、太陽を巡る「周期彗星」であるとわかった年を記します。

さて、このころになると彗星を捜索するのが、天文学者の大切な仕事となっていきました。その過程で、プロ音楽家でアマチュア天文学者だったイギリスのハーシェルは、天王星を発見します。第7番目の惑星の発見です。

1781年 天王星の発見。太陽を巡る天体は、8つ。

天王星の発見により、さらに、新天体の発見競争は熱を帯びます。そして、世紀が変わること、また新たな種類の天体が発見されるのです。イタリアのピアッチによるセレスの発見です。

1801年 セレスの発見(現在は準惑星に分類)。太陽を巡る天体は、9つ。

セレスは、第64話をご覧下さい。その後にも、天体の発見は続きます。

1802年 小惑星パラス発見(準惑星候補)。10。

1804年 小惑星ジュノー発見。11。

1807年 小惑星ベスタ発見(準惑星候補)。12。

ここまでで、しばらく小惑星の発見は途絶えます。ここまでにみつかった、セレス、パラス、ジュノー、ベスタを四大小惑星とも呼びます。

1822年 エンケ周期彗星の発見。13。

1826年 ビエラ周期彗星の発見(後に分解して消滅)。14。

1844年 フェイ周期彗星の発見。15。

1845年 小惑星アストレイア発見。

ここまでで、太陽を巡る天体は、16個となっています。

さて、このように太陽を巡る天体が次々に発見されるなか、天王星の軌道が、計算とはずれるということがわかってきました。未知の惑星が、天王星に影響を与えていることが示唆されたのです。その計算によって発見されたのが海王星です。天体力学計算の勝利といわれました。

実際に発見者はドイツのガレですが、計算したのは、フランスのルベリエ。独立してイギリスのアダムズも計算してたので、3人が発見者ということになります。

1846年 海王星の発見。17個。

1847年 小惑星へーベ、イリス、フローラ発見。いっぺんに3個なので20。

1848年 小惑星メティス発見。21。

1849年 小惑星ヒギエア(準惑星候補)発見。これで22。

さらに、1850年に3個、1851年に2個小惑星が発見。以降、毎年毎年多数の小惑星が発見されるようになります。現在では累計で数十万個になっています。

1851年 ダレスト周期彗星の発見。28個。

1857年 ブラウゼン周期彗星の発見

周期彗星も次第に発見数が増えていきました。1900年までに発見された小惑星は、463個。周期彗星は21個。惑星は8個。発見されています。ここまでで、太陽を巡る天体は500個近くになったわけです。

1930年 冥王星の発見(当初惑星。2006年より準惑星)

オールトによって、太陽からはるか離れたところにも彗星の巣ともいうべき場所があると示唆されました。

また、エッジワースとカイパーによって、彗星の巣とも言うべき場所が海王星軌道の外にあることがわかりました。太陽系外縁天体の提唱です。

1992年 太陽系外縁天体1992QB1が発見。

現在は、太陽を巡る天体は、数十万個が発見されています。

2010年5月8日 第64話 ”転校生”セレス

セレス(Ceres)は、太陽をめぐる天体の1つです。1801年1月1日!に、イタリアの天文学者ピアッチにより発見されました。

セレスが太陽をめぐる軌道は、火星と木星の軌道の間です。当時は、天王星に次ぎ発見された第8惑星であるとされ、それは海王星が発見されるころまで、50年間ほど続きました。

しかし、セレスがあまりにも小さいこと(地球の10分の1以下しかない)。セレスと同じような軌道をめぐる天体が次々に発見されたことから、セレスは、planetではなく、minor planet。すなわち、小惑星というべき存在ということに分類されました。小惑星1番セレス、それが、100年以上も、セレスの居場所でした。

ところが、2006年、セレスは、また違う分類へと移されます。その前後に太陽から遠くはなれた冥王星軌道付近に、セドナ、クアオアなど、冥王星クラスの天体が発見され、しかもエリスにいたっては、冥王星より大きいことが明らかになったのです。そうするとエリスなども惑星と呼ぶか、冥王星を惑星とよばないかということになっていきました。状況としては、セレスが小惑星になったのと似ています。つまり、冥王星も小惑星というべきだということになったのです。

一方で、冥王星は一般的な小惑星とちがって、球形をしていることがほぼ明らかになり、球形なんだけれども、同じような軌道を持つ複数の天体があるものを、どうするかが議論になりました。

その結果、折衷的な案として、準惑星(dwarf planet)という分類が誕生。冥王星は、 エリスなどともに準惑星となり、そのさい、球形であることがわかっていたセレスも準惑星の分類となったのです。

かくして、セレスは、惑星→小惑星→準惑星と3種類の呼ばれ方をすることになったのですね。

2010年4月1日 第63話 コロナからの雨(coronal rain)

「文部省 学術用語集(天文学編)」に、「コロナからの雨」という用語が掲載されています。これは、なんでしょう? という質問がありました。

私も聞いたことがなかったので、太陽の教科書で調べてみました。記述はあっさりしていますが、ようするに、太陽コロナの一部が、冷却され、集まり、ポタポタと太陽の表面にむかって落ちていく様子をさすみたいです。動画じゃないけどこんなの http://apod.nasa.gov/apod/ap001115.html

いわれてみると、コロナの観測映像には、吹き上がるプロミネンスや、サージといった現象とともに、たしかにポタポタと光のしずくが落ちていく(というか流れ落ちていく)様子を見た記憶があります。なるほど、あれが、コロナからの雨だったわけです。

それにしても、コロナからの雨は、ブラックホールとか、超銀河団と同じ「学術用語」なのです。コロナ・レインと表記されている本もありましたが、ずいぶん詩的な表現を使うものですね。

2010年4月1日 第62話 コロナ

コロナ(corona)は、ラテン語で花の冠のことです。単純に冠をさす場合もあり、メキシコの有名な「コロナ・ビール」は冠をあしらったデザインのラベルがついています。また、薄い雲がはった夜に、月の周りに見える光環もコロナといいます。

しかし、最近は、皆既日食のさいに見られるコロナ(光冠)が有名でしょう。これは、太陽の上空全面に、太陽からはがれた電子や陽子が浮いて輝いている様子です。

太陽のコロナは、非常に淡い光のため、平素は見えません。しかし、太陽本体が完全にかくされる皆既日食のさいに見られるのです。その輝きは、真珠のようともいわれています。私はまだみたことがありません。

このコロナは、太陽本体からかなりはなれたところまでいくと、そのまま宇宙空間に放出されてしまいます。それが太陽風です。

2010年4月1日 第61話 太陽からの風

SF界の巨匠、アーサー・C・クラーク(1917−2008)の作品に「太陽からの風 The Wind from the Sun 」という短編があります。

この作品は、太陽光の圧力だけで宇宙を飛ぶ、太陽光帆船のレースを題材にしたもので、海洋で行われるヨットレースの機微を、地球上空から月へ向かう宇宙空間でのドラマにしたてあげたものです。主人公は沈着冷静なエンジニアで、たった一人でレースに参加。状況描写がたんたんと重ねられるだけなのですが、レースの展開に静かに興奮するという作品です。

さて、ここでいう「太陽からの風」は、太陽光そのもの圧力です。これを使った、太陽光帆船は、いま、これを書いている最中に、日本による実証機「イカロス」が打ち上げられる直前となっています

一方、太陽風 solar windというと、これは、太陽からの電気を帯びた粒子(陽子や電子、ヘリウム原子核など)の流れをさす用語です。太陽光は、太陽から8分あまりで地球に到着しますが、太陽風は3日程度かけて到着します。太陽風は秒速500km、時速で200万kmにも達しますが、それでもそんなくらいです。

太陽風と太陽光は、ともに「彗星の尾」をつくりだします。また、太陽風は、地球にも尾をつくりますが、磁場にそって南北両極にふりそそぎ、オーロラを輝かせます。同様な現象は、土星や木星にも見られます。

2010年3月22日 第60話 100光年以内の恒星の数

グリースの近距離恒星のカタログ※によると、100光年以内の恒星の数は、2500個程度。そのうち、肉眼で見える6等級以上は500個。さらに、うち都会でも見える2等級以上は27個。1等星はうち12個。

参考にしたカタログが20年前のものなので、暗い星については増えているだろうけれど、明るいほうはまず間違いないでしょう。案外少ない。その分、とてつもなく明るい星がちょっと遠くても、目立っているってことですね。

目で見える星空は、だから宇宙の広がりをただしく映しているわけではない。すごいものばかり目立つ世界ってことです。普段の世界とよく似ていますね。

※3rd Catalogue of Nearby Stars (preliminary version) (CNS3) by Gliese,Jahreiss,1991

2010年3月22日 第59話 100光年は、ロケットで100万年

2006年に打ち上げられた、ニューホライズン探査機は、冥王星など太陽系外縁の天体を探査します。そのため、スピードが速いことが求められ、軽い探査機を強力なロケットで打ち上げました。その結果、到達した速度は秒速30km=時速12万kmで、これが、いまのところ、人類が達成した最高速度です。

この秒速30kmというのは、光速の秒速30万kmのちょうど1万分の1です。

ということは、仮に、この速度が維持できたとして、1光年先にいくには1万年かかり、100光年なら、100万年ということになります。

参考までに、人類が作った最も速い乗り物は、1969年に月を往復した、アメリカのアポロ10号で、最大速度は秒速11.08km=時速4万kmだそうです。都合3倍ですね。これだと100光年を300万年です。

さらに、参考までに、ライフルの弾のスピードは、秒速0.6kmくらい。旅客機は秒速0.25km。新幹線は秒速0.1km以下です。

2010年3月14日 第58話 この世で今、星が輝く理由を知っているのはぼくだけさ

自ら輝く星、恒星が光るのは、その表面が高温だからです。では、なぜ高温なのかというと、恒星の中心で莫大なエネルギーが発生しているからです。そのエネルギー源=核融合反応をつきとめた一人が、 ハウターマンです。

このハウターマンの発見については、こんなエピソードが残っています。岩波書店「ファインマン物理学I」の43ページから引用しましょう。

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・・・.星を輝かせるのには星の中で核反応が起こっているに違いない,ということに考えついた発見者の一人は,夜,彼女と外に出ていた.

“なんて星がきれいなんでしょう”と彼女がささやく.

彼はいった“そうだね,だけど星が何故光るのか,そのわけを知っているのは,いま世界中で僕一人だけなんだ”,

それを聞いて彼女はニッコリするだけであった.

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これを紹介したノーベル賞学者でもあるファインマンは、どんなすぐれた業績であっても、理解してくれる人がいななければ、たった一人。と続けています。

2010年3月14日 番外 カセイソーダ

カセイと読む言葉は、いろいろな意味の漢字になります。ここは星の話なので、「火星」ですが「加勢」「仮性」「家政」「化成」「歌聖」「苛政」「化生」「苛性」と、ちょっと漢字変換をかけただけでもゾロゾロとでてきます。

ぼくが科学少年だったころ、カセイソーダという言葉を聞いて、どぎまぎしたのも、そんな事情によります。ソーダといえば、炭酸飲料。クリームソーダの火星版、それはどんなすてきなものなんだろうと、思ったわけです。で、その後、カセイソーダが、工業原料らしいと知ってからは、なんかこわそうなものという印象を持っていました。

で、たぶん、そう思ってから、30数年ぶりに、いま調べてみました。そう「苛性ソーダ」について。で、先に白状します。自分の無知さをまた思い知ったことを。以下、わかっている大人には、あんた、科学館の学芸員をホンマにやっとるの? といわれそうな記述が続きますが、ご了承ください。

まず、 苛性ですが、皮膚を侵す性質があるという意味だそうです。やはり、こわそうなものってのは当たっていますね。

一方、ソーダは何かというと、現在は炭酸ナトリウムとして知られるもので、砂とともに、ガラスの原料になるものです。また、ソーダ水は、重炭酸ナトリウム(いわゆる重曹)に、リンゴなどにもふくまれるクエン酸を加えることでできる飲み物です。もともと類縁だったわけです。

さて、苛性ソーダです。これは、なんと! 水酸化ナトリウムのことだそうです。そう、小学校の理科で、塩酸とセットででてくる水酸化ナトリウム!。「青になったらアルカリ性」の語呂合わせで覚えた、アルカリの代表選手、西の横綱のあれが、苛性ソーダだったとは・・・。青い鳥は飼っている鳥でしたみたいな、いきなりそんなオチとは・・・。

さらに、苛性ソーダの生産量は、2001年に全世界で4000万トン! なんだそりゃ、、密度が水と同じとして、4000万立方メートル。大阪市の面積が200平方キロだから、2億平方メートル、つまり、大阪市全体を200mmの苛性ソーダ豪雨にできるだけの量が精算されているわけだ(なんだかよくわからないたとえになってしまいました、巨大ピラミッド200個分とかのほうがいいかな)。めちゃくちゃよく使われているものということですね。

苛性ソーダの用途はいろいろですが、その強いアルカリを使って、ものを溶かすのに使われるそうです。たとえば、木材のチップを溶かし、製紙材料のパルプにするとか、電池の電解液にもつかわれているし、食品加工などにもつかわれているそうです。苛性ソーダだけで、博物館ができそうなくらい。あるかな・・・

苛性ソーダは、石けんをつくる時につかわれてもいます。適当なオイル(廃油、オリーブオイルなど)に、精製水、苛性ソーダをまぜるとできるそうです。当然ながら、苛性ソーダを知らなかったぼくは作ったことがないので、くわしくは、こちらなどを。

ところで、カセイソーダを、火星ソーダだと思ったのは、何もぼくだけじゃないようです。テレビドラマ「菊次郎とさき」では、ペンキ屋の菊次郎の息子が、苛性ソーダを、おいしそうなものだと思って飲み、大騒ぎになったという場面がありました。苛性ソーダは、劇物で、皮膚をただれさせてしまうので、そんなことは絶対にしてはいけないんです。「ソーダ」が罪作りですよね。ちなみに、この菊次郎の息子は、後の漫才師で映画監督としても国際的に著名な北野武氏=ビートたけしです。ペンキ屋は、灰汁あらいといって、苛性ソーダをつかって白木などを漂白する作業を行います。そのためにおいてあったのですね。

今回は、星の話にはならなかったので、番外にしました。

2010年3月14日 第57話 オリオン座の三つ星とまぎらわしい星

世間の多くの人は、星を見ても、その名前を言えません。これは20年も仕事をしてきての実感です。だから、星空の解説が「特技」になるのですが。

しかし、例外があります。それはオリオン座です。四つの星にかこまれて、仲良くならぶ三つ星。これまた、多くの人が見つけることができる、星空の道しるべなのです。三つ星は、いずれも2等星ですが、全天で100たらずの2等星のうち3つが、コンパクトに一列にならんでいるのですから、印象深いのです。

ところが、実は、三つの2等星がならんでいる場所は、オリオン座だけではありません。夏の星座の、さそり座の先端もまた、ちょっと「へ」の字型ではあるものの、やはり3つの星がならんでいます。

また、北斗七星もまぎらわしいものの一つです。七つもならんでいたら、まちがいようがないではないか、と思いたくなりますが、それは星がよく見える場所の話。大阪のような都会では、北斗七星の真ん中の星がみえず、3つ、空白、3つという感じに見えるのです。うち3つは、ほぼ一列にならんでいるので、これまた、オリオン座とまちがえることがあります。

さらに、ふたご座も候補になります。暗めの1等星と明るめの2等星が2つならぶふたご座、そのままでは問題ないです。しかし、誕生日の星座なので、惑星が通りかかることがあり、惑星もふくめ、明るい星が3つならぶこともあるのです。本家のオリオン座の三つ星より、明るく立派な「三つ星」になるのです。

2009年6月30日 第56話 犬と星〜その1

犬は、羊とならんで、人類最初の家畜とされています。人類にとって、当たり前のように身近にいた犬の姿を、星空に投影するのもまた自然なことでしょう。実に多くの犬が天文の世界には登場します。

星座の犬

現在使われている星座には、4匹の犬が登場します。おおいぬ座こいぬ座りょうけん座の2匹です。

おおいぬ座は、ふつう、オリオンの猟犬と説明されます。星座の配置で、オリオンの背後にひかえ、オリオンの足下にあるうさぎ座をねらっているように見えるからです。この場合は、こいぬ座もあわせて2匹のオリオンの猟犬とされることが多いです。星座の配置がわかりやすい説明方法だといえます。

また、星座にまつわる神話では、アテネの猟師ケパロスの猟犬ライラプスとされています。ライラプスは神様からどんな獲物でも捕る犬とされていましたが、同じく神様がけして捕まらないキツネをつくってしまったので。矛盾をおそれた神が空にあげて星座にしたというものです。

こいぬ座は、おおいぬ座同様、オリオンの猟犬とされます。ただ、神話はおおいぬ座よりも有名で、テーバイ国の国王の孫アクタイオンの犬とされています。

アクタイオンは、あるとき女神アルテミスの水浴びを見てしまいました。怒ったアルテミスはアクタイオンを鹿に変えます。鹿になったアクタイオンは、自らがつれていた猟犬から逃げ回ることになり、そのうちの1匹がこいぬ座になったということです。

りょうけん座は、春の空、北斗七星のそばに見える星座です。主星のコル・カロリは美しい二重星として、天文ファンの中では有名です。フラムスチード星座図など、よく使われている星座絵では、うしかい座にリードをもたせている二匹の犬として描かれています。

りょうけん座は、17世紀にポーランドの天文学者ヘベリウスが設定した星座です。うしかい座は2000年以上前からある古い星座ですので、それにあわせて考えたものでしょう。新しい星座なので神話はありませんが、イメージとしてはやはりアクタイオンの犬ということらしいです。

2008年12月11日 第55話 福沢諭吉が学んだ物理は?

「福翁自伝」という本があります。福沢諭吉が、60過ぎのときに自らの生涯を語りおろしたもので、岩波文庫で読むことができます。

で、福沢諭吉は、大分の中津藩の士族なのですが、大阪の堂島で生まれ、大分にいったんもどってから、また大阪に出てきて、北浜にあった適塾という蘭学塾に通って、塾頭もやったと書いてあります。

その後、彼は、アメリカやヨーロッパに渡航し、英語を学んで、政府の御用につく一方、慶応大学を作っていくわけです。

そのベースになったのが、適塾というわけですが、気になるのが、適塾というのは、医学とキュウリを教える場所だったということです。キュウリというのは、究理と書いて、いまでいう、物理と化学のことを指します(主として物理)。上の通り、彼は英語を武器にしたのですが、物理も学んでいる。じゃあ、何を学んだのか。当時の物理って、何なのか? 福翁自伝には、そのへんつまびらかではありません。

2008年11月1日 第54話 デンマークの偉大な天文学者

デンマークというと、何を思い出しますか? ロイヤルコペンハーゲン、オモチャのレゴ、豚肉、アンデルセンにチボリ公園まで言えたらたいしたものです(実は、ちょっと調べちゃいました)。

でも、やはり、アメリカやフランス、中国などに比べると地味な感じは否めません。人口は500万人あまりと北海道と同じくらい。面積は4.3万平方キロで北海道の半分ほどです(注)。

そんな小国デンマークですが。2回、科学の世界をひっくり返す人物が登場しています。

一人はニールス・ボーア。1922年ノーベル物理学賞受賞の(注2)この人は、量子力学という現代科学の一分野を確立します。アインシュタイン、ニュートンなどに並ぶ大科学者です。彼は、多くの科学者を育て「コペンハーゲン学派」などとも呼ばれました。

そしてもう一人は、ノーベル賞ができるはるか前。16世紀に活躍した天文学者、ティコ・ブラーエです。

ティコは、国政に大きな影響を持つ裕福な貴族の一員として生まれ、社交的で健康的な人物だったようです。彼は、少年の時に数学や天文学にはまります。最大のキッカケは、金星以上の明るさになった超新星を観察したことです。また、占星彼は古典などを検討していくうちに、その精度のいい加減さに気がつき、精密な観測をするようになっていきます。

その観測は彼の死後、ケプラーによって、惑星の3法則として結実し、精密な天体暦の成立に寄与します。また、これは同時に地動説により、美しく精密な天文計算ができるようになったできごとでした。ガリレオやコペルニクス、ニュートンなどの業績とあわせて、科学革命と言われています。

小国? 侮るなかれ。それがデンマークですね。

注:ほかに、世界最大の島であるグリーンランド(面積217万平方キロ)を領土として持っていますので、それもいれると日本より大きくなります。ただ、グリーンランドは半ば独立国のようになっています。

注2:ニールス・ボーアの息子のオーゲ・ニールス・ボーアも1975年にノーベル物理学賞を受賞しています。ボーア家は、ほかにも多くの科学者を輩出している名門です。

2008年10月23日 第53話<余話のまた余話>  北京の30mドーム

余話を2つ重ねるのもなんですが・・・。

下の北京の中国科学技術館について、さらに調べてみると、五藤光学が担当して30mドームのプラネタリウムの建設を進めていることがわかりました。

下にもある第三期工事(2009年オープン)にて公開されるようです。

五藤光学の納入館情報によると

中国国立科学技術館 China Science & Technology Museum
中国最大の最新プラネタリウム館として2009年秋にオリンピック村にオープンします。 光学式、全天デジタル映像、IMAX大型映像の3つのシステムを融合した世界初の複合シアターとなります。

★  スーパーヘリオス ハイブリッド / SUPER-HELIOS HYBRID
★ 直径30m

とのことです。

もっとも、光学式、全天デジタル映像、IMAX大型映像の3つのシステムであれば、大阪市立科学館も2004年から同じホールで運用しているんですけれどね。「融合」がどの程度なのかが注目です。

(追記:2010年3月)

2009年オープン予定だったこの施設ですが、さらに延びて、2010年2月にオープンしたそうです。

これで、プラネタリウムドーム直径ベスト5は日本。というのはくずれて、1位は日本と中国、3〜6位は日本。ということになります。まあ、これも名古屋に35mドームができたらまたくずれるのだけれど。

2008年10月22日 第53話<余話>  北京の27mドーム

大阪市立科学館のプラネタリウムは、ドーム直径が26.5m。世界で5位の大きさだと公表してきました。ちなみに3位は27m、2位は27.5mと、ひしめきあっています。まあ、ちょっとしたことで順序が容易に入れ替わるのは想像に難くありませんが、なぜかここ15年ほどこの順位が固定していました。

しかし、ちょっと調べ物をしていて、おどろきました。北京に27m直径のドームがあることがわかったからです。

データの出典は、フランスのプラネタリウム連合のホームページ。いままでフランス語が読めないからといってほっておいたものです。でも、英語の世界のプラネタリウムリストがあったのです。その中国分のページのなかに、それはありました。転載すると下記の通り。

China Science and Technology Museum 
1, Beisanhuan Zhonglu 100029, Beijing
http://www.cstm.org.cn/ office@cstm.org.cn
Tel: +86 / 10 / 623 711 77

Opened in 0  Dome of 27m  470 seats  Projector Spitz

まちがいなく、ドーム直径27mとかかれています。投影機は、米国のスピッツ社。世界的には著名なメーカーなんですが、日本には一台も入っていないので営業拠点もありません。うーむ、これは見落としていたと焦りました。いろいろなデータや宣伝文句を書き換えなければなりません。

しかし、ちょっと冷静に、だいたい、それなら日本のメーカーの人が教えてくれるはずだし、ドーム直径といっても「ドーム外径」かもしれません。プラネタリウムの場合は、ドームの中のスクリーン直径を問題にしますので、そこのところはハッキリしないと。ということで、こんどは、China Science and Technology Museumの中国語のページを見てみました。

中国語での名称は、中国科学技術館です。A,B,Cの三つの建物に分かれているようで、B館がドームシアター(穹幕影庁)です。そこをよく見てみると・・・(適宜中国語を日本語の漢字に置き換えています)

中国科技館穹幕影庁我国最大的穹幕影庁,也是世界上最大的穹幕影庁之一。它的穹幕直径 27米,銀幕面直径1000平方米,座席 470个坐位。 影庁建筑按加拿大IMAX示准没汁,采用日本Astrovision Dome 70mm/10P 放映系統和美国SPITZ穹形銀幕。・・・(以下略)

いちおう漢字文化圏ですから、なんとなく意味はわかります。私なりに訳してみると、つまり・・・

中国科技館のドームシアターは、中国最大規模であり、さらに世界最大クラスのドームシアターの一つである。その直径は27mで、スクリーン面積は1000平米、座席は470席にのぼる。映像システムは、IMAXフォーマットにしたがった日本製の アストロビジョン(五藤光学の製品)を使い、米国スピッツ社のドームスクリーンを使用している。

プラネタリウムではなく、IMAXコンパチのドーム映画シアターで、スピッツは、投影機ではなくドームを提供していたのでした。

ちなみに、沿革をみると、この施設 1988年9月22日に一期工事がおわり、 2000年4月29日に二期工事がおわったようです。施設の古さはうちと同じくらい。さらに 2009年下半年に第三期工事を完了するようです。中国のこの手のことへの投資は本当にすごい。日本はあっという間に抜かれそうです。かつて日本がイギリスやドイツを抜いたように。

しかし、フランス人にこの事実、教えてやるべきかな。しかし、フランス語はできんし。英作文は面倒です。なんか機会がなければほっておくことにしましょう。

2008年10月22日 第53話  プラネタリウム大国と国産

日本はプラネタリウム大国で、ドーム直径が20m以上(おおむね200人以上が入場できる)の大型プラネタリウムが、何十とあります。なかでも、愛媛県総合科学博物館には、世界最大のドーム直径30mのプラネタリウムが設置されています。さらに名古屋市科学館ではドーム直径35mというプラネタリウムを建設することが決定しています。

これほど大きなプラネタリウムがある国は、ほかにはアメリカくらいなものです。ついでドイツですね。日本もふくめ、数少ないプラネタリウムメーカーがある国です。やはり国産の製品があると営業も強いし、調達コストも落としやすいですから、そういうことになるのでしょう。プラネタリウムは複雑な機器ですので、メンテナンスもふくめ運用コストもかかってきました。

ただ、現在、プラネタリウムはビデオプロジェクターでコンピュータ画像をドームに投影するシステム、すなわちデジタルプラネタリウムが主流になりつつあります。はじめて製品化したのは、アメリカのE&S社ですが、これは特殊な部品を使うもので他社は追随できませんでした。

コンピュータの性能が飛躍的にあがり、逆にコストが下がり、プロジェクターも小型化、高性能化、低価格化とすすんできて、いまでは個人でもデジタルプラネタリウムが製作できるようになっています。さらにデジタルプラネタリウムは、プラネタリウム以外にも汎用的なドームシアターとしての利用もできるため販路の広がりものぞめます。いままで作っていなかったところもプラネタリウムに参入しやすくなっています。

まだ、米、独、日以外にも、スウェーデンやイギリスの会社も早速名乗りをあげています。今後、新興国もふくめ、様々な国が参入する可能性があります。たとえば、韓国や台湾、中国なども大いに考えられます。シンガポールやインド製のプラネタリウムができても不思議ではありません。

となると、どこがプラネタリウム大国であるのか、地図が書き換わるかもしれませんね。

2008年5月9日 第52話  夕暮れの都、夜の都

沈みゆく夕陽を、とろとろとした水面が受ける。オレンジと灰色のグラデーションの広がりの上を、帰りゆく鳥たちが縮んだりふくらんだりしながら通り過ぎていく。山からの風が海からの風へ替わる夕凪。

大阪は夕陽の都だそうです。

地名になっている天王寺区の夕陽丘は、南北に連なる台地の一部で、なるほど西がひらけ、夕日を楽しむのにぴったりな場所です。また、大阪港は西に開けているめずらしい港湾ですし、市内を通る川や水路も自然西に流れていて、そのむこうに沈む夕日を楽しむことができます。

しかし、こうした地形だけではなく、夕暮れを楽しむ素地は、東京以上にある気がします。それは、日の入りの時刻の遅さです。下の表を見てください。

日時 札幌 東京 大阪
2009/3/20 17:46 17:52 18:09
2009/6/20 19:17 18:59 19:14
2009/9/23 17:30 17:36 17:54
2009/12/20 16:02 16:30 16:50

大阪の日の入りは、最も早い冬至のころでも17時ごろです。空が暗くなりきるのは、おおむね1時間後ですから18時ごろまでは夜という感じにはなりません。夏になると20時くらいまでは夕暮れという感じになります。

夏に関しては東京も札幌も大阪と大差ないのですが、冬には20分、50分という差がつきます。定時17時なり18時なりに会社を出るとして、あたりが真っ暗になっているか、ほの明るいかという差が出るわけです。

仕事が終わって、なお明るいとなると、夜を楽しむというよりも、夕暮れを楽しむというということになりやすいでしょう。大阪の夜は早いというのもよく聞きますが、自然の照明をよく生かした暮らしをしているともいえます。

最近は、大阪の会社も東京の支社化して、定時が遅くなっているようです。また、東京的な夜文化を大阪でもやれば、売れるのではないかと、東京化した「仕掛け人」が考えてもいるようです。

しかし、人間がどうやろうと、所詮は動物。地理的な、天文学的な条件は変えようがありません。昼間を楽しむエジプト人がいないとか、夜を楽しまないドイツ人がいないのと同じようになものではないかな。

日常的に。こよみを見る立場からは、そんな風に思ってしまうのです。

2008年4月7日 第51話  国際宇宙年

2009年は世界天文年( International Year of Astronomy) だそうです。

これは、ガリレオ・ガリレイが史上はじめて望遠鏡で天体を見てから400年というのを記念しての事業で、国連の機関であるユネスコが認証し、国連で決議されたものです。世界中で記念の事業が行われる予定です。日本でもいろいろなイベントが提案されています。

このように、世界的にXX年というのを決めるキャンペーンはしばしばやられることで、たとえば私が覚えているのは、1979年の国際児童年で、日本ではNHKが毎日テーマソング(ゴダイゴのビューティフルネーム)を流していたのを覚えています。ちなみに、国連広報センターのサイトに一覧が載っていますのでご参考に。

そして、こうした中に国際宇宙年(International Space Year)もありました。1992年がそうで、コロンブスがアメリカを発見してから500年、史上初の人工衛星スプートニク後35年を記念してのものです。しかし、コロンブスによるアメリカの"新発見"とは、1992年にもなってずいぶん図々しいものを題材にしたものです。

宇宙年とはいっていますが、SPACEですから、人間が利用可能な宇宙空間に関する年であり(、「一般の人々の宇宙開発に対する理解を深める」)、今回、天文年をやっても二重にはなりません。このあたりは、結構誤解があるようです。

さて、国際宇宙年にあたって、当時、どんなことをやったのか、切手が発行されたことは覚えていますが、あとはよくわかりませんのでちょっとインターネットをさまよってみました。その結果。

1.宇宙の日 が 文部省などによって定められた
   9月12日 日本人二番目の宇宙飛行士・毛利衛が軌道にあがった日

2.記念切手が発行された

3.人工衛星などによる いくつかの実験が行われた

あとは出てきません。えらい地味ですね。宇宙開発に対する理解は深まったのでしょうか。実は、この年毛利氏がスペースシャトルに乗ったのは効果がおおきく、この年になったのは「たまたま」ではあったけれども、目的の達成には寄与しています。

2008年4月7日 番外編  1001話をつくった人=星新一

「星を巡る千一話」というタイトルは、もともと稲垣足補の「一千一秒物語」から考えたものです。大阪船場生まれ、明石育ちのこの作家については、そのうち書こうと思っています。

でも、その前に、ふれねばならないものが出てしまいました。第28回日本SF大賞を受賞した星新一 一〇〇一話をつくった人です。この本は絶対音感で有名になったノンフィクションライター最相 葉月さんによるものです。これはまだ読んでいないので内容は言及できません。ただ、本のタイトルから一〇〇一話と星新一という部分だけをちょっとふれておきます。

星新一(1926〜 1997年)といえば、ショートショートというジャンルを日本に切り開いた作家です。1983年にショート・ショート1001編を達成しました。作品も「ボッコちゃん」「おーいでてこい」など、多くの読者を得たものが多数あります。SF作家としても小松左京筒井康隆とならんで御三家といわれていました。

実は、私は彼が1001話という数字にこだわったということを知らずに、このページをつくってきました。1001というのは、やはりアラビアンナイト千夜一夜物語でありましょうが、ほかにも、シンイチ〜センイチで、1001ということなのかも知れません。これを書いている過程で、プロ野球の星野仙一氏が1001倶楽部というファンクラブを持っていることを知ったりしました。

実際はどうなのか、最相さんの本にあるのかもしれませんが、1000ではなく、1001を区切りとするというのは、気分としてわかるような気がします。1000で終わりというのは、いかにもぴったりすぎて気持ち悪い。999だと足らない感がある。うーむ、論理的に説明できませんが、同じ気分をこの偉大すぎる作家とわずからながら共有しているのかなと思ったりしています。

 

追記(2010年3月):この最相さんの本、文庫になりましたので買いました。といっても2分冊なので、元々の本を買ったほうがよかったかも。いま、上巻を読み終えつつあって、ようやく星新一が作家デビューすることまでやってきました。1001話へのこだわりは、まだまだ先みたいです。

追記(2012年1月):本は、ずいぶん前に読み終わったのですが、こちらのらんがほったらかしでした。一つ驚いたのは、1001話目が7本あったということ。売れっ子の星さんは、これが打ち止め1001話目ということで、連載などで関係があった7社に同時に別々の話を送ったのだそうです。

1〜25話 26〜50話 51〜75話 76〜100話 101〜125話